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災害余情について

国内では年明け早々に能登半島地震が発生し、翌日2日には羽田で大事故が起こってしまった。

 

その2日に炎上した海保機は、1日に発生した能登半島地震の被災地に救援物資を届ける航空機だったとのことで、自然由来の情けなき玉突きだといえる。 これらの流れを遡っていけば、能登半島における群発地震の要因に行きつかざるを得ない。

 

既に報道されているように、2011年に起こった東日本大震災(311)によって海水が日本列島の下に潜り込んだ(と思われる)ことが有力な情報として挙げられているが、「311」から10年かけ徐々に上昇した流体が、断層に入りんだため滑りやすくなっているという仮説が(現時点では)有力らしい。実際に、能登半島では2021年9月16日の地震(M5.1)を皮切りに、震度5以上の地震が頻発している。

 

珠洲市(能登半島)では昨年5月にも、震度6強を観測したばかりで記憶に新しい。能登半島では構造的に流体が地上に抜けないという特性あり、断層に入り込み滑りやすくなるという。これを考えれば今後についても誰にも予測できない、といったいたたましい現実が立ちはだかる。

 

翌日発生した、羽田の事故についても管制官と海保機長の認識が違っているということで一括りにヒューマンエラーといわれているが、(海保機は)羽田の航空機と違い慣れておらず操作に手違いがあった等、外部にはわからない状況があった模様。

システム的にもストップバーと呼ばれる滑走路への誤進入を防ぐ信号機が、事故が発生した滑走路では点検のために昨年12月27日以降、止まっていた、という情報も流れている。

 

 

 

 

 

海保機のボイスレコーダーが解析されたとしても、明らかにされるのはやり取りの全容といった一側面であり、全容はわからないというのが常である。

 

不遇に見舞われた方々に対して我々にできることは支援余力であったり、そうできない方、遠方の方であったとしても心を寄り添う事はできる。憂き世を実感する現代社会に不足しているもの、ではないだろうか。