原発の価値を決めるもの
原発事故発生直後から、「ジャパノブイリ」(japanobyl)なるブラックジョークとも、そうとも言い切れないような言葉を目にしていましたが、とうとう国際基準上(INES )では、同じランク付けとなってしまった。
そんな中、「チェルノブイリとは違う」といった記事を目にする事が多い訳ですが、原子炉自体が爆発した旧ソ連の事故と、福島の事故の様相が違う事は、知識の無い自分のような者にも伝わってくる。 ただ気になるのは、その発言の中に「チェルノブイリと違うから安心だ」といったニュアンスが込められているように思える事だ。
チェルノブイリの放射能放出量は「520万テラベクレル」、福島原発のそれは「63万テラベクレル」。数値的にも全く違う、と言う。しかしながら今回の数値発表にしても、安全委試算と保安院試算でバラつきがあり、その数値がどこまで現実を反映したものなのか分からない。それにこの唐突な「天文学的な数値発表」にしても、アメリカやフランス等から外圧が掛かった結果なのではないだろうか?今までの経緯を見ていると自発的に出したとは考えにくい。
さらには、今現在でも近付けない環境下にあるとは言え、「チェルノブイリ」は25年前に起こった出来事であり、それに対して福島の原発事故は現在進行中であるという事、収束の目途が全く付いていない事が問題で、その数字にしても今後、大きく変わる可能性 (保安院)すら残されている。
要するに、「過去の数字」を持ち出されても、それが将来の安心を担保する事には繋がらない。 繋がらないどころか、ここのところ余震は活発化、「内陸起発型」が多発している事を考えると、懸念は一層大きなものになっている。
右の図は、青枠が過去24時間(4月11‐12日)の震源地、黄枠が過去1週間における震源地になる。 福島(浜通り)で「大型余震」が多発している事を考えると、福島原発にしても今後どうなるか、実際には誰にも分からない。 震源地が南下している事を考えると、静岡の浜岡原発にしても多くの人が心配 するのは当然の事だと言える。
自分は、原発推進派とも反対派とも言い切るだけの知識は無いものの、積極派か消極派かで線引きすれば、自分も「消極派」だと言えるかも知れない。それは以下のデータに起因する。
日本固有のリスク
内閣府発行の「防災白書」を基にした地震データ
によると、日本の国土の割合は(世界の)わずか0.25%であるにも関わらず、活火山数は「7.1%」と集中、M6以上の地震回数は、世界発生比で「20.5%」となっている。
この統計は過去のものであり、ここ1ヵ月でM5以上の地震が400回を超えている 事を考えると、「日本の地震比率」がいかに高いものか、という事が改めて確認できる。
更には、これほど狭い国土に(原発を)55基も建てているという事で、1度の地震で数基の原発が脅かされる事が先日の余震で証明された。7日の大型余震だけでも、福島第一で注水が停止、女川も冷却が止まり、東通原発も外部電源が遮断となった。(非常用発電機は作動)
3月11日の震災直後、海外メディアが「日本人の冷静さ」をこぞって賛美している論調を多く目にした。しかし最近では、日本人の鈍感さを指摘する記事 も目にするようになった。 これは普通に考えるとごく当たり前の事で、各々独立した原発がまとめて危険な状態になるといった出来事は、ドイツやフランスを始めとするヨーロッパの人間からすると、「あり得ない恐怖」だと言える。これを考えると、「日本人は鈍感なのでは?」と思われても仕方がない。
原発のリスクと経済がよく天秤に掛けられる傾向にありますが、このような「日本固有の原発リスク」を考えると、そのような「トレードオフの議論」では語れないように思える。 日本が「プレートの交差点上」に位置している事を考えると、「建ててはいけない所に(原発を)建てている」といった大前提が必要で、そういう意味ではアメリカやヨーロッパと同列には語れない。 「死亡率」を前提として原子力エネルギーの安全性を語る論調も見掛けますが、日本が考えるべきは「原子力リスク」というよりも「地理的リスク」と言える。原子力の危険性に地理的な危険性を上乗せしたリスクが日本の本当のリスクと言えるからだ。
これは感覚的な問題になりますが、保安院と東電の「危機意識の欠如」を考えれば、原発を経済とのトレードオフの関係に置くことすらできない。保安院と東電は、「日本固有のリスク」をあまりにも小さく見積もっていた。要するに経済と原発の関係ではなく、経済と危機管理の問題になる。
原発の価値
共産党の吉井英勝 議員が何年も前から、津波による「冷却機能喪失のリスク」を政府並びに保安院・東電に対して度々追及 していた話は、すでに有名になった。
「東北電力女川原発の1号機、福島第一の1、2、3、4、5号機、この6基では、基準水面から4メートル深さまで下がると冷却水を取水することができない事態が起こりえるのではないか?」
と今回の事故を予言するかのような「驚くべき追及」を06年以降、何度もしていたようだ。(9回前後)
政府・保安院・東電はこのように、最悪の事態を想定して対応するよう何年も前から指摘されていた関わらず、これらの指摘を完全にスルーしていたらしい。そして更に
共産党のサイト には以下のような事も書かれている。
福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。(抜粋)
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ここ最近「想定外」という言葉が飛び交っていましたが、以上の成り行きを見ていると実際には「想定圏内」だった事になる。それでも敢えて想定できなかった、と言うのであればそれは保安院や東電が、勝手にリスクを低く見積もっていただけの話になる。
結局のところ原発の価値を決めるのは危機管理の問題になる。いわゆる設計上における「冗長化の視点」が何よりも重要なのだ。 日本が今後、原発を捨てるかどうか。それは全て「人の心」次第という事になる。(武田風)