韓国人とは一体何なのか。



昨日まで韓国人は猛烈に嫌いだった。



今は韓国人でも中にはまともな人もいるのではないかと思っている。



いや、まともというか変だけど害のない人というべきだ。



今日他社から研修に来ている韓国人に教える形で一緒に仕事をした。



覚えるのが早い。



日本に来て5年と言っていたから、かなり勉強して覚え方を学んだのだろう。



どのようにしたら覚えられるかが体に染みついているのだろう。



朝礼の接客訓練で隣にいたが、おじぎがきれいだったから真似した。



もう追いついた。



一瞬にして追いついた。



現状互角である。



お手本になるべき角度でのきれいなおじぎだった。



これも、覚え方同様、学んで自分のものにしたのだろう。



それに比べ、すべての人を監視してるわけではないが、他のサミットの連中は何のために朝礼で練習しているのだろうか。



効果のない(もしくは薄い)ものを継続し続ける愚かな行為だろう。



これを改善するために、指導する立場の人が「こうこうこういうふうにやりましょう」と言っても無駄だろう。



人間関係の構築やそれを基にモチベーションを上げる努力が必要と思われる。



サミットは表向きは全員誰に対しても「~さん」と“さん”付けで呼ぶことになっているが、その一方で上下関係が厳しいというかパワハラで訴えられたらアウトであろう言動がしばしば起こる。



教えたらその通りできるようになると思ってると思われる人が多い。



基本的に頭が悪いというイメージを持っている。



教えたことができていないと怒って伝える人は、それがその人の限界なのだろう。



怒ることでそこでその指導者の成長も止まるわけで、かわいそうな人なんだろうなと見ている。



相手ができないことに対して怒るのは恥ずべき行為だ。



器が小さいというやつだろう。






それはそうと今日一緒に仕事をした韓国人は作業場から売り場(店内)に入る際に一礼していた。



気持ち悪い。



礼儀正しいのはわかる。



まじめなのはわかる。



だけど気持ち悪い。



この韓国人そのものが気持ち悪いというわけではなく、その一部の行動が気持ち悪いということだ。



韓国人が猛烈に嫌いだという昨日までの感情はこういった小さなことを過大に取り上げてしまっているのではないかと思った。



世界中から韓国人とメキシコ人は嫌われているという常識を持っているために、正しいもしくは公平な判断ができていないのかもしれない。



今までの韓国人のイメージをすべて捨て去り、今日会った韓国人のみで総称としての韓国人をどう思うかと問われれば、まじめでまじめでまじめでだけどちょっと気持ち悪い面もあるという答えになる。



韓国人が笑顔で近づいてきたらあなたを騙すためだと思えとか韓国旅行をしたら無事に帰ってくることはできないとか、そのような言葉は自分の身を守るための日本に伝わる知恵である。



しかし10回ぐらいは気を付けながら自分で調べてみる必要があるだろう。



その時にはもう遅いw



「お菓子あげるからついておいで」という人は全員危険人物であるという考えと同じだ。



本当にお菓子をくれる良い人なのか調べた時には死んでいる。



韓国人とお菓子の人の違いは、国籍と行動という違いがある。



しかし国籍も行動である。



その国で生まれ育ち教育を受け、それにより取るべき行動をしてきた危険人物と考えることができる。



「韓国人がー」とか「韓国人だからー」とか言うのは馬鹿げていると思う一方で韓国人というだけで不安を覚えてしまう。



これは自分の器が小さいということだろうか。



望むべき自分でないことは確かだ。