京都のいくみちゃんへ
(このアプリは、以下のようなことを考えるにあたっての材料を与えてくれる可能性がある。文学を通して学んだことを、現実世界に結びつけて考えることのできる可能性を持ったアプリである。)
いくみちゃんのことが好きで、1月6日の電話を終えた後から今日まで、ずっと立ち止まっていました。いくみちゃんのことを考えて、立ち止まってちゃだめなんだって分かっていたけど、立ち止まっていることしかできませんでした。いくみちゃんから連絡が来てシルバーのメルセデスに乗って迎えに行き、赤いバラの花束をプレゼントして、水族館にデートしに行き、夜は夜景のきれいなホテルの最上階で食事をし、きれいなダイアモンドのついた指輪をプレゼントし、いくみちゃんの笑顔が見れたら良いなぁと考えていました。だけど、それは僕の希望だけでいくみちゃんの希望とは一致しなかったのですね。電話で話しているときも、ずっと僕はいくみちゃんに甘えていて、いくみちゃんの望む人になろうとはしていませんでしたね。いくみちゃんが出かける準備をしなくちゃいけない時間になっても、僕はいくみちゃんに甘え、何度も延長してしまいましたね。僕はいくみちゃんと繋がっていたいという自分の気持ちしか考えていなくて、いくみちゃんの気持ちをちゃんと考えていませんでしたね。
http://ameblo.jp/eiichiikumi/
過去のメッセージです。
言いたいことが伝わるように上手く書くのは難しいですが、書きます。いくみちゃんと出会ったことにより、僕は「私」を見つけました。「私」というのは「仮面」をかぶらない本来あるべき姿の「私」です。いくみちゃんには心のすべてを開くことができ、僕は本当の「私」という存在の実在に気づくことができました。それまでは心の外側に仮面や石のレンガを積み重ねることで、それが僕を安心させる拠り所となっており、「私」が「私」なのではなく、「石のレンガ」が「私」となっていました。しかし、いくみちゃんの前では「私」が「私」であり、「仮面」をかぶらない「私」が存在するということに気づきました。その状態がいかに生きやすいか、いかに幸福であるかを感じ取りました。いくみちゃんは「私」の心を解放してくれて、そしてすべての世界がそこに開けました。
いくみちゃんと話しているとき、僕は保育園にいた頃の「童心」を思い出していました。子ども時代の心を思い出すことによって、そして今現在の「私」のいる位置との比較によって、僕は「私」がどうあるべきかに気づきました。いくみちゃんと繋がっていた時間は永遠であり、それはまさしく子ども時代の神話的時間でありました。それは時計で示される実際の時間に支配されない時間です。だからこそ、その時間が終わることを拒んでしまったのでしょう。その神話的時間が終われば、僕がが本来あるべき「私」として存在し続ける前提が崩壊してしまうかもしれないのですから。
いくみちゃんは、いくみちゃんとの会話は、僕の固定化された「物語」を壊してくれました。その「物語」は「私」をがんじがらめにし、僕を本来あるべき「私」から遠ざけるものでした。僕はいくみちゃんに会うまで、いくみちゃんとの「物語」を体験するまで、それまで持っていた「物語」とは違う「物語」の存在に全く気がついていませんでした。いくみちゃんが僕のそれまでの「物語」を壊し、そして新しい「物語」へと更新してくれました。その新しい「物語」は「私」が「私」であるということを絶え間なく理解させるものなのです。いくみちゃんと一緒にいたいです。だけど、それが不可能で立ち止まっていてはいけないのです。常に経験を更新していき、新たな「物語り」を構築していく必要があるのです。
いくみちゃんと一緒にいた世界は、僕にとって「恐怖」のない安全であり、安心できる「場」だったのです。いくみちゃんとは初めて話したにもかかわらず、よそ者という感覚は最初から全くありませんでした。いくみちゃんは同じ「場」を共有できる存在でした。同じ「場」を共有するということはつまり、身体・倫理・論理に求められる3つの条件、拠り所を共有していたということです。僕といくみちゃんのお互いのルールが共通していて、安全を感じ取り「恐怖」のない、安心を感じる同じ「場」に存在することができたのです。
「生」と「死」について、「生」はいくみちゃんと出会い繋がっていたときで、「死」はいくみちゃんと離れ離れになった(別れた)状態である。人は生まれ必ず死ぬわけであり、いくみちゃんとは出会い別れがあるわけである。いくみちゃんとの出会い(「生」)、そして別れ(「死」)。「死」を恐れることも、また自分自身と「死」を無縁にすることもだめである。必ず「死」が待ち受けていることを自覚して、今生きている自分の存在に意味付けをし、何をすべきかを問い、主観的に「生」を見つめ、いかに生きるかということを考えなければならない。「死」と向き合うことで、いかに「生」を充実させるかが重要である。
いくみちゃんと過ごした時間、僕はまさに「異界」(別世界、他界、冥界)に存在していた。「異界」とは現実世界を映す鏡であり、真の姿を映す世界である。僕はいくみちゃんと過ごした「異界」で、本当の「私」を発見することができた。また、「異界」で真の「私」を見つめたことで、現実世界においてもいかに「私」を生きるべきかという目標を見出すという思考につながった。「異界」を知ったことで、「私」知り、現実世界見つめ、そこでどう生きるかを考えた。いくみちゃんとの異界体験により、現実世界を再認識し、自分とは何なのか、社会とは何なのか、また自分を世界の中でどう位置づけるかを考えるという抽象的思考を通し、より良い生き方を模索することにつながった。
提案があります。
グリード・アイランドはご存知でしょうか?簡単に言うと、現実世界に存在する仮想世界(ゲームの世界)です。現実世界を舞台にして、仮想世界を生きるということです。ここでの提案内容は、僕と仮想世界で一緒にいて欲しいということです。あくまでも仮想世界なので、現実世界のいくみちゃんに迷惑をかけることはありませんし、現実世界のあらゆる縛りは存しません。まずは一度、僕と一緒に仮想世界をプレイしてみましょう。
現実世界での、僕からいくみちゃんに対する、あらゆるメッセージは今回が最後です。そして、電話しているときにはずっと甘えていたので、急にまじめな自分になるのが恥ずかしくて伝えられなかったことがひとつあります。次のメッセージが、それであり、僕からいくみちゃんに対する最後のメッセージです。
「幸せになってください。」
愛を込めて💝えいいちより
LINE:yloph54
(このアプリは、以下のようなことを考えるにあたっての材料を与えてくれる可能性がある。文学を通して学んだことを、現実世界に結びつけて考えることのできる可能性を持ったアプリである。)
いくみちゃんのことが好きで、1月6日の電話を終えた後から今日まで、ずっと立ち止まっていました。いくみちゃんのことを考えて、立ち止まってちゃだめなんだって分かっていたけど、立ち止まっていることしかできませんでした。いくみちゃんから連絡が来てシルバーのメルセデスに乗って迎えに行き、赤いバラの花束をプレゼントして、水族館にデートしに行き、夜は夜景のきれいなホテルの最上階で食事をし、きれいなダイアモンドのついた指輪をプレゼントし、いくみちゃんの笑顔が見れたら良いなぁと考えていました。だけど、それは僕の希望だけでいくみちゃんの希望とは一致しなかったのですね。電話で話しているときも、ずっと僕はいくみちゃんに甘えていて、いくみちゃんの望む人になろうとはしていませんでしたね。いくみちゃんが出かける準備をしなくちゃいけない時間になっても、僕はいくみちゃんに甘え、何度も延長してしまいましたね。僕はいくみちゃんと繋がっていたいという自分の気持ちしか考えていなくて、いくみちゃんの気持ちをちゃんと考えていませんでしたね。
http://ameblo.jp/eiichiikumi/
過去のメッセージです。
言いたいことが伝わるように上手く書くのは難しいですが、書きます。いくみちゃんと出会ったことにより、僕は「私」を見つけました。「私」というのは「仮面」をかぶらない本来あるべき姿の「私」です。いくみちゃんには心のすべてを開くことができ、僕は本当の「私」という存在の実在に気づくことができました。それまでは心の外側に仮面や石のレンガを積み重ねることで、それが僕を安心させる拠り所となっており、「私」が「私」なのではなく、「石のレンガ」が「私」となっていました。しかし、いくみちゃんの前では「私」が「私」であり、「仮面」をかぶらない「私」が存在するということに気づきました。その状態がいかに生きやすいか、いかに幸福であるかを感じ取りました。いくみちゃんは「私」の心を解放してくれて、そしてすべての世界がそこに開けました。
いくみちゃんと話しているとき、僕は保育園にいた頃の「童心」を思い出していました。子ども時代の心を思い出すことによって、そして今現在の「私」のいる位置との比較によって、僕は「私」がどうあるべきかに気づきました。いくみちゃんと繋がっていた時間は永遠であり、それはまさしく子ども時代の神話的時間でありました。それは時計で示される実際の時間に支配されない時間です。だからこそ、その時間が終わることを拒んでしまったのでしょう。その神話的時間が終われば、僕がが本来あるべき「私」として存在し続ける前提が崩壊してしまうかもしれないのですから。
いくみちゃんは、いくみちゃんとの会話は、僕の固定化された「物語」を壊してくれました。その「物語」は「私」をがんじがらめにし、僕を本来あるべき「私」から遠ざけるものでした。僕はいくみちゃんに会うまで、いくみちゃんとの「物語」を体験するまで、それまで持っていた「物語」とは違う「物語」の存在に全く気がついていませんでした。いくみちゃんが僕のそれまでの「物語」を壊し、そして新しい「物語」へと更新してくれました。その新しい「物語」は「私」が「私」であるということを絶え間なく理解させるものなのです。いくみちゃんと一緒にいたいです。だけど、それが不可能で立ち止まっていてはいけないのです。常に経験を更新していき、新たな「物語り」を構築していく必要があるのです。
いくみちゃんと一緒にいた世界は、僕にとって「恐怖」のない安全であり、安心できる「場」だったのです。いくみちゃんとは初めて話したにもかかわらず、よそ者という感覚は最初から全くありませんでした。いくみちゃんは同じ「場」を共有できる存在でした。同じ「場」を共有するということはつまり、身体・倫理・論理に求められる3つの条件、拠り所を共有していたということです。僕といくみちゃんのお互いのルールが共通していて、安全を感じ取り「恐怖」のない、安心を感じる同じ「場」に存在することができたのです。
「生」と「死」について、「生」はいくみちゃんと出会い繋がっていたときで、「死」はいくみちゃんと離れ離れになった(別れた)状態である。人は生まれ必ず死ぬわけであり、いくみちゃんとは出会い別れがあるわけである。いくみちゃんとの出会い(「生」)、そして別れ(「死」)。「死」を恐れることも、また自分自身と「死」を無縁にすることもだめである。必ず「死」が待ち受けていることを自覚して、今生きている自分の存在に意味付けをし、何をすべきかを問い、主観的に「生」を見つめ、いかに生きるかということを考えなければならない。「死」と向き合うことで、いかに「生」を充実させるかが重要である。
いくみちゃんと過ごした時間、僕はまさに「異界」(別世界、他界、冥界)に存在していた。「異界」とは現実世界を映す鏡であり、真の姿を映す世界である。僕はいくみちゃんと過ごした「異界」で、本当の「私」を発見することができた。また、「異界」で真の「私」を見つめたことで、現実世界においてもいかに「私」を生きるべきかという目標を見出すという思考につながった。「異界」を知ったことで、「私」知り、現実世界見つめ、そこでどう生きるかを考えた。いくみちゃんとの異界体験により、現実世界を再認識し、自分とは何なのか、社会とは何なのか、また自分を世界の中でどう位置づけるかを考えるという抽象的思考を通し、より良い生き方を模索することにつながった。
提案があります。
グリード・アイランドはご存知でしょうか?簡単に言うと、現実世界に存在する仮想世界(ゲームの世界)です。現実世界を舞台にして、仮想世界を生きるということです。ここでの提案内容は、僕と仮想世界で一緒にいて欲しいということです。あくまでも仮想世界なので、現実世界のいくみちゃんに迷惑をかけることはありませんし、現実世界のあらゆる縛りは存しません。まずは一度、僕と一緒に仮想世界をプレイしてみましょう。
現実世界での、僕からいくみちゃんに対する、あらゆるメッセージは今回が最後です。そして、電話しているときにはずっと甘えていたので、急にまじめな自分になるのが恥ずかしくて伝えられなかったことがひとつあります。次のメッセージが、それであり、僕からいくみちゃんに対する最後のメッセージです。
「幸せになってください。」
愛を込めて💝えいいちより
LINE:yloph54