伊達政宗が三十年早く生まれるということは、伊達輝宗と同じような人生を送るってことですね。それ以外にどういう予想も立ちません。
伊達政宗が、たとえば父に比べてとびぬけて優秀なDNAを持っていた、なんてことはないんで。政宗が颯爽とした活躍をしたように見えるのは、秀吉。家康と渡り合った、という派手な経歴があるからです。三十年も早く生まれていたら、そんな「中央の覇者」たちとカラむ経験もなく、したがって全国区の知名度も得られず、ちょっと活躍した地方武将として終わってます。「天下の覇者になろう」なんて気は一瞬も起こさないうちに生涯を終えているでしょう。
するに、政宗はあの時、あの場所に、あのひとの息子として生まれたから、あなたの知る伊達政宗なんです。人間は、九割九分まで、環境が作るんです。他の時代に他の場所で他の条件で生まれていたら、それはまったく別の人物です。「伊達政宗がもっと早く生まれていたら」とか「もっと京都に近い場所で生まれていたら」とか言う人がいつもいますが、それは政宗本人にとって失礼だし、いい迷惑だと思いますね。