我が家では、年に何回か海外からのゲストを
ホームステイで受け入れているのですが
去年受け入れたアメリカ人の大学生と話していて
改めて「学ぶこと」について考えさせられる
出来事があったのでシェアします。
ある日、近所のとんかつ屋さんで夕食を食べた帰り道。
自宅まで歩いていると
彼が道路の案内標識(青看板)を見ながら、
不思議そうに尋ねてきました。
「あの漢字、全部読めるの?」
「えっ?」と思った私は、
「もちろん!地名だし、大人だったら誰でも読めるよ」
さらに、小・中学校の義務教育の中で
2000字の漢字を習うことを伝えると、
「OMG……」
信じられない!というような表情で、
しばらく天を仰いでいました(笑)
その姿を見て、私は改めて思ったのです。
日本人にとって漢字は、
小学1年生から当たり前のように学ぶもの。
毎日少しずつ習って、
書く練習をして、テストを受けて。
そうやって、少しずつ読める漢字、
書ける漢字を増やしていきます。
好きだから覚える。
嫌いだから覚えない。
そんなこととは関係なく
「学ぶもの」として当たり前のように
繰り返してきたものですよね。
(小学2年生の娘を見ていても
その習慣は今も変わっていないなと感じます)
そして、慣れてくると
最初は複雑に見えた漢字も
「あ、この部首知ってる!」
「この部分は前に習った漢字と同じだ!」
というように、知っているものとつなげながら
覚えられるようになります。
でも、彼にとっては違います。
知らない漢字がずらりと並んでいる標識は
まるで呪文のように見える。
「Crazy!」
そう言って眉間にしわを寄せた彼の表情が
今でも印象に残っています。
彼がもう一つ
教えてくれたことがあります。
アメリカ人にとっても
スペルは「学んで、書いて、覚える」
ものだということ。
当たり前ですが、人は誰でも、
最初から文字を読んだり書いたり
できるわけではありません。
何度も見て、書いて、読んで、繰り返す
その積み重ねによって
少しずつ自分のものになっていくのです。
英語を第二言語として
学ぶ私たちにとっても
それは同じ。
「英語が書けるようになりたい」
「単語を覚えたい」
「英文をスラスラ読めるようになりたい」
そう思ったときに必要なのは
特別な才能ではありません。
何度も触れること
何度も声に出すこと
何度も書いてみること
そして、その繰り返しを
「当たり前」にしていくこと。
漢字を身につけてきた私たちなら
その力はすでに持っている。
英語も、最初は「呪文」のように
見えるかもしれません。
でも、少しずつ知っている音や単語
ルールが増えていけば
「あ、これ知ってる!」
「これと同じだ!」
という瞬間が必ず増えていきます。
英語ができるようになることも
特別な人だけができることではない。
必要なのは、少しずつ学び、繰り返し
自分のものにしていくこと。
海外からのゲストとの何気ない会話から
そんな当たり前だけれど大切なことを
改めて感じた出来事でした。
(写真は彼からのお土産です)