私の生い立ちからぎゅっと詰まった

ストーリー仕立ての想いを3本だてで書きました。

 

 

どんな経験を経て、どんな想いで

何を考えて活動しているかは

こちらを読んでいただいたらわかります^^

-------

①はこちら。←今ココ

②はこちら

③はこちら。

 

-------

 

人生って本来とっても自由なものです。

自由っていうのは、

自分で決めていいってこと。

 

 

 

自分で決めたことで動いていると

それがどんな結果になったって

そこには喜びがあります。

 

 

けれども、

社会、親、世間などの目に

縛られてしまって

自由に動けなくなっている人が

たくさんいます。

 

 

誰かが決めた枠に囚われてしまって

自分ではないものになろうとしたり

誰かに合わせようとしたりして

 

 

「自分はどうしたいのか?」が

分からなくなってしまう。

 

 

 

そしてどんどん人生が不自由で

楽しくないものになっていく。

 

 

それはとってもとっても苦しいことです。

私もその世界にいた一人でした。

 

 

 

そして、そこから出た経験から

 

 

 

せっかく人間に生まれたんだから

もっと自由に心の感じるままに

生きられる人が

増えたらいいなーと思っています。

 

 

カラダと心という

最高のツールを通じて、

その人が自分の深みに触れて

それを羅針盤にして

 

 

自由で、軽やかで、柔らかで、深みのある

喜びの世界を生きる人が

もっと増えてほしいと願っています。

 

 

 

私がどうして今の活動をしているのか?は

この気持ちが原点。

 

 

どうして私がこんなふうに考えるようになったかというと。

 

 

それは

 

 

宗教2世として育ってきたことにあります。

 

 

「私このまま生きてていいんだ、、、」

 

 

今から20年前くらいのこと。

その日の朝焼けの色は今でも忘れられません。

 

 

ネットカフェで決死の調べものを終えた朝5時ごろ。

 

 

会計がおわってドアを開けた途端、

びっくりするほど鮮やかなオレンジ色の空が

目に飛び込んできて

 

途端に視界がぼやけ、

それが涙だと気づくのに

しばらく時間がかかりました。

 

 

ここが私の人生が本当にスタートした日。

 

物心ついた時から

週に3回火木日は集会へ行き

神様が一番じゃなくなる

誕生日、クリスマス、おひなさまなどの

季節行事は禁止。

 

 

もうすぐくるという「世界の終わり」に備えて

伝道活動をするということが人生のほとんど。

 

 

悪いことをするとムチが与えられ、

それは私が悪い子だから、

それをよくするためにされるもの

という価値観で育ってきました。

 

 

 

当時はそれを自分で選んだと思っていたのですが

振り返ってみると

「母を喜ばせたい」や

「機嫌を損ねたくない」の一心で

小さい頃から頑張っていたんだなーとわかります。

 

 

 

ホントは、

罪悪感なしに友達と遊びたかったし

(世の人と交わりは禁止されていた)

 

友達とのテレビの会話についていきたかったし、

マンガも読みたかったし、

ソフトボールもやりたかったし、

誕生日もやってみたかった。

 

 

ただ、これ当時は

我慢しているつもりすら

ありませんでした。

 

 

なぜなら

そうじゃない世界を見たことがなかったから。

閉じられた世界で育った私には

選択肢はなかったのです。

 

 

ずっと我慢とも気づいていなかったものが

とうとう堪えきれなくなったのは、

アルバイトをはじめて

外の世界を知ったことがきっかけでした。

 

 

 

 もっと自由になりたい!

 

 

 

信者ではない父の仕事を手伝う名目で入学した

高専の卒業を間近に控え、

卒業制作のためにお金が必要になり

始めたのは「水泳の先生」のアルバイト。

 

 

水泳なら好きなことで、

しかも伝道活動するにも

融通が効きそうということで

許可をもらったアルバイトは

本当に楽しかった!

 

 

 

今まで閉ざされていた世界が一気に目に入ってきて

「知ることすら許されていなかったことを知るチャンス」がきたことで、

私は水を得た魚のようになっていました。

 

 

 と、同時に

そのあたりから学校へ行くふりをして

本屋さんに行き漫画を立ち読みしては

帰ってくるという

私しか知らない「ふさぎ込んだ時間」が始まったのもその頃。

 

 

 

 人がいる前ではとても元気な私。

 

 

でも誰もいないところでは

お話の世界に逃げ込むことで

世界から自分を切り離して

心の均衡を保っていたような気がします。

 

 

 

そうこうして、高専を卒業し

アルバイトと伝道活動の日々がスタートしましたが

だんだんと伝道活動に情熱が持てなくなり

月に90時間というノルマのある

伝道活動の報告時間数を水増ししたり

 

 

 

それについての罪悪感に苛まれたりしているうちに、

宗教で禁止されていた「恋人」ができました。

 

 

良心の呵責に耐えられなくなった部分と

もうこんな伝道活動に生命を捧げる生活から

自由になりたかった私は、

 

 

母に全てを打ち明け、宗教裁判にかけられ

「排斥」という措置を受けることで

宗教をやめることにしたのです。

 

 

 

やっとこれで自由になれる!

 

 

 

そう思ったのもつかの間。

本当の苦しみの日々が始まったのは、

ここから。

 

 

 

私は自分がいかに洗脳されているのかに

気づいていなかったからです。

当時はまだ心のケアをすることには

思いも至らないうえ

 

 

 

隔絶されていた世界から

シャバの世界に急に飛び込んだ私。

常識を知らないうえに

 

 

宗教をやめた後も、

宗教の教え自体は真理だと思ったままだったので、

今度は

「世界の終わりに滅ぼされる恐怖と神の教えに背いた罪の意識」に

苛まれるようになりました。

 

 

 

罪人の私は生きるに値しない。

いつ世界の終わりが来るかと

ビクビクして暮らす日々。

 

 

 

でもアルバイトはその時はとても楽しい。

そんな刹那的な生き方

(今思うと全然違うのですが当時は、

世の人の間で楽しむこと=刹那的となっていた)

をしている自分がクズのように思えて、

さらに心は痛むばかり。

 

 

 

さらに、母は宗教の教えに従い、私を無視。

これは無視することで

悔い改めた私が宗教に戻ってきて

世界の終わりから救われるようにするために。

家に帰ってくると

母から脅迫文めいた手紙が

残っていることもしばしば。

 

 

また今までの交友関係は

宗教内だけのものだったのが

やめたことで一気にゼロになり

つながりが断絶。

強烈な孤独感にどうしたらいいのか

わからないまま数年が過ぎました。

 

 

そんな私に転機が訪れたのは

水泳アルバイト→契約社員から、

フィットネスクラブの正社員になったこと。

 

 

ある程度の経済が保障されたのを期に

私は家をでました。

 

 

いろんなことを考えない、

感じないために仕事を打ち込んだおかげか

仕事は上々。

昇進もしたし、

全国的に誇れる仕事もできましたから、

それはとても誇りでした。

 

 

仕事ではいつも元気で疲れ知らずのインストラクター

少し名のしれた会社で

マネージャーとしての地位がある。

 

 

でも休日は、虚無とカオスと無気力で

夕方まで起きることができない生活をしていました。

 

 

 

そんなある日のこと。

「もうこんな状態は耐えられない、、、」

私は、とある決意を固めました。

 

 

 それは→②に続く

 

 

 

 

ルート由夏の公式LINE

ワークショップや講座は公式LINEから募集しています♡

下のバナーをタップで追加できます^^

不定期にLINEでだけ読めるコラムもお届けしてます。

 

 

無料FBグループ「枠をはずして自由に生きる♡」
定期的にLive配信やってます!

下のバナーをタップするとグループに参加できます^^

 


Twitterやってます!

リアルタイムのつぶやきはTwitterから!
フォローしてね♡