ルート由夏です♡

 

 

もう2月ですね(汗)

(このペースだとまたすぐに年末になるな)

 

 

 

本日は108感謝ワークの会を開催しましたー!

総勢18名♡

 

専用のワークシートも作ってもらいました♡

かわええ。。。

 

 

感謝ワークってさ、ちょっとなんというか、、、

うさんくかったりしませんか?

私は、たいそうそう思ってましたwww

 

 

けども

感謝ワークいいよ。

っていろんなところで、、

おすすめされている。。。

 

 

で、

いろいろやった結果

私も「感謝ワークいい!」派(←?)になってるし

人生がワープした感ハンパないです。

 

 

じゃあ、

うさんくさい派だった私が

絶賛推進派になった背景と

人生がワープするとき、しないとき

一体なにどう違ったのか?

という考察を書いてみようと思います。

 

 

 

安定の長い前置き。。。ww

 

 

 

まず

感謝ワーク推進派になった背景から。

 

 

自分がしっくりくる感謝ワークと

あれ?ってなる感謝ワークには

違いがあることを発見しました。

 


病院ごっこ好きの姉にコスプレされている妹。笑笑


 

あれ?ってなる感謝ワークは

どこかムリやり感があるのです。。

 

 

嫌なことなのに、、、

これにありがとうって言えっていうの?

みたいな。

 

 

感謝ワークってこの今の気持ちを

ありがとうでなかったことにするもの。

っておもってたの。

 

 

つまり

自分の今の気持ちが消されることに

ものすんごい抵抗があったんですねー

 

 

 

でもこれ

私のああ勘違いだった。

 

 

感謝するって、

イヤだったものを良しとすることじゃなくて

(だってイヤなものはイヤ)

 

 

イヤだったことを、イヤだったな。

って認識すること。

でした。

 

 

で、イヤだったなと認識できれば

「何がイヤだった?」

「どうイヤだった?」

とか、いろいろ自分の話を聞ける。

 

 

 

つまり、

感謝ワークって

自分の気持ちを一切消す必要がない!!!

 

 

これは、ほんと楽。

そのまま、

今感じているままの自分でよいので。

 

 

 

けど、

おうおうにしてやりがちで

私も今でもやることありますけど

 

 

イヤなものはイヤー!!!となったら

自分でそれを持っておきたくなくて

すぐにフタをしてしまう。ってあるでしょー

 

 

でもさ

イヤなことを認識すらしようとしないと

そのさきの自分の声を聞くチャンスが消えるから

自分の感じていることは

もっともっと分からなくなっちゃうんだよね。

 

 

そーなったら

感謝ワーク推進派になりました♡

 

 

 

 

そんで、

人生がワープするとき、

しないときの違いについては

 

 

「自分の声」を聞くことができるか。

これだけだった。

 

 

私が推進派になった

どんな気持ちも認識する目線の感謝ワークだと

今の気持ちから

自分の声をきくことが可能になる。

 

 

自分の声を聞くって

 

 

「イヤだな」って気持ちがそこにあるな。

と存在を認識すると

 

なんでイヤ?

どーしてイヤ?

どんなのがイヤ?

 

とかインタビューできる。

この

インタビューした声の先が

「自分の声」

 

 

 

けれども

長いこと私は「イヤ」という反応が

自分の声だと勘違いしてまして。

すると

どこにも進まないのですよねぇ、、

 

 

イヤだったら

それを持っていることすらしたくないから

人に投げるか、フタをするかの二択だった。

これがワープしない時に起こっていたことでした。

 

 

けど、

一旦「自分の声」を聞き始めると

「こんなことがイヤだった」

「あんな風にイヤだった」

「それはどーしてそう思うんだろ」

「どーしてこうやって言いたいんだろ?」

 

いろーんな自分の声が聞かれ始めて

そーすると

「ホントはこうしたい!」ってのが

勝手に出てくるようになる。

 

 

そーするともう、

行動しようなんて思わなくても

自動操縦的に、

ああこれをやる「べき」なんだな。

って、

 

 

ねばならない、ではなく

必要なことを淡々とやるという意味の「べき」が

自分に生まれて、勝手に進んでいく感覚。

 

 

今までの努力しようとか、行動しようとか

そーゆーのが全く、的外れな問いだったのか、、、

と気づきました、、、

 

 

これが私がワープしたなーと感じるときに

起こっていたこと。

 

 

つまり

ワープするとき、しないときの違いは

「自分の声を聞いているかどうか?」

 

 

 

もっというと

自分の声を聞くきっかけになる

内側に起こるどんな気持ちも

一旦受け止めているかどうか?

 

 

これを書いていても、

これからもきっと私は

自分の声や気持ちを見るのを

忘れることがあるのでしょうが

 

 

それでも

やっぱりここに立ち戻りたいなーと思った次第です。

 

 

そんなわけで

(どんなわけで?)

 

 

私の考察を読んでくれたあなた、本当にありがとう!

 

 

ではでは!