先日、ボディワークの恩師がなくなりました。

カウアイ島で私のハートに触れた先生。

亡くなったことを聞いたその日は涙が止まらなかった。

 

当時の私の英語力では深く話ができた訳ではないけれど

あんなに、涙が止まらなかったのは

その存在の大きさや、全てを受容しているあり方が

彼の手を通して、私のカラダに直接受け継がれているんだな。

っていうこと。

 

もう一度彼から教えを受けたかった。。。

もっと早く会いに行けてたらな。なんて思ったけど

人のカラダに存在ごと触ることの深さを

自分の死をもって教えてくれているんだと気付いた。

 

 

久しぶりに

死ぬこと、存在としてそこにあることについて

考えさせられる機会。

 

明日、命がなくなるとしたら。

6ヶ月後に命がなくなるとしたら。

1年後に命がなくなるとしたら。

5年後に命が無くなるとしたら。

 

一体、何を始めるのか。何をやめるのか。

 

命がずっと続いていくような気がしているけれど

本当は、誰だって明日命が無くなる可能性がある。

 

今ある命の一分一秒は、確実に

カウントダウンに向かい続けていて

今この一瞬が、自分が持っている

一番長い時間なんだよね。

 

死んだ後のことはわからないけど

死んでしまったら

今このカラダのおかげでできることが

できなくなるのは間違いない。

 

 

そうしたら

今までのような時間の使い方はできないな、と感じた。

 

じゃあ、今後はどうやって時間を使うのか。

つまり、命をどんな風に使いたいのか。

 

 

私が決断したことの一つが

「心配に時間を取られることを、やめる」こと

 

 

お金、健康、人間関係、環境問題。

いろいろあるけど

家族で楽しい時間を過ごしていても

心配事にエネルギーをたくさん取られているとしたら

なんか嫌だな。って思ったの。

 

存在そのもので、この時間、瞬間をいっぱいに生きたいから。

 

 

心配事は無くならない。

でも、

エネルギーの配分的に最低でも90%くらいは

楽しい時間の方に意識を向けたい。

 

だってね

きっと後2時間で死にます。ってなったらね

私は、家族といる幸せを全力で味わうことを選ぶ。

心配なんかしないで、今この瞬間にある

この瞬間を胸いっぱいに焼き付けたいと思う。

100%でそれを感じるはず。

 

なんか、書いてて泣けてきた。

 

でね、それを思った時に

心配事は無くならないけど

自分の中のエネルギーの配分は選べるんだ。って気付いた。

どっちにどのくらい配分するかの決定権は

自分にある。

 

じゃあ今、この瞬間から意識して

それやろう。。

って決めたのね。

 

今ここで、全部の瞬間の幸せをカラダ全部で味わう。

 

 

それこそが、恩師が言っていた

私がやっているボディワークの

コンセプトを生きることなんじゃないかな。

 

だからこそ、今ここにもう一度宣言しておこう。

 

 

 

 

 

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