especially this year. Because the horse DEEP IMPACT which is most popular in the history participated in the race and it is the last race. Many people are very interested in watching his race and bet much money.
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especially this year. Because the horse DEEP IMPACT which is most popular in the history participated in the race and it is the last race. Many people are very interested in watching his race and bet much money.
Do you know the word "dementia"?
I also knew this word today, though I has known it in Japanese.
The trigger I was interested in was the reaction of my mother-in-law.
Last Sunday NHK broadcast the program regarding the dementia.
In that program , the clock test was introduced to find the hidden dementia.
I watched it purposelessly at first but the part of the clock test was very interesting for me.
When the part was finished, I changed the channel.
I tried the test myself. The result was OK. The next day I called my mother and talked about the program. My mother also watched it and she also tried and OK.
Actually to draw the clock which says ten fifty seems very easy for normal person.
So I carelessly made the test my mother-in-law try because I never thought she couldn't draw it. But she couldn't.
I was so upset that my face expressed the astonishment, maybe.
At that time she didn't seem to care about it, later she called my sister in law and reported that she was told the dementia by me.
Oh my god!!
I didn't mean to do that and I thought I could cover up my fault.
But it didn't work well.
It's really difficult for me to communicate with my mother in law.
お風呂の中で考えたことは、もっともっとあって、時間が足りなくて英語にできないので、ここに書いておきます。そのうち英語になおしましょ。
いろいろ考えていることを旦那に相談すると、極端に言うと”暇なんだね”の信号が返って来ます。もちろん、いっしょに相談に乗ってくれたり、気遣ってくれることはありますが、根底にあるのは、”暇なんだね”という信号です。確かに、旦那はそんな心配をする暇がないほど、忙しく働いてますし、私から見れば、仮に暇ができれば、暇をなくしたいかのように予定を入れます。暇でいられないのでしょう。一種のこれも病気でしょうか?多分旦那自身は気づいてないと思いますが・・・・。
暇がなければ、考える時間はない・・・・。考える時間がなければ、不安になっていることもない。確かにそのとおり。今私は専業主婦で、かつ子供もいないので、だんなのいうところの”暇”はたくさんあります。子供がいないので、ついつい老後のことを考えてしまいます。家も去年買ったばかりで、借金もありますし、蓄えも残さなくちゃと思います。
外に出て忙しく働いていたことも以前はあって(旦那ほどじゃないけど)、確かに忙しいとそんな不安を持っている暇もありません。ただ、時々忙しくないときができて、ふっと振り返るとあれ?このままでいいの?とか今までは何やってきたんだ?という想いが頭をよぎります。そんなこともよぎらなくなるほど、忙しくしていれば、それはそれでいいんでしょうけど、引き返すことのできない所やそんな余裕のないところまで来て気づくのもいやだなあと思います。
よく聞くフレーズの”たった一度しかない人生なんだから・・・・”ってそう思います。じゃあ、失敗しないためにとか後悔しないためにとか考えながら進んでも、不確定要素が多すぎるこの世の中で、これで安心とか万全なんていう状況を作り出すことはできず、毎日悶々と過ごすのが良いかと言うとこれも前者と似たり寄ったり、結局悩んだり不安に思っていることに時間を使ってしまい、何もできていない(今の私がそれだ!!)
たとえ今私が抱えている不安や悩みがすべて解決したとしても、それが解決したことにより新しい悩みや不安が出てきたり、もしかしたら増えたりする可能性だって大だ。
これさえ解決できれば、OKってい言うものを解決しても、その状況になると以前は見えていないものが見えてくるんだろう(今までの経験上)
それがひどいのがうつ病とかになるのかな?そう考えると、適当なところで、適当に悩んでいるのが一番いいのかな?思い切り悩まずに、悩んでるような気になって、そしてその悩みが解決すれば、いいことがあると信じながら・・・・。
今までの経過を見てくると、現在ある悩みを解決しようとしてやっきになって、無事解決できたとしても、それによって別の悩みが出てきて、また不安になって・・・・。それを自分一人でやっている分にはいいんだろうけど、だんなまで巻き込んでやってたら、旦那もたまったものじゃないよね。
旦那からは”どうしていつもおまえの希望をかなえてあげてるのに、文句言われなくちゃいけないんだ?”という信号をもらう。以前は、いっしょになって考えてくれないからじゃないとか男と女は違うとか性格の問題とか、いろいろと考えてみたけど、結局私自身が満足する状況とか目標がはっきり分かってないから、いろんなところに引っ張りまわしているのかも・・・・・。っていうか満足するような状況はありえないのかも・・・・。
旦那に当たる前に自分探しをした方が良いのかな?
考えれば、考えるほど分からなくなってきて、考えるのに疲れて考えるのをやめてしまう。答えが出ない状態のままだから、また、何かあったときに同じように考えるんだよね。
何も心配事がなくなる状況なんて、この世にはないのかもしれないし、もしかしたらその状態はボケているという状態なのかも知れない。こんだけ価値観がばらばらで複雑になった社会で、いろいろな情報に接しながら生きているんだから、安穏とした生活にはなりえルはずがない。だから、不安や悩みがある状態の方が正常で、ない方が異常なんだろうなあ。
それでも、生きていかなくちゃいけなくて、そう考えると自殺者が多いのもうなづける。何のために生きてるの?って。特に子供は大変だよね。もし私が今の世の子供だったら、つらいよなあ。そう考えると、あえて子供も要らないかもと・・・・。
前にもどっかで書いたことあるけど、タロットカードの愚者が好きなカード。がけっぷちにたっているのに、前が見えなくて微笑んでる。初めてタロットに出会った頃、中学生くらいかな?その頃はその表面的な意味しかわからなくて、愚者にはなりたくないっていうか馬鹿にしてたけど、今は知ること分かることの諸刃の刃がわかる。知らなければ、気持ちが穏やかでいられることが、たくさんあるから。っていってもそんなに私が凄いわけではなく、どっちかっていうと他の人より見えてないんだけど、知ったからってそんなに凄いことなのかと最近思う。知らないことを知らなければ、それはそれで、いいような気もするし、知らないことを知ってしまうと苦しいしなあ。ああ、なんて後ろ向きなコメント。
だまされていることを知らなければ幸せだし、笑われていることを知らなければ、仲良くできるものね・・・・。
自分が知らないことを知っている人や自分が考えつかないことを考えつく人のことを手放しに尊敬していた時期もあったけど、最近は・・・・。
知らなくていいことって結構あるんだなあと思う。
仮に知らないがゆえに、不利益を被ったとしても、知らないからと自分に言い訳できるし・・・・。
知ったがゆえに信じられなくなったりすることの方がものすごい不利益に感じることも・・・。そういう意味で愚者は意味深い。
知ったことでほんのちょっとの利益を得ても、実は見えない不利益を被っていることって結構多いような気がする。
信じるものは救われる。知らなければ、素直にいろんなことを信じれるんだけどね、いったん知ってしまうと、信じられなくなっちゃうんだよね。どちらを選ぶかはその人次第。これも自分の選択。自分の目に目隠しをして、見ないようにすることもできるし、大きく目を見開いて、よく知ることもできる。
人生って奥が深い。何気なく使われている、ことわざや教えが心に響く今日この頃、私も年を取ったのかなあと感じます。これがもう少しすぎると、きっと自分の進む方向が定まって、不惑の40になるのでしょうか?でも、昔よりいろんな情報や惑わすものが飛び交っているから、不惑になるのはもっと先か、はたまた不惑にはならずに人生を終えるのかもね。
論語とか孟子とか先人の残した書物を読んでみるのもいいお年頃なのかもしれないね。自分の行く道が見つかるのはまだまだ先だとしても、道しるべにはなるのかねえ?それとも昔から同じようなことで悩んでいたんだと、安心できるのかねえ?
人間は、動物のトップのように言われることも多いけど、私には動物達の生活がシンプルでよく見えるときが時々ある。弱肉強食。食えなければ、死ぬ。私がその世界で生きていたら、きっと弱肉の方だけど、それはそれで、いいように最近おもう。
動物達は生きるために疑う(殺されないように)が、それ以外は余計な心配はしない。
死ぬ覚悟さえできてしまえば、動物と同じで、余計な悩みはなくなるのだろうか?
前に一度病院でそのまま死んでいてもおかしくない状況を体験しているので(本人にあまりその自覚はないのだが・・・)、死についてそれほどの恐怖は持っていない。にもかかわらず、どうして私はいろんなことを心配しているのだろうか?いざとなったら死んでしまえばよいという覚悟をもって、生きて行くことができたら、怖いものはないと思うのに・・・。例えば、老後のことを心配してる・・・・。へん。
大体、今生きていることにあまり実感がない。小さな頃からオカルト雑誌を読んでいたためか、コンピュータが発達して、バーチャルナントカがほんとに進歩しているからか、宇宙のことに興味があって、そんなことを考えていたからか、とにかく自分の存在があまり実感できない。特に宇宙の中の自分を考えると、自分には信じられないような世界が存在し、しかも膨大な時間の流れの中で、一瞬にも満たない、瞬間と呼ぶのもおこがましいような自分の人生。そんな中で、人間は怒ったり、笑ったり、悲しんだり、泣いたり、喜んだりしてるのは、なんか不思議な感じがする。
感覚で言うと現実世界に生きて感じている脳とそれを外からみている脳。とりあえず、細い糸のようなものでまだ、繋がっているけど、これが切れれば、現実社会から見れば、あっちの世界に行っちゃった人になるんだろうな。そして、それを笑われようが誹しられようが、切れてしまえば気にならなくなるんだろう。お釈迦様や仙人等もそういう類じゃないかなあと思う。
私の場合、まだ、現実社会に未練があるらしく、まだ、ここにいたほうがいいよと一生懸命現実脳が警告を発しているが、それがどの程度の強さなのか、思ったより太い糸なのか細い糸なのか自分では良くわからない。が、なんとなく細いような気分になっている。
現実脳から離れてしまえば、現実社会の悩みからも解放されるんだろうなあ。お釈迦様もそういう意味で、解放されたのかなあ?それともやっぱり現実脳を持ち合わせたまま解放されたのかなあ?
現実脳から解放されると、なぜ生きてるのかとか何のために生きてるのかとかも悩まなくなるのかなあ?でもそのかわり、違う何かがあるのかなあ。興味があるところではあるが、いったん向こう側へ行ってしまったら、もう戻ってはこれないような気もするし、
それができたのがお釈迦様だったのかなあ?
とにかく、今日は疲れた。途中でエラーも発生して、消えちゃった分もあるし、でも、もういいや、悩むのに疲れたから。
また、後で見たときに、面白いかもね。何年か後。それまで、アメブロ続いてますように。