佐賀藩は寛文3(1663)年、湊川の戦いの直前の「桜井の決別」の像を作成 し、大正成を「日本無双の名将、忠孝の勇士」と称え京都の仏師に、正成、正行親子の像の制作を依頼しました。
さらに嘉永3(1850)年5月、弘道館の教授であった枝吉神陽を発起人として「義祭同盟」が結成され梅林庵で初めての楠公義祭が行われました。
副島種臣=や島義勇、大木喬任、大隈重信
私の高祖高祖父も参加しました。
後年水戸藩におきましても、徳川光圀公によって始められた歴史書『大日本史』の編纂を通じて国体思想が形成され 天保期以降、第9代藩主徳川斉昭のもとで尊王攘夷思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となりました。
儒学思想を中心に、国学・史学・神道を折衷した思想に特徴があります。
これらの活動が明治維新に繋がって参ります。