西行法師の生涯
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藤原北家魚名流俵藤太秀郷の末裔 俗名 佐藤義清。
父 左衛門尉佐藤康清は、紀伊国那賀郡に広大な荘園を有し、左衛門尉・検非違使を勤めた佐藤一族の出であり、母の名前は源清経女 弟である仲清は、西行が出家したあと西行の家や家族を引き継いだ。
西行は、保延元年(1135)、十八歳のときに兵衛尉となり、鳥羽院の武士として安楽寿院御幸に同行する。
しかし、友人の死が引き金となり、保延六年、二十三歳の若さで出家した。(一節には失恋の為とも云われている)
西行家集として 山家集 山家心中集 聞書集 残集 などがある。
別系統の家集 として異本山家集 西行上人集 西行法師家集
勅撰集には 詞花集としてのっており
新古今集には 九十五首 二十一代集に計二百六十七首を選ばれており最多歌仙人でもある。
