今週の木曜会は関野直行先生でした。 

田村が46歳の時に見えない世界に目覚めた時、関野先生はすでに見えない世界を学んでいた。シャーリー・マクレーンの本にも登場するチャネラーのケビン・ライアーソンを来日させた時の通訳もお願いしていました。

 

 先生は1980年頃からスピリチュアルの世界についてのセミナーなどを行うようになる。1981年からハワイにいるチャック・スペザーノという心理学者に1年間程学び、癒しのセミナー(潜在意識を扱いトラウマなどを解消していく)を行う。日本ではその前から気づきのセミナーが流行っていて、潜在意識を思い切り引っ張り出すので、体調を壊し病院へ行く人もいたが、癒しのセミナーは身体と心にやさしい。しかも深く潜在意識に入り問いかける。

 

 日本のスピリチュアルの流れと言うと、ニューエイジとしてはその頃、気づきのセミナーから始まって癒しのセミナーに移り、バシャールが来て、シャーリー・マクレーンの本「アウト・オン・ア・リム」が出版され、チャネリングが流行ってくる。面白半分にバシャールを日本に紹介したら大きな話題になった。

 

 昔シャーリー・マクレーンと初めて会った時の話。シャーリーのプレスコンファレンスの通訳を頼まれ、シャーリー、湯川れい子さんとレストランで打ち合わせ。打ち合わせ中もただのお婆ちゃんにしか見えなかった。レストランにいる客もまったくシャーリーに気付かなかった。その後、メイクのため、彼女はレストランを出て部屋に戻り、再びレストランに戻った瞬間、客が一斉にシャーリーを見た。シャーリーは輝いていて、エネルギーに満ちていた。彼女はスイッチのON.OFFの切替えが凄い。因みに先生はのんびりとエネルギーを出すそうで、温泉のエネルギーと言われているそうです。

 

 人間には表面の意識と潜在意識がある。表面の意識は3%~9%であり、9割以上は潜在意識である。コミニュケーションする時にも表面の意識で理解をしようとしても、9割は分かっていないので、潜在意識に働きかけて本当のコミュニケーションに繋げていく。

 

 催眠とかトランスの状態とかは、潜在意識と直接話すツール。普段の言葉は表面意識と話をするツール。だからコミュニケーションが思いのほか伝わらない。

コミュニケーションの内訳は(言葉の占める割合が7%、抑揚、リズムが35%、ボディランゲージ、雰囲気が58%)。潜在意識の方が影響は大きい。

 

 会場のお客様を前に呼び、トランス状態にして潜在意識に語りかけていきます。潜在意識に話す時は低く優しい声で、表面の意識に話す時は高めの声でテンポを早く話していく。潜在意識から自然に感じているもの、例えば「食べたい」「食べたくない」などの感情も、「1日三食食べなきゃ駄目」とか色んな観念を使って、自然な自分から外れていく。潜在意識にあるものが今の自分である。

 

 断食をして終わった時、身体は自然な状態で、欲するものが必要な物。身体は正直に感じることが出来る。緊張している人は痛みなど感じない。ギュウギュウ押しても痛くない。ところが少しほぐれると痛みを感じる。もう少しほぐれると、気持ちが良いと感じる。感情も押さえていく内に、何も感じなくなる。

 

 人は座っている時と立っている時で性格が違う。温泉で気持ち良いと感じている時と、怒っている時は感情が違うが、すべて自分。潜在意識の中で、色々なことを抑え込んでいるとき(怒り、悲しみ、嫉妬、平和、楽しい、ワクワクなど)それらの感情を繋いで、チャネリングをしている。何かがあったらそれらを出していく。「怒り」は何かズレてるものを戻そうとするエネルギー。「感情」は自分を中心に戻してくれる。

 

 感情の幻想に囚われないように。普段どれだけ囚われて自分を良い子にしたり、迷惑を掛けないように自分を追い込んだり。それらはすべて自分が作り上げた幻想。何の観念もなしに感情を出すと気持ちが良い。感情を出すと自分のバランスをとってくれる。抑えるとバランスが崩れる。

「ワガママから我がままへ」

 

 終盤、先生はお客様と共に、とても大きなエイトスター・ダイヤモンドの上に座っているイメージで瞑想を始めました。お客様も自分の潜在意識使い、座っているダイヤモンドからのエネルギーを感じていきます。日常をしばし忘れ、未来からの沢山の光を浴びていきます。瞑想が終わると、お客様もとてもスッキリしたお顔をなさっていました。

 

 最後に再び田村が登場し

「関野さんは30年以上前から見えない世界、外の世界に目覚めて、一生懸命探究した先は、心の中でした。見事な心の内への道案内でした」と田村が締め、木曜会は閉会いたしました。

 

 関野先生、お客様、ありがとうございました。 

                 

                                                                (平成30年10月6日 古谷 記)