「明けましておめでとうございます」田村の新年の挨拶から始まった今年の木曜会。毎年恒例の大德寺昭輝先生と田村の二人会です。

 

 「大德寺先生はちょうど50歳の誕生日にショールームに来たんですよ。その前年に鳩居堂で初めて展覧会を始めたんです。その時にお祝いに行ったんで、そのお礼に来たのが1か月後の僕の誕生日。なにこれって?今年の2月1日で、ちょうど27年のお付き合いになりました。その日に芹沢光治良先生の所へご案内されて。高名な芹沢先生が大德寺さんを前にして、子供みたいだったんですね。神様に対する純粋な気持ちを表現していて、勉強になりました。毎年毎年1年の最初の木曜会に登場ねがってます。僕は何だか知らないけど、いつもお叱りを受けるのよ。よっぽど神様の道と外れてることがあるのかと思うんだけども」と田村が大德寺先生をご紹介。

先生は大きな拍手に迎えられて、お着物で登場されました。

 

 先生は平成元年より湯河原にお住まいで、当初は川口の4畳半と6畳の長屋に家族5人でお住まいになられていたそうです。家が倒産して、父親が脳出血で半身不随になり、母親が付き添う為、収入がなくなり、先生は大学をやめて、弟や妹の学費を稼ぐ為、朝から晩まで働いていたそうです。朝4時位からコンビニで働いていると、賞味期限のお弁当をくださるそうで、それで、家族は1~2年食べていけたそうです。このように人の温かさにふれて、お助け活動を始めていったそうです。

8のつく日に、数百人の方が来て、お祈りやお話のときを過ごしていたそうですが、その時は家に入りきれないので公園でお待ちいただいて、順番に家に入っていただいたそうです。トイレや風呂場まで使用されていたそうなので、大盛況だったんですね。

 

 当時は家も狭いので、冬の寒い時期に相談のお客様が来ると、先生の父親が「俺が個人的な話を聞いてはいけないだろう」と言い、   半身不随だったために、装具をつけて、話が終わるまで公園で待っている後ろ姿を、先生は今でも忘れられないと、目に涙をためて語られました。

現在でも湯河原の自宅で、8の付く日にはお祈りやお話のときを過ごされているそうです。

 

 芹沢先生との出合いも不思議で、文学青年でもなかった先生は、芹沢先生のお名前も知らなかったそうですが、新宿の居酒屋で深夜2時までバイトして居た時、神様から「芹沢光治良先生と会いなさい」とお告げがあったそうです。

勿論先生はご存知なかった訳ですが、神様に「段取りしてあるから会えます」と言われたそうです。

その当時、先生の父親のいとこが東大の教授をご存知で、それから教授と交流が始まり、神様に言われた通りに、教授に「神様から芹沢

先生に会いに行けと言われ、お手紙を持って来たのですが、芹沢先生をご紹介して下さる方をご存知ないですか?」と教授にお願いしたら、教授自身が6年前から芹沢先生とお知り合いで、紹介して頂いたそうです。また教授と芹沢家を繋いだ方が大德寺先生の御爺さんの弟だったことを、後に知ったそうです。神様から道をつけられていたんですね。

 

 先生のいとこが病気になり2か月程入院された時に、介護について色々と学ばれたそうです。

看護師さんも人間だからやさしくしてあげる、看護を受ける側も家族も偉そうにしてはいけない。「言霊」が大切。

「ありがとう」と言い、やさしくしてあげるようにと先生はおっしゃいます。

またお見舞いに行くだけじゃいけない。お見舞いに行ったら何が出来るだろうかと考えたそうで、きっと自分が臭いと思うと患者さんも臭いと思い、先生自ら、看護師さんの見えないところで、身体をふき、おしめを替え、毎日シーツを良い香りの洗剤で洗濯したそうです。

またカサカサしている体中を毎日オイルでマッサージをし、看護師さんに了解を得て、髪も切ってあげ、人間らしくしてあげたそうです。

すると、患者さんの熱も下がり、病気もみるみるうちに回復し、看護師さんも「患者さんが、これだけ回復したのは、家族の方の愛ですよ」と

言って下さり、先生は「神様」を信じることが大切だと、つくづく思われたそうです。

 

このように数々のご経験やご苦労から、先生のありがたいお言葉が出てくるのですね。

 

先生が毎回行かれる美輪明宏さんのコンサートで感動した「老女優は去りゆく」を、昨年のコンサートで初めて歌った話を田村が聞き、突然のリクエスト。

「別料金いただきます」とジョークを言いながら、アカペラで特別に歌っていただきました。

セリフのあるドラマチックな歌を、感情のこもった美しく伸びやかな歌声でうたいあげ、場内から多くの拍手が湧きあがりました。

「スタンディングオベーションがないですね」という先生の言葉に場内は爆笑。

どんなに曲が良くても詩が良くないと心に残らない。詩は言葉なんですよ。さらに先生はもう1曲、平和を祈り「鳥の歌」を歌って下さいました。場内のお客様は先生の包み込むような歌の世界に、とても感動されていました。

 

最後に「今日は今までで僕に対して一番やさしい会でした」と田村の言葉に、場内は大きな笑い声に包まれました。

毎年、いじられ、叱られしていたのだそうです。

 

新年初めの木曜会は笑いあり、歌あり、感動ありの贅沢な会でした。

大德寺先生、来年も楽しみにしております!

先生、お客様、有難うございました。