今回の木曜会講師は黒澤一樹(いつき :旧ペンネーム 雲 黒斎)さん
1年ぶりの登壇でした。昨年11月に著書「ラブ安堵ピース」を出版された先生が、
老子道徳経について語ってくださいました
「日本人に根付いている仁義礼智信という儒教の教え。
実は、愛を見失ったからこそ、出てきた教えなのです
様々な取引の中で、自分の尺度に合わなければ『愛がないわね』という、
それって本当の愛なのかい?
取引相手という感覚が消えた時に、そこに流れているものが愛というものではないかい?
というのが老子の教え。
たとえば、倒れている人に『大丈夫ですか』と声を掛け
『うるせえ。余計なお世話だ』と言われた時にカチン
と来る。
これが取引なのです。真心だったらそうはならない。
『私は優しく声を掛けた。だから、相手は真心を持って返すべき』という
やり取りになっています。
仁義礼智信を他人に押し付けた時、愛のなさが見えて来ませんか?
モラルという、誰が決めたかも判らないものに縛られて生きる。
我慢している人は『私は我慢してこれをやっているのにどうしてあなたは破るの?』
となります。それは、その人が自分より自由で羨ましいから。
仁義礼智信の中には、あなたの人生を不自由にする手かせ足かせが
たくさん含まれていませんか?
もしこの束縛がないとしたら、人生凄く軽くなりませんか?・・・
僕がこんな話をする度に『ちょっと待って黒澤さん、
みんながみんな好き勝手したら世の中メチャクチャになりませんか?』という方がいます。
いや、ちょっと待て、もうすでにメチャメチャですよね
それは満たされていないから
自分が満たされていたら、誰かを傷つけようという発想にはならないんです。
自分の欲求不満を撒き散らしている
誰しも機嫌のいい時はたいていのことは許せるけれども、
機嫌の悪いときはちょっとしたことでも許せないものですよね
愛とは、あなたと私の間にある心の壁がなくなった状態のこと。
愛のエネルギーは動いているものなのです
言わなくても察してもらえた時、キュンとすることがあるでしょう?
それが、エネルギーがちゃんと流れている状態
ところが、私という壁を作ると流れが止まってしまうのです
人の攻撃を避けるバリア、心の内を悟られないためのバリアがあると
エネルギーのやり取りができなくなるので、
『私これやるから、あなたこれやって』と、取引が始まるのです。
自分のテリトリーを守ろうとするほど我は強くなります
そして、バリアを張り続けることに疲れてしまうのです
バリアを張り続けることに疲れ切って、もういいわ、ありのままでいいわ・・・と、
力が抜けたとたん、バリアがなくなり、エネルギーが流れ始め
シンクロニシティ―が起きるのです
こんなふうに、存在とは何か、愛とは何かを話してくれたのが老子道徳経なんです。」
なるほどなるほど。正論を聞いた時に感じる窮屈感の正体がスッキリしました。正しいことよりも「魂がワクワクすることをしなさい」というバシャールの言葉に繋がりますね。時空を超えて老子の言葉が生きていることを実感しました。
締めに登壇した田村が「これだけのことが話せるなんてすごいねえ。もしかして前世は老子?それとも老子の傍にいた人だったのかな?」と尋ねると「いえ。前世はありません。無我ですから」と、先生。?マークの田村に先生は続けます。「この身体は田村さんの身体で、田村さんそのものではないでしょ?」・・・ますます?マークになってしまった田村と会場の皆さん・・・うーん、奥深いですね。この謎を解きたい方は是非、「ラブ安堵ピース」をお読みください。