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5年前に書いた 『力水』 のその後のお話に現在の私の気持ちを加筆したものを書かせていただきます!

※※以下5年前のブログ

当時、私の考えが変わったお蔭様で行動が変わり始めて、人生が変わり始めたところまで書いた。

その後、考えが変わり始めて、すぐに務めていた運送会社の取締役にさせていただいた。

そしてまた、当時の運送会社の社長と別会社をつくり、専務に就任をした。

私は、その社長のお陰様で会社の経営の基礎を学ばせていただいた。

2年程、一緒にお仕事をさせていただいたが、その会社を辞めることになった。
 
そして、考えが変わりだして、数年経った昭和63年の7月6日に株式会社エイト商事(現在は株式会社エイトに社名変更)を創業をした。
 
4月が誕生日なので23歳と2か月ちょっとの頃だ。
 
当初は、前の会社で経験した物流に関する仕事の営業をしながらのスタートだった。
 
そして、損害保険の代理店や在日米軍の事業者登録をし、会社の基盤をつくろうとした。
 
そんな感じでスタートしたが、世の中そんなに甘いものではなかった。
 
数か月後には、850万円の資本金でスタートした会社の口座には、12万円しか残っていない状況になっていた。

先程も書いたが、当時は、まだ23歳。

経験値も知識も今ほどなく、仕事も無くて、頭を悩ませる日々が続いた。
 
代表取締役の名刺と営業部長の名刺を持って使い分けての営業活動だった。
 
当事の社名は、株式会社エイト商事。
 
明神町4丁目の南多摩高校の側にあるマンションの中の2DKの1室にある怪しい感じの誰も知らない会社だった(笑)。
 
提灯でも飾ってあったら、違う世界の事務所に間違われそうな感じだった。(実際に間違われていたらしい(笑))
 
そして、そんな会社の社長が23歳の若造じゃ~誰も相手なんかしてくれない。
 
世間知らずの私は気にせず、背伸びをして一生懸命に営業をしていた。
 
資本金が底を尽きそうになったが、何とか10月から町田市にある運送会社に運転手を5名派遣をする仕事が始まった。
 
そして、八王子の運送業者2社に5名の派遣も始まった。
 
損害保険の代理店の仕事も廻りだし、年明けには米軍横田基地の初めての仕事のゴミ箱の清掃の仕事も取れた。
 
この米軍のゴミ箱の清掃の仕事は、昭和64年の1月3日から3日間の仕事だった。(作業が終わった次の日に昭和天皇が崩御された)

大変寒い中での冷たい水をつかっての作業は、今でも忘れられない辛い仕事だった。
 
みんなで、手を真っ赤にしながらタワシで一生懸命ゴミ箱を掃除した。
 
そんな感じで、何とか仕事が廻りだしたのだ。
 
何とか軌道に乗ったかと思った2年目の初夏に町田の運送会社が第1回目の不渡りを出した。
 
まだ、会社を始めたばかりで、あんまり知識はなかったが、すぐに債権の保全の為に、トラックを差し押さえに夜中に町田の運送会社に飛んでいった。
 
勝手にトラックを持ち出すと、他の債権者等に窃盗で訴えられてしまうかもしれないので、残っていたそこの運送会社に勤めている従業員に、
 
『御社に支払いが終わるまでの間、トラックを貸し出します。』
 
との一筆をトラックの5台のナンバーを入れて書かせ、トラックを5台を引き上げた。
 
私は、民事的なそういう知識だけは、当時から知っていたのだ。
 
しかし、本来頂けるはずの2か月分の売り上げの430万の支払いを受ける事が出来なくなってしまった。
 
先方の責任者である社長と専務とは、一切連絡が取れなくなった。
 
本当に途方に暮れた。
 
昼間は、他の従業員の手前気丈に振る舞うが、夜になると帰る気力を失って、明神町の事務所に何日も泊まって過ごした。
 
テレビも何もない応接室のソファーに横になりながら、一人ボーっと今後の策を考えて、朝まで眠れなかった。
 
そんな時に、母方の祖母が亡くなって精神的には、大分追い込まれたが、何とかトラックを5台押さえた事で数か月後には、債権回収の目途を付ける事が出来た。
 
その際に、債権者会議による会社の再建に関わり、民事対応の大切さを目の当たりにした。
 
元々、そういう民事問題には興味があった事も手伝って、何とか会社設立して最大の大きなピンチを乗り切ったのだった。

ピンチを脱して、少し落ち着きを取り戻して来た頃に、大宮方面に現在弊社に勤務している真名子技術部長と出かける機会があった。
 
真名子部長が乗用車を運転をしてくれている中、助手席で外の景色を眺めていると、数年前に会社を設立する前に運転手として毎日トラックで走っていた道だと気が付いた。
 
狭山・所沢・川越・大宮・越谷・柏・市川と云うルートの大宮の側だ。
 
そして、暫くすると忘れていた景色が目に入ってきた。
 
特徴のある、例の成金不動産屋さんの建物だ。
 
『うわ~っ!そうだ~。この不動産屋さんの建物をいつも見て、いつか自分もと夢見てったけ!』
 
と、数年前に考えていた頃の気持ちを思い出した。
 
『良かった。当時そういう気持ちを毎日持っていたお蔭で、今何とか大変だけど、会社を経営をする立場になれている。つらい事が多いけど、少しは当時より成長できているな~。』
 
と自身を振り返る事が出来たのだ。
 
この事は、その後の弊社で起る様々な困難な場面で、私に勇気を与えてくれる原動力になったのだ。
 
弊社に携わっていただいた全ての皆様のお陰様で、現在の弊社がある。

まわりの方々に助けられ、働いて下さってきた全ての従業員の皆様のお陰様だ。

最近、弊社では、たくさんの経験を積んできたお陰様で大きな失敗をする事が無くなってきた。

しかし、小さな失敗はたくさん起きてしまう。
 
小さな成功と小さな失敗を繰り返し、何とか小さな成功が上回る事が出来るようになって来た。
 
これからも、小さな成功が、小さな失敗を上回る事を積みかせねていく様に努力をして行こうと思うのだ。
 
そして、困難にぶつかった時には、この

『力水を飲んだ頃』

を思い出して乗り越えて行こうと思う。




※※ 以上、5年前のブログに加筆をさせていただきました。



このブログを書いていて、当時の事を思い出しながら、改めて、

『初心忘れべからず』

と云う言葉の大事さを感じた。

いろんな方に助けてもらってきたなぁ~。

ありがたい事だ。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。