ボクはカレンダーなんか気にしない。

 

 その日が何曜日であろうと、何月であろうと、気にしない。毎日を一生懸命に生きていれば関係のないことだと思います。それでも、飼い主は毎日2つの日めくりカレンダーを夕方から晩にめくっています。結構面倒くさいのでやめた方がいいと思うのですが、執着心は強そうです。

 

 リタイアしているので、カレンダーは不要だと思うのデス!?

 

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 「幸福は自足する人々のものである」 アリストテレス(BC384-BC322)

 

    「できる、できない」を決めるのは自分だ 松岡修造

 

 私は日めくりカレンダーを2つ使っています。ひとつは、今年から始めた、もらいものの大型日めくりカレンダーで、毎日1枚ずつ破り捨てて新しい日に偉人の名言を味わいます。また今日は西暦2024年で、令和6年で、7月で、月曜日だとわかります。

 

 さらにもうひとつは、10年以上続けている松岡修造カレンダーで、31日分の彼の激励文が書いてあります。10年も続けたら覚えるかと思ってましたが、覚える気がないのでいまだに記憶に残りません。つまり毎日新鮮な感情で彼の激励を受けられます。ただ今年は西暦何年なのか、令和何年なのか、何月なのか、何曜日なのかわかりません。(リタイア者に最適)

 

 不思議なことに偉人とはいえ、2000年以上も前の方の名言にいつもうならされます。最近つよく感じるのですが、人間はこの2000年もの間なにも進化していないようです。私が人生をかけて七転八倒して漸く得た教訓は、全て2000年前に言い古されたことばかりでした。高齢者になるまでに、いろんなことを見聞きしたり、勉強したり読書したりしてきましたが、たとえばソクラテス・プラトン・アリストテレス他の古代の偉人の本を読むだけで十分だった気がします。それ以上の教訓は”人間の思考”ではなく、”単なる知識”(科学・技術・哲学・宗教・心理学・・・)に過ぎなかったようです。

 

 歳を重ねるにつれて知識はどんどん無用なものに変貌します。科学・技術等の進歩は日進月歩でどんどん発達しています。一方「人生とは?人間とは?」という素朴な疑問は解決されないままで、もう人生は終盤です。

 

 今は「人生とは?人間とは?」なんて考えても無駄だと思ってます。「人間の一生の運命は生まれたときから、最初から決まっている」と思うようになっています。人生の意味もありません、ただ生きているだけです。死んだら何もかも、意識すらも残らないと思っています。これはネガティブ思考かもしれませんが、最近はそう思うことで爽快感すら感じます。

 

 ただ、ただ、生かされた自分の人生を楽しむ。楽しさというものは、お金であっても、地位や名声であっても、家族であっても、愛であっても、慈悲であっても、芸術でも、なんでもいいと思います。ただ他人に迷惑だけはかけてはいけないし、できるだけ誠実に接したいものです。運が良ければ、いや生まれ持った運命に導かれて、おおいに楽しめばいいのだと思います。

 

 運命を神や仏や救世主と思っても構いませんが、たったひとつだけ気をつけてください。他人に迷惑をかけないでください。それだけです。

 

 外は雨です。こんな天気だから、こんなことを書く気になりました。

 

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 日経平均すこし盛り返しました。そんなに上下動しなくて、ゆったりと安定していてもらいたい・・・。予後の体は刺激を求めないようです。