我輩はそもそも論破されたことがない。

 

 相手の言うことは聞かずに、自分の言いたいことを言っているだけで十分なのじゃ。人によっては、そうしておいて、さらに嘘をついたり、相手を罵倒(マウントをとりにいく)したりする輩も多い。

 

アウフヘーベンと互いのレスペクトがあれば、論戦は有益なのじゃワイ!!

 

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 論戦、舌戦に強い方はいます。一方で、私は論戦に勝った記憶はほとんどありません。相手の方の言うことを聞いてしまうと、つい「そうかもしれない」とすぐに共感してしまうのです。

 

 テクニック的には、論戦に勝つ手法は色々あります。

 

 若い頃は「皆がそう言っているんだ!」とか「評論家がこう考えている!」と言われれば、「そうかなあ?」と白旗を上げていたものでした。でも、今は「皆って誰? どれくらいの割合? どんな人たちの集団なの?」とか「評論家って誰? その人はどのメディアやマスコミ・書籍で、いつ、どのように意見を述べたの?」と切り返せば、大抵は攻撃をはぐらかせることを知りましたが、、、時すでに遅しで、青春時代は論破されっぱなしでした。

 

 また、揚げ足取りです。今はストローマン論法とか洒落たことのように言われますが、論理のすり替え、歪曲、言葉の範囲を恣意的に大きくしたり、小さくしたり、言葉尻を捉えて反論してこられると、真摯に「どうしたらいいのか?」という事だけを集中して考えている時には、ほとんど無抵抗なので、論破され続けてきました。

 

 また、例外中の例外(1%弱の例)を持ってきて、「あなたの考え方は間違っている!こんな実例がある!」と言われます。白黒とかゼロワンを決めているのではなく、60%が多数派というときには、この手法でよく論破されてしまったものです。まさに、1%以下なのか、60%なのかを確実に予想することは、ほぼ不可能なので、”先に言ったもの勝ち”の世界だとも思います。

 

 さらには、よく見抜けない、巧妙な嘘をつく方もいます。その方の目的は”論戦に勝つ”ことが目的で、「論戦をして良い知恵をつけよう」とか私のことを全く馬鹿にして、というか「相手へのレスペクトが欠落していている」ことが多いのです。そうなると私は大抵は騙されて(嘘が見抜けず)論破されてしまいます。そして、さらに「勉強不足だな!」「俺くらい本を読んでおかなきゃ!」とか追い討ちをかけられています。

 

 まあ、負けるが勝ちと言いますか、そんな方とは徐々に疎遠になっていこうと心がけてしまいます。

 

 高校時代は、学生運動論で論破されて、「もっと勉強しろよ!」とか「知った被りをするんじゃないよ!」と言われて、本気にして、気が進まなかったのですが、つまらない本を買ってきて、眠気を感じながら読み漁ったこともありました。

 

 大学時代は、非常に難解な勉強をさせられて、「ちゃんと考えてよ!」「そんなことも、わからないのかなあ!」とも言われて、悔し涙で、ちんぷんかんぷんの本を読んで徹夜で考察したりしてました。でも今になっても、どんな内容だったのか、まるで思い出せません。でも、わからなくても、”わかったことしか書かなかった”ので、私の卒業論文は数年間はゼミの学生のベストセラーであり続けました(恩師談)。

 

 会社に入ると、世界中で「わかったことを書く論文」が溢れていました。ますます、腑に落ちると言うか、理解することができずに「こういうことかなあ?」と半信半疑でまとめてみても、ほとんどは、先輩やら上司に論破されて使い物になりませんでした。しかし、それを何回も何回もしつこく続けていくと、自分が世界の技術の中心にいるかもしれないと、肌で感じる瞬間もありました。でも、それは技術の世界で、人間が絡んでくると、たちまち有象無象の世界に引き落とされていきました。

 

 本当にわからないことは、誰にもわかりません。でも、なんとなく「それらしい」とか「そうかもなあ」と思わせる手法は存在していたのです。それは、事実だけではなく、「月曜日の朝一番は避ける」とか「この語句やフレーズは禁句(とりあえず、と思われる、、)」「この人は日経ビジネスが愛読だから、その論調をあらかじめ把握しておく」といったタイミングや、まとめのテクニックがあり、質疑応答の想定問答を頭に入れておく(NGなら次善の策を7つは用意しておく)、そして一目でわかるキャッチフレーズのある内容とレイアウトで書類を作成する、、、。

 

 そして、何より自信たっぷりで、余裕綽々で明るい説明が求められ、ジャブみたいな鋭い質問に対して、間髪を入れずに失礼のない程度のユーモアで返す返答がウケたりします。そうです、事実とは全く関係のない部分でプレゼンしているのです。そうすれば、ほぼ論破されないのですが(論破されてあげるのもテクニックとする方もいます)、心の中を隙間風が流れます。

 

 今、高齢者となって、論破されてもされなくても、どうでもいいと思えるようになりました。やはり「無知の知」が大事です。知らないこと、わからないことは、素直に「教えて!」と言う気持ちが大切だったのだと気づきます。

 

 「論破されても、わからないから、教えてください!」と”うまく言える”人間であれば、人生が変わっていたかもしれません。私はただ、論破され続けていただけでしたね。

 

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 株は11月攻勢がかかりそうで、かかりません。これも誰かに教えてもらいたいのですが、誰もわかりません(株の評論家は、いっぱいいますが!!)。結局は、私がわかっていることで、なんとかするしかなさそうです!?

 

 ※「橋下徹の研究」百田尚樹著 飛鳥新書 発刊を読んだ直後の散文です。