生きるとは各々の命の水を減らす行為だけではない。
 
人生いろんな事が起こる。大きな災厄も、小さな行き違いも、何でも起きる。死んでしまうのは決して楽ではないが、生き続けるのも結構大変ではある。それでも、
 
我輩は死ぬまでは精一杯生きていたのじゃワイ!!
 
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雑誌 新潮(新潮社)12月号で
 
「荒地(あれち)の家族」佐藤厚志 著 を読みました。
 
芥川賞受賞作で、新潮の副題には”震災から十年過ぎねば書けなかった魂の一撃”と書いてあります。
 
 311から12年過ぎました。私は熱海で麻雀をしていて黙とうすらしていません。震災がテーマの小説が芥川賞受賞ということで、単行本には目もくれずにこの小説が掲載された「新潮 12月号」を図書館で予約したのですが、入手に2か月ほどかかりました。単行本は芥川賞発表日と同日(1月19日2023年)に発行されてますので、新潮社の期待のほどがわかりますし、実際にこの単行本の売れ行きは良さそうです。
 
 たしかに読みやすい文章で、且つ淡々と表現されていて、本当に純文学らしい雰囲気に包まれています。震災の表現を「災厄(さいやく)」と表現し、津波と書かず「海が膨張」と表現されてます。被害の話は最小限で復興もシンボル的に電柱が立つ程度の説明です。それよりも妻を病気で亡くし、再婚相手も流産で疎遠となり、息子とも最小限の関わりかのようで、本人と小さい頃からの友人、知人が様々な理由で生活で苦しみ、病気で苦しむ様(さま)が、淡々と描かれています。まるで震災がなくても起こりえた話が多いのです。それでいて災厄が暗然として存在していて、最後の一文が象徴的でした。
 ふと芥川賞作品は純文学なので面白くなくてもいい、人物とその背景がしっかり描かれていればいいという言葉を思い出します。
 
 これで今年前半の芥川賞2作を読みました(もう1作は井戸川射子作「この世の喜びよ」:きわめて女性目線の小説)。 私は男性なので、というと語弊がありますが、男性目線で描かれる「荒地の家族」の方に共感出来ました。ただ、あまりにも淡々としていて、残念ながら今の私には生きるエネルギーをもらえませんでした。今の心境では特に”もっともっとエネルギッシュな作品で力をもらいたい”ものなのです。
 
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 東京は2日連続で雨でゴルフの練習もする気になれません。それでも、生きるためにいろんなことをして刺激(感動)を求め続けたいものです。とりあえずは、花見ゴルフでしょうか??