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我輩は東京に住んでおる。
 
東京が首都であるかどうかなんぞに興味は無い。
アタマのカタい連中は東京が首都であると明記された法律はないと言う。
それで税金・行政が変われば一理あるが、どうやら名誉だけの様じゃ。
そういえば米国も首都はNYと思いきやワシントンじゃったし、
オーストラリアも首都はシドニーではなくキャンベラであるし、
カナダもモントリオール、トロント、バンクーバーでなくオタワじゃ。
政治の中心であり且つ大都会たる首都は 東京、パリ、ロンドンがある。
どうやら外国は政治の中心部のあるところを首都というようなのじゃ。
 
だったら 世界的には 国会のある東京が日本の首都なんじゃワイ!!
 
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最近公開大学「東京まちづくり」とか芸術新潮7月号「天皇と美術」を聴いたり読んだりしていますと、「日本の首都はどこか?」という素朴な疑問を持ちました。小さい頃から”日本の首都は東京”と聞いてきたはずなのですが、意外に曖昧な根拠のようですので少しまとめてみました。
 
江戸から東京に変化した幕末から明治時代は混沌としていたようです。
 
1868年1月鳥羽・伏見の戦いで大久保利通が大坂遷都を建議し否決されます。(これが可決されていたら大阪が首都でした!?)
 
同年5月には江戸城が開城され前島密が「江戸遷都論」をだし、東西両都案(京都と江戸の双方が都)も浮上するなか、徳川家は駿府(静岡県)に移封され、江戸にいた大名・旗本たちも駿府に去ったので江戸の人口は100万人から67万人にまで減少していた。
 
同年9月に明治天皇が京都から東京へ行幸する際に発布した
「江戸を称して東京と為すの詔書」で、
”江戸は東京にと改称された。(しかし首都と宣言はされていなかった)”
 
明治天皇は京都で即位の儀を行い11月に東京に行幸。(12月京都に還幸・・・と結構変遷した後に・・・・・・)
 
1871年8月京都に御所を残したまま、京都の官庁は廃止され大嘗祭(天皇即位後の初めての儀式:新嘗祭(にいなめさい)を東京で行い、実質的な首都機能が東京に移転されました。
これをもって 奠都(てんと) とされ東京が都になったのです。(京都も名称的には都として残ったままでした。)
 
なお”即位の礼”はその後も京都で行われ、1990年に日本の歴史上初めて東京でなされ、来年も東京で行われる予定なのです。
 
首都の定義としては、日本では、昔は政治の中心ではなく天皇が住む場所が首都と言われたようです。鎌倉時代は幕府は鎌倉(神奈川県)にあったのですが、天皇は京都に住まわれていたので首都は京都と鎌倉の2つだったのかもしれません。もうひとつは14世紀の南北朝時代のお話で、鎌倉時代末期に後醍醐天皇が南朝を起こされ奈良県吉野・五条に住まわれ北朝は平安京のまま京都に住まわれていましたが、奈良の天皇の住まわれた場所は仮の場所とされ、依然 首都は平安京のままとされていたようです。
 
さらに遡れば平安時代の末期に平氏が福原京(兵庫県神戸市)に天皇を住まわせていましたが、これも仮の場所とされ首都は平安京のままとされています。
 
戻りまして明治維新で首都を東京にした理由は、
(当時の中心人物の大久保利通、岩倉具視の意見です)
 
①京都、大坂より都市基盤が整っていた。
   *京都は鳥羽・伏見の戦いで6割が焼失。大坂は路地が多すぎた。
   *一方、東京は江戸城開城で充分なインフラが残っていました。
②京都のような因習がない(あの方角が縁起が良いとか言う類の風習)
③東北・北海道を含めれば日本の中心に近い
   *政府が混乱して東北・北海道が独立の可能性もあった。
④新政府の方針(尊王攘夷から近代国家へ)を明示できる。
        という理由がありました。
 
そして戦前は東京を首都というのではなく「帝都」としていたのです。
 
戦後 1950年首都建設法、1956年首都圏整備法が施行され、首都圏が1都7県と表現されたものの、”日本の首都が東京”とは明示されないままでした。
 
”現在でも未だに「東京が首都」と明示された詔、法律はない状態です。”
 
いままで首都というと東京と漠然と思ってましたが、考え始めるとかなりややこしいようではありますね。
 
まあいろいろあるでしょうが、、、今は日本の首都は東京です(^^♪
 
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暑いですね。
エアコンが壊れそうな音を出し始めました。
人間も機械も音を上げそうな”うだる暑さ”ではあります!?