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我輩は単に 寝て起きて食べて遊んで触れ合っていれば幸福である。
 
そしてチーズスティックを食べたり ムーンサルトをするのも楽しい。
 
最近は 飼い主のちょっかいをうまくそらすことに快感を覚えておる。
 
ところが飼い主ときたら やたら難しそうなことを調べようと 数分間
 
パソコン検索しただけで もう知ったかぶりをして楽しんでおる。
 
なんとも 軽薄で どことなく情けない性格であるようじゃ。
 
今日はお盆じゃ、ご先祖さまに 申し訳ないと思わんのか!
 
この罰当たり者め!?
 
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なにやら 経済雑誌の中の活動の記事で、何かをしようとしたときに 
「まず人間の幸福とは何か?」を議論しようとかいって特集していた。
それが 原稿として採用されているのだ。(ビジネスになっている!)
 
「ここまできたか!」というのが正直な感想である。
私の頃は さっきPCでウィキペディアで思い出したように
 
アリストテレス、スピノザ、ショーペンハウエル、ラッセルを読めば
どれかに共感できて納得したものだ、、、
 
因みに私はこの人たちの本は一冊も読んでいない。
 
「都市の論理」(羽仁五郎)、マルクスの「資本論」も途中で挫折。
ジャン・ジャック・ルソーの 「人間不平等起源論」、「エミール」は
読んだものの消化不良、むしろ「告白」で共感した程度だ。
勿論 三木清の「哲学入門」も カントの「純粋理性批判」も
見事に理解不能だった。
 
しかし田原総一郎が最近の随筆で書いていたのが慰めになった。
 
彼曰く 「 安保闘争は私にとってはファッションだった。実は
安保条約の中身で 吉田安保と岸安保の内容の違いすら
知らなかった。全共闘リーダー格の西部 邁もそんな事は
知らなかったようで、単にあの首相のやることは嘘っぱちだからと
して読んでもいなかったようだ、、 」
「ただ安保反対!と言う 世の中全体の ファッションとして行動した」
 
もっとも西部氏は早い時期から 「新聞を一切読まなかった!」
下手に新聞などを読むと 自分の考えをまとめられなくなるみたい
なことを言っていたと思う。(朝まで生テレビでの話)
まるで 今の若者と同じ情操である。見事だと思う。
 
つまり 論理性ではなく 感受性で 動けた時代だった。
 
「日常生活の冒険」「遅れてきた青年」(大江健三郎)でも
下勉強などせずに
いきなり全習法で全てをこなす青年が”光”っていた。
(なぜか 大江氏の初期の作品はほとんど読んでいた。、、、
 死者の驕り、飼育、空の怪物アグイー、、、ファッション として )
 
いろんな本を読んでいた。女性は石川達三「結婚の生態」、男性は
「金環食」「風にそよぐ葦」、、(私は石川氏の作品は多分全て読んだ)
その他にも、、、、
 
だから ファッション性 だけで動いたのであって、
 
「得ること」「それが得がたいものなら尚更、、」「幸福を感じるためには
希望が必要だ。 少なくとも高度成長期は頑張れば報われるという
希望があったので幸福だった。いまの若い人は将来の希望が何か
が見えない時代だ、、、」 なんて口が裂けても恥ずかしくて言えない。
 
なんでもエセ論理でこじつけて自分をごまかす訓練ばかりしてるように
みえる。 もっと 見て、触って、ふれて、感動して体得してほしい。
と感じてしまったものの、、 私が10代のときは やはり そういう
ところから読書する気になったとも思う。
ただ ノウハウ本よりも 体験本が格段に面白かったので
そっち方面に脱線していただけかもしれない。
 
少子化で結婚年齢が遅くなり、30代の女性の半分が未婚で
男性も数字は忘れたが同様の傾向である。
少なくとも 独身者である自分自身が人生を楽しんでいないのに 
「2人になれば楽しいよ」なんていうのは ”仲人口”である。 
しかも 今は仲人も もはや絶滅危惧生物である。
 
「まず 独身者である自分が人生を楽しんでいることが先決である。」
そしてそれ以上楽しみたいというなら結婚すべきだ、いや
婚活を真剣にすべきだと思う。
 
されど  である。 疲れて家に帰ってきた時、
「お帰り」と言われる前に 家の明かりを見ると ほっと安心するのは
得がたい体験ではあるのです。
( こんな体験も あと十年でスマートグリッド・モバイル操作で
 できなくなるのだろうか?? )
 
私は父に誕生日プレゼントをしたことがある。「いこい」と言うタバコを
50円だったか自分の小遣いで買って 自分で慎重に包装して
父に渡した。母も横にいた。そして両親ともに喜んでくれた。
5-6歳程度だったかと思う。 勿論 母にもなにか誕生プレゼント
したはずなのだが全く思い出さない。横には父はいなかったようだ。
 
つまり「両親で共に喜んでいた」ことだけが私の記憶に残っている。
 
当時の私に”希望?”など認識できる知恵などは微塵も無かった。
その時の 今 が 断然 楽しかったのだと思う。 
Carpe Diem である。
 
今日はお盆である。  とりとめのない書き方になったが、
亡くなられた方々への供養のための”告白”でもある。