この2作品が2部作として作られていたことを

今回はじめて知りました。

 

クリントイーストウッド監督の描いた、硫黄島での戦い。

アメリカ軍側から描いた「父親たちの星条旗」

日本軍側から描いた「硫黄島からの手紙」

両作とも2006年に公開されています。

 

 

「父親たちの星条旗」は、2000年に発売された本「硫黄島の星条旗」が原作。

映画にも登場する男の息子が書いており、父親が亡くなったあと

決して語られなかった戦時中の話を同僚たちに聞いてまわったらしい。

 

 

アメリカで、その後の戦争プロモーションに使用された一枚の写真

硫黄島のメインターゲットとされた摺鉢山の頂上に国旗を立てる兵士たち

そこに映っているとされた3人の生き残った兵士たちは、英雄として国内を周り、あがめられ、賞賛を受けた。

 

ところが彼らの心をむしばんでいったのは、負の感情。

戦地にいった者たちがみた、戦争とは。

 

というのが、本作のストーリーです。

 

 

一方で「硫黄島からの手紙」は、こちらも映画内に登場する栗林総監督が家族にあてた絵手紙に基づいたフィクション映画。アカデミー賞 音響編集賞受賞。

 

二宮和也さんが演じているキャラクターが割と主人公に近いのですが、このキャラクターは彼をオーディションで見たクリントイーストウッド監督が、半分あてがきしたものだったり。前述の映画とちがって、脚本家の腕がだいぶ出ている作品のようです。

 

俳優陣は全員日本人、日本語のみ。

海外の監督&制作陣が作ったとは思えないほど、当時の日本人の考え方にヘンな脚色は見受けられませんでした。

(「命を捧げる」という美徳概念。現代の日本人にとっても少し理解しづらいように思いますが、この映画はその感覚のギャップを非常に巧みに埋めてみせている。人々の中にも色んな感情が渦巻いている様子を、いわゆる逆サイドの国の人たちがここまで丁寧に描いている。その凄さに私はただただ感動しきりでした。)

 

日本から現場にいったひと、制作に関わっていたひとたちの尽力もあるでしょうし、クリントイーストウッド監督が得意とする人間みの表し方が、とてもハマっていたように思います。本当の意味でみなひとしく、人間として描くからこそなんだろうと。

 

 

 

孤立し、絶望的な戦況が伝えられ、死をまつのみとなっていた日本軍。

そこに派遣された実在の人物、栗林総監督(演じるは渡辺謙さん)はかつて渡米していたほどの優秀な人物で、硫黄島の地形や兵士・兵器の残存数を加味し、最適な戦法で島を1日でも長く守ろうとします。

 

二等兵の西郷(演じるは二宮和成さん)は、当時の日本で固く信じられていた「いのちを天皇にささげて死ぬ」といった考えに対し、ちょっと否定的な人物。

でもそれが、彼のなかに美学や信念が強くあったがゆえであった事を感じさせるシーンが多くありました。そして絶妙なところで涙を流したり顔を向けたり、複雑な感情を表情で表したり。本当に名演だった。

 

 

 

 

 

2つの映画、どちらか一方だけを見ても大丈夫ではありますが

戦時中の2つの国内が、どのような考えで人々を扇動していたかが分かりやすく対比されていて、両方みたことでとても勉強になりました。

 

「父親たちの星条旗」では、仲間のいのちを守るために戦う

「硫黄島からの手紙」では、1日でも長く子供たちの生活が守られるように戦う

 

これが一貫したテーマなのですが、こうして書き並べてみるだけで

当時の戦況や戦場によって大きな違いがあることも分かりますね・・・

 

硫黄島の戦いが行われたのは1945年2月~3月

日本にとっては、マリアナ諸島への攻撃の重要拠点として

アメリカにとっては、本土大空襲の重要拠点としての位置づけでした。

 

予想外の激しい抵抗にあい、今でも米軍海兵隊たちにとって最も苦戦を強いられた戦いと評されているのだとか。どの軍にいようとも、大きな傷を負った戦争のむごさを改めて感じさせられた2作品でした。