三島由紀夫のキャラクターやカリスマ性が魅力的

 

 

★★★☆☆

 

 

1962年生まれの自分にとっては“学生運動”や“全共闘”は永遠の謎である。
 
高校から大学に通っていた1980年前後、学生運動が収束してから10年近く経過しており、我々はシラケ世代とか新人類とか言われ政治的な思想には全く無関心だった。
 
大学浪人時代に駿台予備校の物理の授業で東大全共闘議長だった山本義隆の授業を受けたが目の前で淡々と講義している人が東大全共闘のトップだとは思えなかった。
 
社会人になった時、一回り上の世代の上司たちはまさに全共闘世代であったが、学生運動について語る人はほとんどいなかった。むしろ学生運動に参加しなかた少数派の人からの運動への批判的な話を多く聞いた。
 
あれだけ多くの学生が参加しながら、社会人になるとほとんどの人が何事も無かったかのように完全に体制側に組み込まれて行き、今や、あれだけ批判していた“ブルジョア”になっている。
 
 
学生時代限定でしか行わないから学生運動なのだろうか?
 
 
その学生運動が盛り上がっていた時に、東大生1000人を相手に一人で討論を戦わせた三島由紀夫。
 
 
思想的にかなり右寄りでありながら、俳優しても「人斬り」で存在を見せ、長期の海外留学経験がなにもかかわらず映画がペラペラという才人。
 
たった一人の三島の存在感が東大生1000人を完全に圧倒している。ユーモアを交えて話し、相手の話を最後まで聞いてから発言することが多いことも好印象だった。
 
 
 
 
 
後半で、神戸女学院大学名誉教授の内田樹が言っているように「誠実に1000人を説得させようとしている」「相手を困らせてやろう、追い詰めてやろうとか、絶句させてやろうとか、論理矛盾を指摘してやろうとかが一回もない。」
 
 
 
今、流行りの口げんかに勝つために極端な例をだしたり、話題をすり替えたりしてひたすら相手に勝ってやり込めたいという“論破”とは異なり好感が持てる。
 
 
 
 
肝心の討論の内容はさっぱり分からなかった。
事物、捨象(しゃしょう)、・・・まったく聞きなれない単語
「他者というのは意志を持った主体である」
「非人間的な自然というのが僕たちの前に存在しているはずだ」
「関係の逆転に革命があり、その時、初めて空間が生まれる」
「形態が即無いようであり、内容が即形態である」
「革命とは最高級の大いなる詩であって、その超越性をどう一般理論に非現実化するか」
「自由に直面すると、そこで敗退してしまう」
これだけ難しい単語や抽象論を並べて即座に相手に答えを返していく頭の回転の速さを恐れ入るが、なんで、この人たちが暴力的な革命を目指していたのかサッパリわからなかった。
 
 
映画は50年前の討論のフィルムに、50年後に行われた、関係者へのインタビューを挟むという構成で進行し、インタビューを受けているのは東大全共闘のメンバー、三島由紀夫が結成した“盾の会“の会員、評論家、作家の人たち。
当日の司会の木村修
 
50年後にインタビューを受ける木村修
 
瀬戸内寂聴
 
 
 
 
 
インタビューを受けていた人の中でもっとも印象的だったのは全共闘の芥正彦だった。
多くの全共闘が公務員、大学教授、一般企業などの体制側に組み込まれていく中で、今でも前衛的な縁覚を続け革命を目指し続け社会から取り残されている姿が潔い。
 
 
討論のハイライトも明らかに“三島対芥“で天皇論では完全に平行線になって、芥が途中退場してしまったのが残念。
子供を連れて登場の芥正彦
 
討論ではお互いの主張を譲らない
 
時には笑みを交えて討論が進む
 
途中で三島のタバコに火をつけているシーンもあり、お互いに時には笑みを交えながら討論する姿は、完全な敵味方というよりはライバルに近いのか?
最後の芥のインタビューで「憎しみあっていれば口もきかない」と言っていたのが印象的。
三島のタバコに火をつける芥
 
 
作家の平野啓一郎の解説はわかりやすかった。ただ、年齢が44歳で討論会の時点では生まれておらず、三島由紀夫と直接の接点がないので、説得力があるかというと疑問だが。
 
 
本当に学生運動とはいったい何だったんだろう?
 
 
 
 
 

 

カラー108分

 

【鑑賞方法】配信 AMAZON PRIME

【制作会社】映画「三島由紀夫vs全共闘」

【配給会社】GAGA

 

【監督】豊島圭介

【制作】竹内明 刀根鉄太

【撮影】月永雄太

【音楽】遠藤浩二

【編集】村上雅樹

 

 

【出演】

三島由紀夫

芥正彦

木村修

橋爪大二郎

篠原裕

宮澤章友

原昭広

椎根和

清水寛

小川邦雄

平野啓一郎

内田樹

小熊英二

瀬戸内寂聴

ナレーション:東出昌大