都知事選に裸の画像のポスターを貼った候補者が警察から警告を受け、順次撤去するとコメントした。

 

本気で表現の自由を掲げて権力と戦うつもりなら、警告くらいで引き下がるなと思った。その程度の決意なら最初からやらないほうがマシだと。


70年代の大島渚監督「愛のコリーダ」を思い出した。

 

当時はフィルム撮影。日本で現像するとわいせつ物にあたるので、修整をしなければならない。フランスのプロデューサーと日本の某配給会社の代表は策を巡らし、現像せずにネガのまま輸出して海外で現像、編集することにした。

 

日本に再度輸入される際には修整をしなければならなかったが、芸術としての性描写がある作品を日本で撮影するという表現の自由を掲げ、権力と戦った作品。

 

この配給会社の代表は後に、配給した「オルランド」の修整箇所を巡って税関と戦い、大臣に不服申し立てをして修整指示の取り消しを勝ち取ることになる。

 

 

学生の頃、授業中に先生が言った。

 

「俺の大学時代の同級生には足の指が欠けてる人が何人もいる。なぜか分かるか。あいつらは学生と衝突したとき頭を殴るとカメラに写ってしまって報道に騒がれる。だからジュラルミンの盾を足先めがけて力いっぱい下ろすんだよ。それで足の指をつぶされたんだ」

 

かつて日本には本気で権力に立ち向かった人たちがいた。

 

またそんな時代が来てほしいとは思わない。三島由紀夫が学生運動の大学生と対話したドキュメンタリーを見て、この運動には政権転覆後の明確なビジョンがなかったのでうまくいかなかったんだなと感じた。

 

が、何も考えず国に従うのも、反抗ごっこをするのもちょっと違うとは思う。

 

あの候補者は、本気で権力に立ち向かい戦った人たちに対して失礼なことをしたとは微塵も思っていないだろう。