ずっと前から気になっていた「82年生まれ、キム・ジヨン」を見ました。
予告はこちら。
原作が話題になり、その映画化です。原作は未読。
男性だから、女性だから、あいつらは分かってない、こっちも苦しいんだとかそういったものを超えて、この作品がどういう意味を持っているのかを考えなければならないと思いました。
人は生まれてくると誰かに育ててもらうことから逃げられないし、避けられません。生まれた瞬間から1人で生きていくのは不可能です。
よくも悪くも自分を育ててくれた存在から影響を受けることが避けられず、肯定否定に関わらずそれを完全に払拭するのは難しいです。
違う時代を生きた人に、今の時代の生き方についてあれこれ言われてもあまり参考にならないのですよね。なぜなら今は時代が変わってその考え方はもう古いから。誰もがかつて同じことを思ったはずなのに、年を重ねると忘れてしまうのはなぜなのか。
あなたは育てた子供が大人になったら1人の人間として認めるのか否か、という問いを突きつけているようにも思いました。
こういった世代間のギャップとは別の側面で、今の社会は大きな問題も抱えています。
企業の論理での効率を考えると、職場に人を集めて働くという仕組みは適しているのでしょう。けど働いている人たちは、それと引き換えに大きな代償を払っているのではないかと。しかもそれは人類の存亡がかかるレベルでの代償。
顔を合わせていない時間が長いほうがお互いのためになるという考え方もあるでしょう。ですが子供は2つに分かれてくれないわけで。
男が変われば話は済むというような簡単な話でもなさそうです。
ひとつ確実に言えるのは、女性の人権を軽く見ている男性は、遺伝子を残さず孤独に生涯を終えてくれたほうが人類のためになるということ。