昔、関根勤さんがこんなことを言っていた。

 

「家にいるときは、とにかく子供がどうやったら笑うか、子供を笑わせることだけを考えていた」と。

 

全く同じことを考えている人がいるんだとこれを聞いて思った。とにかく小さい頃からどうやったら息子と娘が笑うか、ただそれだけを考えて、笑わせるためにいろんなことを実践してきた。笑いが取れたら心の中でいつもガッツポーズをしていた。

 

人は笑えば笑うほど、明るく楽しく社交的な人間になると信じている。「笑いの数だけ明るくなれる」がモットーだ。自分の子供たちにはとにかく明るく楽しい人間になってほしい。それだけで、たとえあほでもなんとか人生やっていけると思う。

 

そして今、成長した子供たちがどうなっているかというと。。。あれだけ毎日笑わせていたのに、息子も娘もとにかく口数が少なく暗い。そして子供なのに妙に落ち着いているのである。

 

と、ここで遺伝子の壁みたいなものを感じざるを得ない。もし100%私だけの遺伝子で子供が作られたら、その遺伝子をベースに毎日父親が提供する笑いの記憶が長年にわたって何重にも重なり、その結果明るく楽しく落ち着きのないおしゃべり好きな人間になっていたに違いない。(落ち着きないのはあかんやろ!)

 

妻の遺伝子も半分入っている限り、その部分を生活習慣の中でコントロールすることは難しいみたいだ。私の遺伝子、妻の遺伝子、生活習慣この3つが入り混じって一人の個人のキャラが出来上がってくるんだろう。私はこれを長年の生活習慣でいくらでもコントロールできると思っていた。しかしふたを開けて今子供たちを眺めていると、どうしようもできない遺伝子レベルのキャラがどうしても最後には一番大きく出てきてしまっている気がする。子供たちの場合は妻の遺伝子が私の遺伝子より大きく出てきているようだ。

 

あれだけ笑わせたあの日々は何だったのかと思いつつ、将来彼らが親になったときに潜在意識のなかで「おとんの笑い」の記憶が残っていて、今度は彼らが自分の子供たちを笑わせてほしいな~と思ってます。

 

おしまい。