公開初日の2024年2月2日、プレミアム・ダイニング・シネマで鑑賞しました。
プレミアム・ダイニング・シネマとは、ナイフとフォークを使った本格的な食事を楽しみながら映画を鑑賞するという、ちょっと贅沢な雰囲気のサービスです。
通常の映画鑑賞料金にお食事代がプラスされ、発券時にお食事チケットが発行されます。
メニューは豊富なので、当初のチケットの料金以上にもっと多くの食事を楽しみたければ、鑑賞中に追加料金を支払ってオーダーすることもできます。
このように映画鑑賞中でも給仕が行われることから、劇場内は真っ暗闇にはならず、夜間飛行中の飛行機内程度の薄暗がりのなかで映画が上映されます。
特にプレミアム・ダイニング・シネマを狙ったわけではなかったのですが、この日、他の予定があって消去法でプレミアム・ダイニング・シネマの上映時間しか都合がつかず、
「ラグジュアリーな鑑賞スタイルを楽しむのに、ジャンヌ・デュ・バリーのフランス映画なんて打ってつけではないか?」
と思いついたために、プレミアム・ダイニング・シネマに初挑戦することを決めました。
https://www.unitedcinemas.jp/dining_cinema/
私のように半世紀以上も生きた人間にとってみれば、「生まれて初めての体験」などというものは日々向こうの方からやってくるものではありません。
意識して自ら挑戦することが大切です!
鑑賞時間が近づくにつれて、なんだかドキドキワクワクしてしまいました。
そして、いざ、プレミアム・ダイニング・シネマ専用の劇場内に入ってみると、席と席の間がとても広々していることにびっくり! そして、にっこり!
いや~ん!
オペラ座の桟敷席で扇を片手に鑑賞する気分ではないですか~!
薄暗く静かな空間に、時折、カトラリーが皿に触れる小さな音だけが聞こえてきて!
落ち着くこと限りなし~!
私の列には他に誰もいなかったので、デデーンと前に両足を投げ出して、貸し切りの劇場で過ごすかのようにゆったりと鑑賞しました。
そして、そのような鑑賞スタイルに、全くもって「おあつらえ向き」の本作でありました。
●ジャンヌ・デュ・バリー
フランス映画『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』は、18世紀のフランスを舞台に、国王ルイ15世の最後の公妾であるジャンヌ・デュ・バリー夫人の波乱に満ちた生涯を描いた作品です。
私の世代ですと、ジャンヌ・デュ・バリーといえば、池田理代子先生の漫画作品『ベルサイユのばら』の彼女を思い描いてしまう人が多いのではないでしょうか。
同作はマリー・アントワネットに主力を置いて描かれていますから、どうしても、そこでは「いじわる女」というイメージになってしまいますよね。
しかし、本作において、ジャンヌ・デュ・バリーは主人公。
賢く、陽気、自由奔放で、しなやかに強い女性として描かれています。
鑑賞中は、少女期のジャンヌを演じる女優が、とても印象的な、若いに似合わぬ妖艶さを漂わせる美少女だったので、成人後のジャンヌが登場したときにギャップを感じてしまいました。
同じ人物を別人が演じているということは、もとより承知の上ですが、あまりに違いすぎるだろ! と、感じたのです。
しかし、彼女がしゃべったり動いたりするのを見るうち、その魅力に惹かれていきました。
とても、愛すべき女性だと感じました。
実は、成人後の主人公を演じているのは、マイウェン監督自身だったのですね。
普段、あまりフランス映画を観ない上に、予習なしで鑑賞したものですから、鑑賞後にパンフレットを読むまで知りませんでした。
マイウェン監督は自分で脚本を書いて、自分で演じて、自分で監督を務めて、何とフランス国王役としてアメリカ人俳優のジョニー・デップを招いて、シャネルにドレスやジュエリーを作らせて、本当に、思う存分、好きなように本作を創り上げたのですね。
まさしく、ジャンヌ・デュ・バリーそのもの。
才能の塊、そして、情熱の塊のような女性です。
本作は、広々とした心地よい緑の平原で、幼いジャンヌがスケッチのモデルを務めているシーンから始まります。
ジャンヌ・デュ・バリー、本名マリー=ジャンヌ・ベキュー。
料理人の母親から私生児として生まれた彼女は、貧しい幼少期を過ごすのですが、雇い主のムッシュ・デュムソー(ロバン・ルヌーチ)にその聡明さを見出され、豊かな教養を育まれていきます。
高貴な人々が集う夜会で、人々が順番に単語を挙げていく知的なゲームを行うシーンがあります。
日常生活には使わないような、概念的な難しい単語であって、しかも前の人が口にした単語と類似点のある単語を挙げることでリレーをつないでいく遊戯のようです。
語彙力を競う、まさに貴族のゲーム!
書物を読み、教養を備えていなくてはできないゲームというわけです。
フランス映画なので、これがフランス語で発音されるわけですが、それだけでもう難しげで複雑な単語に聞こえてクラクラします。
ムッシュに連れられてこの席に座っていた幼いジャンヌは、自分も一言発して、その単語が見事に的を射たものだったので貴族たちの賞賛を浴びます。
ムッシュ・デュムソーは聡明な彼女が身を落とすことがないようにと、自分が後見人となって彼女を修道院に送り込みます。
しかし、自由奔放なジャンヌは修道院が退屈で仕方ありません。
湖畔でこっそり官能的な本を読んでいるところをシスターに見つかってしまい、
「こんなふしだらな本を読むなんて!」
とばかりに、修道院を叩き出されてしまいます。
ムッシュ・デュムソーの屋敷に戻されたジャンヌ。
ムッシュ・デュムソーは、以前のように書斎で彼女に絵画を見せるなどして知的な会話を楽しみます。
しかし、今はもう幼かった彼女ではありません。
どこか艶めいた魅力を湛えた、ドキッとするほどの美少女に成長しています。
大人の女性ともいえないかも知れませんが、もう子供でもありません。
ムッシュ・デュムソーの妻は、夫がジャンヌを可愛がる様子を、以前のように平静な気持ちで見守ることはできず、ジャンヌの母親に盗みの罪を着せて母子ともども屋敷から追い出してしまいました。
パリに移り住んだ後、ジャンヌはデュ・バリー伯爵(メルビル・プポー)の後見を受け、身分の高い男たちの相手をする高級娼婦のような生活を送ります。
貴婦人のような生活と引き換えに、伯爵が連れてきた男性とベッドを共にしなければなりません。
予告編にもあった、長テーブルの端から端まで四つん這いで進むゲームに象徴される、派手でばかばかしくて、熱病に浮かされて踊り狂うかのような毎日。
それでも、お相手が家柄のよい貴族やアカデミー・フランセーズ会員などであったため、聡明なジャンヌは社交界でも通用するような話術や立ち居振舞いを会得していきます。
ジャンヌも、好き好んで高級娼婦になったわけでもないでしょう。
貴族の読書係を務めていた経歴を活かして、デュ・バリー伯爵の息子に作文を教えているシーンもあります。
少なくとも本作におけるジャンヌは、自分よりも年若い者たちの面倒を見ることに熱心なことから、叶うことなら、教職などに就いて、自分の知識をもっと豊かに蓄えながら社会で創造的な活躍をしたかったのかも知れません。
男たちに会うのがいやで、わざと長風呂をして風呂のなかで本を読んでいたら、デュ・バリー伯爵が入ってきて、
「おまえなどが本を読んでいて何になる!」
と、ジャンヌの頭を掴んで乱暴に浴槽に沈めるシーンもありました。
リシュリュー公爵(ピエール・リシャール)に対して、ジャンヌが、
「私のような生い立ちの者は、母のような料理人になるか、娼婦になるしか道がない。娼婦の方がましだ。」
と語るシーンもあります。
女性が生き方を決めるにあたって、示される選択肢は極めて少ない――そういう、不自由な時代だったのです。
●ベルサイユ宮殿 鏡の回廊
リシュリュー公爵の計らいで、ベルサイユ宮殿の「鏡の回廊」に連れ出してもらったジャンヌ。
貴族たちは、5年前にポンパドゥール夫人を亡くして意気の上がらない国王ルイ15世(ジョニー・デップ)に、魅力的なジャンヌを差し出して元気を取り戻してもらおうと目論んだのです。
ここで登場するジョニー・デップ演じるルイ15世の存在感が、圧倒的です。
役者がアメリカ人なのだとか、フランス語は母語ではないとか、そのようなことは頭から吹き飛んでしまう。
改めて、そのカリスマ性と演技力に打ちのめされました。
まさに目の前に展開するのは、ルイ15世その人と、ジャンヌ・デュ・バリーその人の、出会いのシーンです。
このとき、一目で見染められたジャンヌは、王の寝室に呼ばれることとなります。
●王の親友と呼ばれたラ・ボルド
王の寝所に侍る前に、性病検査が行われます。
室内に、ジャンヌのほかに医師とその助手、国王の側近のラ・ボルド(バンジャマン・ラヴェルネ)がいます。
3人とも男性。
とてもデリケートな検査をする、このときに、ジャンヌ以外の女性はいません。
医師が医学的な質問をする際、専門用語がわからず、ジャンヌは、いちいちラ・ボルドの方に目を遣ります。
そのたびに、ラ・ボルドはジャンヌにもわかるように医師の言葉を解説してくれます。
一目見ただけでどのような用途に使われるのか想像して震え上がるような、金属製の器具が並べられ、医師がジャンヌの脚と脚の間に屈み込んでチェックを始めます。
勝気なジャンヌの顔にもさすがに緊張が走りますが、この間、ラ・ボルドは横たわったジャンヌの頭の方に座して付き添っています。
検査が終わると医師たちは去り、ジャンヌはラ・ボルドと2人きりになります。
「王様に差し出す前に、ご馳走の味見をするってわけでしょ。」
と、ジャンヌは彼を煽ります。
この小部屋で一戦交える気で、わざわざ人払いしたのだと思ったのでしょうね。
ジャンヌは娼婦。
そういう男たちばかり、見て来たのですから。
しかし、ラ・ボルドの意図は違いました。
彼は、王の寝所に侍るにあたって必要なマナーを叩きこむつもりだったのです。
「陛下の寝室に入ったとき、どのように挨拶するつもりですか。」
問われて、ジャンヌは慎重にカーテシーを行います。
「もっと腕を高く上げて。」
ラ・ボルドの指南を受けて、ポーズを修正します。
「それでよろしい。次に、王の前から退くときは、どうしますか。」
ジャンヌは、王に決して背中を見せてはいけないという、宮廷独特の作法をここで学びます。
王に背中を見せてよいのは王太子だけ。
王太子以外は、王族であっても、小刻みな後ずさりで退室せねばならないのです。
ラ・ボルドは、のちにジャンヌが公妾としてベルサイユ宮殿に召された後も、宮廷作法や関連知識などについて密かに個人レッスンを施してくれます。
ジャンヌが初めてベルサイユ宮殿に呼ばれたときから、最終的にベルサイユ宮殿を出されるときに至るまで、この二人は決して裏切ることのない同志のように手を携えていきます。
ラ・ボルドというキャラクターは、実に「フランス映画的」だと思います。
本作終盤、国王陛下崩御のとき、ジャンヌもラ・ボルトも、共に大切な人を失った悲しみに打ちひしがれます。
この二人は、「国王陛下への敬愛」という一点で結ばれています。
この共通点が、他の誰よりも固く二人を結びつけるのです。
とはいえ、要(かなめ)である国王陛下が失われたら、晴れて男女として結ばれるのかというと、そうではない。
同性の友人や同僚に感ずるような、爽やかな友愛を感ずるのかというと、そうでもない。
二人の関係を無理に言葉で表すならば、「同志」というのが一番近いのだけれども、男と女というニュアンスが全くないかというと、そうではない――ということなのです。
この、曰く言い難き男女の人間関係を描くのが、フランス映画の得意とするところだと思うのです。
例えば、本作のマイウェン監督の元夫、リュック・ベッソン監督の作品に『ニキータ』という映画があります。
麻薬中毒の少女・ニキータ(アンヌ・パリロー)が、殺し屋としての訓練を受けて政府の雇われ暗殺者になるというストーリーですが、彼女を冷徹に訓練するボブ(チェッキー・カリョ)との関係は、まさに「曰く言い難し」。
作中、ニキータはマルコ(ジャン=ユーグ・アングラード)と恋仲になりますが、だからといって、極限状態の訓練期間を過ごしたボブとの関係があっさりドライなものかというと、そんな風にも割り切れない。
男女の関係ではない。
ただの上司と部下でもない。
師弟関係と言い切ることもできない。
この『ニキータ』という作品はあまりにも人気があったので、のちにアメリカでブリジット・フォンダ主演『アサシン』としてリメイクされましたが、このフランス映画独特の暗さが取り除かれて、はい、やっちまいました、…
“I love you.” って言わせちゃいました!
ち が う ん だ な ー !
それは、違うんだよなあ!
アイラブユーって言っちゃあ、台無しなんだよなあ!
この、複雑な人間関係、もやもやした感じ…、取り除いては、ダメなやつなんよ。
これはフランス映画独特のやつやね、もう。
――というわけで、ラ・ボルドは、本当にいい具合にもやもやとフランス映画らしさを醸し出してくれていました。
●小刻み
本作終盤、ルイ15世は天然痘のため命を落とします。
感染症であるため、王太子(ディエゴ・ル・フュール)とマリー・アントワネット(ポーリン・ポールマン)は会うことを許されません。
公妾であるジャンヌは会うことを許され、病床に伏せるルイ15世に付き添います。
ジャンヌの小姓のザモールにヴィシー水を求めるルイ15世。
喉を潤し、苦しい息の下で、ジャンヌにベルサイユ宮殿を出るよう告げます。
最期を迎えるこのとき、国のため、民のために、国王であらねばならないと。
カトリック教においては、結婚という契約が重要視されるため、側室を置くことは許されません。
このため、国王が愛人を置く際は「公妾」などという、奇妙極まりないポジションが用いられるのです。
カトリック教徒からすれば、公妾は軽蔑すべき存在。
それだからこそ、マリー・アントワネットをはじめとする宮廷の貴婦人たちがジャンヌを忌み嫌い、馬鹿にしたのです。
いずれにしても、国王の庇護を失えば公妾は宮殿を出なければならない。
それは初めから決まっていることです。
ジャンヌは荷物をまとめ、馬車に乗り込もうとしますが、王の寝室のテラスに出された大きな燭台にまだ火が入っている、即ちまだ王が生きていることを確認して、矢も盾もたまらず走り出します。
嬉々としてジャンヌが出ていく姿を見送っていた貴婦人たちは、これを見て、
「あの女が走ってくる!」
と騒ぎますが、戻ってきたジャンヌは息を切らせながら、
「陛下と最後のお別れをさせてください。」
と、懇願します。
「最後のお別れはもう済んだはず。」
と、周囲の者はにべもありませんが、
「会わせてあげなさい。」
という王太子の一声で、皆は退きます。
ジャンヌは王太子に感謝して、ルイ15世と最後の対面をします。
この、死の床に就くルイ15世の演技、ジョニー・デップは本当にすばらしかった。
意気軒高として凛々しかったルイ15世も、今や病のために弱り果て、顔も喉も水疱性の発疹に覆われている。
ジャンヌは臆せず、初めて出会ったときのように愛情深くその面を手で撫で、
「愛しています。」
と、告げるのです。
国王は、
「心から愛している。」
と、彼女に応えます。
作中、ジャンヌは、
「あなたは私を愛していない。未知の私に興奮するだけ。」
と言っていたのに、この国王最期のときに、二人は、「心から愛している。」と互いに告げるのです。
愛とは何か、愛はどこにあるのか、ずっと探し求めてきたものを、この最後のときになって、初めてジャンヌは掴み取るのです。
この後、ジャンヌは国王に背を向けないよう、例の小刻みに後ずさりする作法で退室します。
このシーンが、鑑賞後もずっと引っ掛かっていました。
初めて国王の寝室に呼ばれたとき、
「君は黄金が好きなのか。後ろの黄金の像を見てごらん。」
と、国王に言われて、ジャンヌはつい自然に振り返ってしまいます。
それから、背を向けてはいけなかったことを思い出して、ぎこちなく動きながら、
「申し訳ありません、慣れていなくて。」
と、ごまかすように笑います。
「何に?」
と、国王に問われて、
「『小刻み』に。小刻みが上手にできなくても、お許しいただけますか。」
と、ジャンヌは答えます。
その後も、二人は滑稽に見えるその宮廷作法を「小刻み」と呼び、国王がジャンヌの前から「小刻み」で退出するというおふざけをしてみせたこともありました。
それなのに、最初で最後の、人生で最も緊密な時間を共有した直後、いわば100パーセント私人としての大切な時間の直後に、公人がするように国王陛下の前から「小刻み」で退出するのです。
私は、私人としての国王とはしっかりお別れを済ませたので、臣下の礼を取りながら退くことで、国王陛下としての公人に彼を返してあげて、自分も名実ともに公妾の座を降りたことを示すものかと考えました。
帰宅してこのシーンについて他の人とも話し合ったところ、
「礼儀はただその所作を取ればよいというものではなく、真に気持ちが入っていなくては意味をなさない。このシーンでは、本当に敬愛の念が籠もった『小刻み』がどういうものかを見せているのではないか。」
とか、
「初めて国王に出会ったときのジャンヌは、『小刻み』が上手くできない。しかし、このシーンでは完璧な『小刻み』を見せながら王の御前から去る。初めと終わりの対比で、ジャンヌが国王と共に宮殿で過ごした時間の重みを感じさせる。」
といった意見に発展しました。
暖炉の上のショコラを無遠慮につまみ食いし、「小刻み」が上手にできなかったあのジャンヌが、美しく完璧な「小刻み」を見せながら御前を退き、ベルサイユ宮殿を去る。
胸高鳴る鏡の回廊での出会い、豪奢な衣装を身に着けてのお披露目、衛兵の間を走り回るザモールとのおふざけ、史上初めて公の場に男装で現れて巻き起こった一大センセーション、国王が音楽家の妻を寝所に呼んだことを知って覚えた失望の味、髪を下ろしたままマリー・アントワネットの前に現れて周囲を仰天させた夜会、国王と月を眺めて過ごした夜、嬉しさのあまり駆け上がった庭園階段、エトセトラ、エトセトラ…。
ベルサイユ宮殿で過ごした思い出が、その時の重みが――愛が――、ラスト・シーンで観客の胸を締め付けてくるのです。
●ジョニー・デップが演じるフランス国王
ジョニー・デップの演技は、完璧であったとしか言いようがない。
記事によると、彼は役作りについて、以下のように語ったそうです。
「ルイ15世を演じるにあたり、私のヒーローであるサイレント映画のスターたち、ロン・チェイニー、バスター・キートン、チャーリー・チャップリン、そして独特なボディランゲージをもつマーロン・ブランドに倣いました。」
「彼らを研究すると同時に、何年もカフェなどで、同じ時代に生きる人々の“リアルな”生活を観察し、言葉を超えた表現というものに取り組み続けています。俳優はスポンジなのです。」
本作において、王太子妃としてベルサイユにやってきたマリー・アントワネットから「お言葉」をいただけず、ジャンヌが窮地に立たされる場面があります。
ジャンヌが宮廷の貴婦人方のいやがらせを受けていると知った国王は、肖像画を描かせているマリー・アントワネットの部屋に鼻息荒く駆けつけます。
ただただ無言で圧をかけてくる彼を前にして、マリー・アントワネットは怯えたように立ち上がってしまいます。
王の娘アデライード(インディア・エール)はふてぶてしく食事を続けますが、やはり平静ではいられない様子。
そうして辺りを睥睨して、嵐が去るように国王は部屋を去ります。
たった一言の台詞もないこのシーン、実に強烈なインパクトを与えるものでした。
正真正銘の権力者に、言葉は要らない。
痺れますねぇ!
●参考記事
公式サイト
ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人
https://longride.jp/jeannedubarry/index.html
映画.com
ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人
https://eiga.com/movie/100835/
映画.com
ジョニー・デップが日本のファンに感謝! 「ジャンヌ・デュ・バリー」メッセージ映像披露 「長年に渡り応援してくれて本当にありがとう」
https://eiga.com/news/20240202/2/
Yahoo! JAPAN ニュース
『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』ジョニー・デップが仏語演技について語るコメント&WEB限定ポスター到着
https://news.yahoo.co.jp/articles/f37bd28051a40dd27bc81a53c0524fbb3c0cdd6f
CinemaCafé.net
シャネル制作のドレスが多数登場!『ジャンヌ・デュ・バリー』の豪華絢爛な衣装に注目
https://www.cinemacafe.net/article/2024/01/22/89618.html
note:いなうらゆうま(稲浦悠馬)ブログ
映画「ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人」は退屈しない王宮フランス映画だった
https://note.com/yumainaura/n/nde3ba42b1571
PopVerseMix(ポップバースミックス)
【レビュー】映画『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』の感想・評価・口コミ・評判