アベンジャーズ/エンドゲーム【ネタバレ有り】 | 映画の夢手箱

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 映画の鑑賞記録です。基本的にネタバレ有り。

 ずいぶん長く沈黙していたものだ。2019年4月の『アベンジャーズ/エンドゲーム』劇場公開から、はや3年半も過ぎてしまった。

 

 そもそもこのブログ『映画の夢手箱』は、2012年に最初の『アベンジャーズ』を劇場で鑑賞し、興奮極まって勢いのままに始めたもの。爾来、個人的な映画鑑賞日記を公開でつける、といったスタンスで、思い出したようにぽつり、ぽつりと感想文を掲載してきた。

 

 このブログが生まれたきっかけがこのようであったことを考えれば、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を鑑賞したらすぐさま、感想文をものするのが当然のように思えるであろう。実際、何度か、感想文を書きかけた。だが、書き続けることはできなかった。その心境を語る前に、まずは以下のネット記事をご覧いただきたい。

 

 2019年4月26日、浙江省寧波市に住む中国人のシャオ リーさん(21歳)は、本作鑑賞中、興奮と悲しみのあまり涙が止まらなくなり、大きくしゃくりあげながら泣き続け、ついに過換気症候群(過呼吸)で寧波市の明州病院に救急搬送された(2019年5月3日付け「livedoor's NEWS」から引用)。

 

 いかがであろうか…、おわかりいただけただろうか! 救急搬送こそされなかったが、わたしも心象風景においては息が停まり死にかけたのである!

 

 この憐れなシャオ リーさんのほかにも、劇場内では奇妙な呻き声をもらす観客が続出し、上映中に激しい感情のアップダウンを何度も繰り返して体力を奪われることから、健康に支障をきたす観客が少なくないと報じられた(2019年4月29日付け「サブカル&オカルトニュース アトラス」から引用)。これは記事が大袈裟なわけではないということを、わたしは確信している。

 

 シリーズ前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』に至っては、死者を出している。インドの劇場内で、同作鑑賞中に、男性がショック死した。彼の心臓はあまりもの衝撃的な結末に耐えられず、停止してしまったというのだ。

 わたしは彼に共感し、同情する。彼ほどではないが、わたしも前作、そして本作からただならぬダメージを受けた。前作も本作も1度しか鑑賞していない。恐怖と悲しみから、2度目が観られないのである。あれ以来、劇場に足を運んでいない。もちろん、その理由の大半はコロナ禍であるが、このアベンジャーズ・ショックも、無視できない理由なのである。

 

 わたしが本作の感想文を書かずにいたのは、「誰が読むかわからない公開ブログには、いいことだけ書こう」と決めていたからである。わたしの感じ方は、わたしだけのものに過ぎない。わたしがいいと思ったものを皆がいいと思うとは限らないのと同様、わたしがダメだと思ったものをとても愛している人が必ずいる。わたしは、自分が愛しているものを悪く言われるのはイヤだ。だから、多少の批判をすることがあるとしても、感情的にここがダメだ、あそこが受け容れられない、と書き散らすのは絶対にやめよう、と思っていた。

 

 思っていた、が…。

 

 が。

 

 が!

 

 もう、これは言わせてもらいますよ!

 

 映画鑑賞後の悲嘆の声など聞きたくないという方は、本稿はここまでにて! また次回お会いしましょう! ハイ!

 

 あんまりだ!

 

 言いたいことはたくさんあるが、百歩譲っても、キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)の扱いについては、どうしても承服できないよ!

 バッキー(セバスチャン・スタン)はどうなっちゃうんだい?

 ここでバッキーにこんな仕打ちをして平気でいられるキャップなら、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に至る三部作は要らなかったんじゃないか?

 今度はネット配信で『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』で2人の活躍を楽しんでね♪ とか調子に乗ってるDisney+よ、これはむしろわたしにとっては腹立たしい! 

 旧アベンジャーズの俳優陣が退いたから憤っているのではないよ? ファルコンを演じるアンソニー・マッキーにも、バッキーを演じるセバスチャン・スタンにも、何の非もない。ただただ制作会社のメタな事情で過去作の感動が汚され、踏みにじられたようで、悔しく情けないのだ。

 

 では、これからは順に追悼の辞を述べていきます。本作に悲嘆の念を覚えている方々だけ、お付き合いください。いや、長いので読まなくても結構です。いや、もう、ほんまに、書き捨てるね! チラシの裏ですわ!

 

●キャプテン・アメリカ

 確かに、今まで誰よりもストイックで、自己犠牲的な精神で皆を支えてきたキャップだからこそ、最後くらいは、彼の思いどおりにさせてあげたい気持ちはあった。初めのうちは、自分にそう言い聞かせて無理に納得しようと努力していた。

 

 でも、ダメだ。どうしても納得できない。だって、キャプテン・アメリカのシリーズ中の彼を思い出してほしい。

 

 『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』のなかで、バッキーは、キャップがまだ超人になる前からの親友だった。それなのに、世界を救うかバッキーを救うかの究極の選択を迫られる場面で、何よりも辛い選択をさせられることになる。

この後、バッキーは敵の手に落ち、洗脳されて、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』で敵方として登場する。これらの経緯があるからこそ、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』のなかで、世界の敵のようにいわれて追い回されるバッキーを、キャップだけが信じて、決してブレることがない。誰に何を言われようとも、バッキーを信じて護るという鉄のように強固な意志がある。このキャップが、バッキーと共に過去に還るならまだしも、自分だけが思いを遂げるために過去の時代を堪能するとは考えにくい。

 

 思えば、アベンジャーズのシリーズに登場当初から、キャップには深い孤独の影がある。第二次世界大戦中には愛国心を利用され、彼の理解者だったエイブラハム・アースキン博士(スタンリー・トゥッチ)は死に、冷凍睡眠状態から覚めてみれば時代が変わっており、自分の知り合いは皆死んでいる。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の作中で、スカーレット・ウィッチ(エリザベス・オルセン)の心理攻撃を受けたとき、彼が見た恐ろしい幻影は何であったか? 

***

 パーティー会場のような場所に、第二次世界大戦の時代にともに過ごした人々が集まって談笑している。

 でも、スカーレット・ウィッチが見せている夢だからか? どこか変だ。服に血が滲んでいるのに楽しそうに笑っている人がいる。どこか不気味で、不安になる…。

 やがて、若く美しいペギー(ヘイリー・アトウェル)が登場してキャップとダンスを踊る。ペギーはキャップに、うれしそうに微笑んで囁く。

「戦争は終わったの。家に帰れるのよ。」

 戦争は終わった。家に帰れる。

 それを聞いた瞬間、音楽がやみ、人々は煙のように消え失せ、がらんとしたダンス・ホールに、キャップ1人が取り残されている…。

***

 これが、スカーレット・ウィッチが潜在意識から抉り出した彼の闇だ。アイアンマンのトニー・スタークとはまた別種の、底の知れない恐ろしい孤独を、キャップは抱えている。若い人たちには、想像はできても、身に染みて共感することは難しいだろう…、親しい人が1人、また1人と鬼籍に入り、ただ自分だけが取り残され、自分自身が削ぎ落されていくような感覚を。

 

 例えば、50代以上の年代の人が「昭和の時代ではこうだったんだよ。」と言い、30代以下の若い人たちが、「へえ、昔はそうだったんだ!」と答えるようなシーンを思い浮かべてほしい。この若い人たちは、このように話を聴いて、あるいは動画で見て、あるいは本で読んで、知っているだけだ。その時代に生身で生きた人たちとは厳密に違う。彼らにとっては、江戸時代の話を聴くのも、昭和時代の話を聴くのも、思い出しながら聴いているのではなく、想像しながら聴いているという点で同じことだ。それはもう異国の文化の話を聴くのと本質的にはあまり変わらない。だから、世代が違う人たちの話は時々嚙み合わない。キャップは、どんなにアベンジャーズの新しい仲間たちと親しくなろうとも、自分だけが異邦人であるかのような感覚を味わったはずだ。

 

 だからこそ、強烈に昔の時代に還りたかった。―それは、わかる。

 

 ペギーとの恋をやり直したかった。―それも、わかる。

 

 バッキーを置き去りにしてでも。―それは、ないと思う!

 

 キャップが苦労したのと同じように、否、それ以上に、バッキーは傷だらけなのだ。トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr.)から親殺しと非難されたときも、バッキーはただの一言も、「それは洗脳されていたから仕方なかったんだ。」なんて情けない言い訳はしなかった。自分がやったことに間違いないのだと言って、全責任を引き受けた。このような彼を、

「君もファルコンやワカンダのみんなと楽しく暮らすといいよ! じゃあね! ヒャッハー!」

 とばかりに、置き去りにするだろうか。

 

 いや、キャップはそんなことしない。そんなことをするのは、

ウォルト・ディズニー・カンパニー

 だけだ。

 

●ロキ

 ロキさん(トム・ヒドルストン)は、ソー(クリス・ヘムズワース)とセットで愛でるときに最も尊さを放つ存在だった。その愛すべき彼が、まさかの『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』上映開始5分程度で身罷るなどと誰が想像しただろうか? サノスに縊り殺されるシーンが強烈すぎて、頭が麻痺してしまい、暫く話についていくのが大変だった。3年以上経過した今でも思い出すと胸が苦しい。トラウマである。

「ロキさんのことだから、そのうち、ナーンチャッテ! って言って登場するに違いない。」

 と信じて最後の作品まで鑑賞したが、そのようなことはなかった。それなのに、

「マルチバースだから問題なし! 別次元で活躍するロキさんが Disney+ ドラマで見られまぁす♪」

 って、けろっとした売り出し方は、もはやサイコパスの所業である。墓の下から遺体を引き出して弄んでいるようだ。

 

 だいたい、『マイティ・ソー バトルロイヤル』の頑張りは一体何だったのか? もともとソーのシリーズは軽いギャグタッチで描かれていて、キャプテン・アメリカのシリーズのような深刻さは薄いけれども、それにしても『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』が始まるや否やアスガルドの民の壊滅決定という無慈悲さ、『マイティ・ソー バトルロイヤル』の感動の全てを一瞬できれいさっぱりリセットとは、全くもって恐れ入る。いっそ『マイティ・ソー バトルロイヤル』など本気で鑑賞しなければよかったのにと悔やまれるくらいだ。

 

 このままロキシリーズに付いていくと、またもや「レスキル」されそうで怖い。まあ、もうわたしのなかのロキさんはお亡くなりになってお弔いも済んだので、マルチバースの彼は予告編で見かけただけだが。

 

●ホークアイとブラック・ウィドウ

https://front-row.jp/_ct/17375670

2020年7月10日 付けFRONTROWの記事より引用。

【ネタバレ】『アベンジャーズ/エンドゲーム』で物議を醸した“葬儀問題”について『ブラック・ウィドウ』の監督が新たにコメント

(中略)

脚本を担当したクリストファー・マルクスは、アイアンマンには葬儀のシーンがあるけれど、ブラック・ウィドウにはないということを認識した上で「それはトニーが極めて著名な人物だからで、ナターシャは常に影の世界を生きていたから」だと米The New York Timesで明かしていた。

***引用ここまで***

 

 いや、嘘やろ! 尺の問題やろ! 露骨すぎて引いたわ!

 

 そもそも、

「ソウル・ストーンを手に入れるためには『愛するもの』を失わなければならない。」

 ―これ。この設定。うっさんくさいんだわー…!

 

 この条件ゆえに、サノス(ジョシュ・ブローリン)も『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のなかで愛する?娘ガモーラ(ゾーイ・サルダナ)を犠牲にしてソウル・ストーンを手に入れ、「苦渋の決断だった」とか何とかほざいて自分の悲劇に酔っているんですけれども。いやいや。いやいやいや!

そんなのは愛じゃねんだわ!

 

 他の欲しい物のために差し出せる時点で愛してなんかいねーんだわ! 『ヘルボーイ』とか、『天気の子』とか鑑賞し直した後、味噌汁でツラ洗って出直してほしいんだわ!

 

 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』直後の闇の時代を支えた功労者であるブラック・ウィドウが、こんなわけのわからない設定のために命を落とすという理不尽な扱い。おまけにホークアイ(ジェレミー・レナー)以外に嘆く人の素振りすらなしですよ。引くわ~…。

 

 そのホークアイも、映画公開後は、なんかやけに楽しそうなBGMに乗って、ブラック・ウィドウの妹とやらと「子供と約束したクリスマスに間に合うか?」みたいなウキウキキャッキャしたノリで任務に当たっていたので、存外、心の傷は浅かったもよう。例によって予告しか見ていないが、立ち直りはえーな。それか、

ウォルト・ディズニー・カンパニーの洗脳技術ハンパねーな!

 

●ガモーラ

 本物のガモーラはサノスによって殺されました。

「や、ガモーラ生きてますぜ!」

 っていう本作の制作陣は、映画『チャッピー』を鑑賞し直して、魂の問題について深く討議した後、出直してください。

 

●ハルク

 最初の『アベンジャーズ』を鑑賞したときの、わたしのブログの文章を思い出してほしい。

 

***

 空中要塞がホークアイの攻撃を受けて、ブルースとブラック・ウィドウの2人が高所から転落し、その衝撃でブルースがハルクに変身しそうになるシーンがあります。

 なんとか理性で感情を抑え込み、変身しまいと苦悶するブルース、しかしブラック・ウィドウの説得も虚しく変身が進み…完全にハルクになる寸前、一瞬、ブルースがブラック・ウィドウを見つめます。その悲しい、悲痛な、傷ついた黒い瞳。このときのブルースの目が、表情が、わたしの胸に突き刺さって何日も何日も棘のように悲哀の痛みを訴え続けたのでした。なんという目をするのでしょう、マーク・ラファロは演技の天才ですね! ブルースの心中を語るのに、これ以上の表情はないでしょう。

***

 

 うん。突き刺さるような孤独と痛みがあったね。このころのブルースには、ね。

 ソーのシリーズに絡むようになってから、すっかり喜劇役者になってしまい、ブラック・ウィドウとの恋物語めいた雰囲気も、盛り上がらなかったのか立ち消えになってしまったが、本来のハルクの物語は絶望と悲しみの物語。何もかもを破壊する大いなる力を持っていたからこそ、自分を押し殺して隠遁する者だったのに。サノスの前では自慢の怪力も軽くあしらわれて、まるでいいところなし。

 

 天才同士、トニー・スタークとは格別のシンパシーがあったようにも思うけど、それも何となくうやむや。

 

 私としては、最初の『アベンジャーズ』でのイメージを堅持していただきたかったと、もったいなく思う。

 

●ヴィジョン

 ヴィジョン(ポール・ベタニー)、彼の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の死にざまたるや、身の毛がよだつ。劇場で1回観ただけだが、2度観られる気がしない。マインド・ストーンが頭部にあるからって、それを生きたまま抜き取られる。最愛の人のその様子を目の前で見なければならなかったスカーレット・ウイッチ。

 この後、例によって、Disney+ でラブラブな2人の甘い甘いドラマをお楽しみください! って、マジか。本気で言っているのか、ディズニーよ。

ウォルト・ディズニー・カンパニー、マジ鬼畜の所業!

 あの惨たらしい死にざまが目の前にちらついて入り込めんわ! 予告だけは見たけどな!

 

●ソー

 肥満体のソーは誰得だったのか。どの層を狙っていたのだ? それともあれか、ポリコレ的なあれだったのか?

 ともかく、家族を失い、母星を失った神様にしては、情けないことこの上なかったな。最後の戦いでも、キャップがムジョルニアを使うというんじゃなくて、もっと2人の連携を見せられなかったのか? 今となってはもうどうでもいいけれども。

 

●キャプテン・マーベル

 予告で散々、私が最強とかいって事態の挽回の鍵を握っていると見せかけて、実際のサノスとの戦いでは今ひとつだったキャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)。ほとんど他の惑星の事件を解決しに行っていたので、そもそも地球にいやしない。いや、他の次元に行っていたのか? いずれにしても不在ということに変わりはないが。

 最後の戦いで女性ヒーロー集結シーンは胸轟いたが、それが最後の見せ場だったと言えよう。「口だけ大将」だった感は否めない。

 

***

 結論。アントマンとガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのチームは、本編の骨が折られずに済んだかなと思います! これからは、ジェームズ・ガン監督の作品に注目していこうかな!Yahoo!ショッピング(ヤフー ショッピング)