映画:グリーンゾーン
※レビュー部分はネタバレあり

イラクに大量破壊兵器は存在するのか?マット・デイモン演じるアメリカ軍兵士が正義を求めて危険な真相に近づいていく。アメリカ政府の情報操作、そしてそれを煽ったメディアの責任を問う、社会派アクション大作。

 大量破壊兵器(MAD)の情報操作、そして、それに加担したメディア。グリーンゾーンのストーリーは、いずれもイラク戦争を巡って現実に起きた事件や事実を下敷きにしている。社会派映画としてのみではなく、真実を求めて奮闘するロイ・ミラー上級准尉を主人公に据えた、スリル満点のストーリー展開も魅力。

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イラク・フセイン政権が崩壊し、アメリカ軍がバグダッドに進駐してから数週間後。アメリカ陸軍に所属するロイ・ミラー上級准尉は部隊を率いて大量破壊兵器(WMD)の捜索にあたる任務についていた。部隊長が集まるブリーフィングで手渡される情報を元に、現地に向かって捜索を行うのだが、そのたびに、空振りに終わってしまう。しかも、狙撃されたり、銃撃を受けたりすることがたびたびであった。

ロイは情報源に対する不信感を募らせていた。この情報は正しいのか?そんなある日、CIAのマーティンがロイに接触してきた。ロイはマーティンに協力して、「WMDの真実」を探ることを決意する。

【映画データ】
グリーンゾーン
2010年・アメリカ
監督 ポール・グリングラス
出演 マット・デイモン,エイミー・ライアン,グレッグ・キニア,ブレンダン・グリーソン

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映画:グリーンゾーン 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★大量破壊兵器(WMD)はあったのか?

 イラク戦争の開始に当たって、ブッシュ大統領はイラク・フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているという理由を挙げました。これはイラク・フセイン政権の脅威を示すものとして大々的に報道され、アメリカ国民のイラク戦争開戦支持派を勢いづけます。

イラク戦争は開戦前、国民から80%を超える高い支持を集めました。しかし、フセイン政権崩壊後、アメリカ軍の捜索によっても、大量破壊兵器は発見できませんでした。現在では、大量破壊兵器、生物化学兵器、核兵器はイラクには存在しなかったという結論で固まっています。

 そうなると、開戦理由が嘘だったことになります。一体、どんな情報に基づいて、WMDの存在が確認されていたのか。

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★捨てられた大量破壊兵器(WMD)否定情報

 WMDが一向に発見されず、WMDが存在しなかったのではないかという見方が有力になってきたころ、ある事実が明らかにされました。

 それは、イラクに大量破壊兵器は存在しないという報告がイギリス政府情報機関やアメリカ政府の調査団によってなされていたという問題です。しかし、この報告は明らかされる前に政権内部で握りつぶされていたという疑惑が明らかになりました。

 結果、WMDの存在を確認する情報のみがイラク戦争開戦の是非を検討するときに提供されていた可能性が出てきたのです。開戦前に、WMDの存在を否定する文書が存在したという疑惑はアメリカのメディアで大きく報道され、一大問題に発展しました。

 なぜ、WMDの存在を否定する報告書が握りつぶされたのでしょうか?答えは簡単、ブッシュ政権において、イラク戦争は既に開戦ありきが既定路線だったからです。とりわけ、国防総省のドナルド・ラムズフェルド国防長官は熱心なイラク戦争開戦論者でした。ブッシュ政権の中でも、イラク戦争を一貫して支持してきた政権内の大物政治家です。当時の国防総省内はイラク戦争の開戦を否定することは許されない雰囲気だったことでしょう。

 その結果、イラク戦争の開戦につながる情報は重要視されますが、WMDが存在しないというような政策の見直しにつながる情報は疎んじられます。イラク戦争開戦の方針に反する報告書は国防総省の開戦支持派にとって、邪魔者でしかありません。結果、情報の"取捨選択"が行われ、WMDの存否について十分な検討がされないまま、イラク戦争の開戦が決定されたのです。

 「グリーンゾーン」では、国防総省のパウンドストーンがWMDの存在を否定する情報を掴んでいたにもかかわらず、WMDが存在するという虚偽の報告を行ったという展開になっています。パウンドストーンが個人的野心から情報を捏造したということになっているわけですが、現実のWMD情報の握りつぶしにはイラク戦争の開戦を支持する側から組織的な圧力が働いていました。

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パウンドストーンとロイ。


★パウンドストーンとアル・ラーウィ―イラク戦争前の交渉―

 本来、中立的な立場で情報を分析すべき官僚はいとも簡単に国防総省内の空気に流されてしまいました。彼らは保身を優先しました。クビになりたくなければ、長いものに巻かれろ、というわけです。

 また、パウンドストーンは情報を隠すけではなく、情報を捏造しました。パウンドストーンが情報を捏造した理由に彼の野心、出世欲があったのは事実です。省内で重用されたいパウンドストーンとしては、WMDが存在するという情報がどうしても必要でした。

 イラク戦争前、パウンドストーンはアル・ラーウィイラク軍総長に面会します。パウンドストーンはこのときの報告書にアル・ラーウィが「WMDの存在を明言した」との真実とは真逆の事実を記載しました。

 パウンドストーンがラーウィと会ったのはWMDの存在の明言を期待してのものだったのか、それとも、ラーウィとの面会を情報捏造のきっかけにするつもりだったのか、定かではありません。

 しかし、当時の状況として、アメリカ政府高官にイラク軍の高官がWMDもしくはWMD計画の存在を明言すれば、イラク戦争開戦のかっこうの口実を与えることになるでしょう。従って、アル・ラーウィがパウンドストーンにWMDの存在を公言することは期待薄だったはずです。

 パウンドストーンとしては、アル・ラーウィがWMDについて存在を否定しようが、なんと言おうが、「WMDは存在する」という情報を流すつもりでした。パウンドストーンはアル・ラーウィと面談したという事実がWMDが存在する可能性が高いという自らの報告の信ぴょう性を押し上げるものであることが分かっていたのです。

 また、パウンドストーンはアル・ラーウィに面会した際、イラク戦争が開戦に至り、アメリカ軍が占領した後、イラク軍を温存し、占領政策に当たって協力してもらうことになる、と約束をした可能性があります。アル・ラーウィはパウンドストーンの約束を信頼し、アメリカ軍占領当局の接触を待っていました。結局、その約束は果たされないわけですが。

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マーティン・ブラウンと話すロイ・ミラー。


★実在した"アル・ラーウィ"―生かされなかったWMD情報―

 イラク戦争が始まったのは2003年3月19日ですが、その前の2003年始めにフセイン政権の高官がイギリスの情報機関MI6に対して、大量破壊兵器が存在しないことを証言していました。

 証言を行ったのはタヒル・ジャリル・ハブシュという情報機関の長官で、1991年に核開発計画を断念し、1996年には生物兵器開発計画を断念したことを伝え、さらに、イラクと対立関係にある対イラン政策としてそうした大量破壊兵器を保有しているという印象を保持しようとしているだけだと説明していました。

 MI6の長官は直接ワシントンに飛び、CIAのテネット長官にこの情報を報告、さらにテネットはライス国家安全保障担当補佐官に報告しました。

 また、別ルートでも、WMDの存在を否定する情報が伝わってきていました。イラク外相のナジ・サブリやCIAが核兵器開発計画の中心的人物と認定した技師らがイラクに大量破壊兵器を開発する計画はないことを証言していたのです。

 しかし、これらの情報は全て破棄されるか、無視されました。イラク開戦約5か月前の2002年10月に行われた国家情報評価(NIE)ではこれらの情報には全く触れられていません。NIEに関わったある専門家は「イラク戦争を始めることが想定されていた。だからNIEもそれを念頭に作成されなければならなかった」と、恣意的な情報選択がなされていたことを認めています。

 「グリーン・ゾーン」でアル・ラーウィがパウンドストーンに伝えたはずの情報がアメリカ側へ伝えられていなかったように、現実にも、イラク戦争の大義を脅かす情報は遮蔽され、一般国民には全く伝わりませんでした。取捨選択された情報により、イラクの脅威はいよいよ強調され、世論は開戦へと傾いていったのです。

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↑IED(即席爆破装置)に対応する訓練を終え、イラク軍兵士に今日の訓練のフィードバックをしているアメリカ兵。2008年7月2日撮影。アメリカ空軍撮影。

★政府に敗北したメディア

 イラク戦争の開戦理由としてあげられた大量破壊兵器の存在。これについて、開戦前、大々的に報道を繰り返したのはアメリカのメディアでした。匿名の「米政府高官の話」が連日のように紙面に登場し、イラクが脅威となる兵器を隠し持っているかのように報道されていたものです。

 アメリカのメディアが報じた情報は各国メディアが取り上げ、さらに"イラクの脅威"は人々の心の中で増幅されていきました。

 ところが、状況は一変しました。いつまでたっても、肝心のWMDの現物が発見されません。イラク戦争前の報道は政府に対するメディアの敗北におわったともいえます。

 WMDの情報の信ぴょう性について疑いの声を挙げるロイに対して、上官たちはそっけない対応をしています。ロイの上司である大佐は「ワシントンはCNNを気にしてる」と言い、アメリカ政府がニュース報道に敏感になっていることを示唆しています。

 政府としては、国民に大きな影響を与えるメディアを利用したいとの思いと、メディアに掘り返されたくない問題を隠しておきたいという思いがあります。メディアとしては、政府から情報を得つつ、政府が伏せている情報を得て、いち早く報道したいという思いがあります。

 メディアが連日報道するWMDの存否はイラク戦争の根幹に関わる重大な政治問題でした。しかし、その報道の大勢は、イラクにWMDが存在するという報道一辺倒でした。ブッシュ政権の主張する通りの報道がなされていたわけです。WMDが存在するという根拠はすべて、政府発表や、匿名の「政府高官から」の情報提供によるものでした。

 しかし、本来、政府とメディアには緊張関係があってしかるべきです。

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↑パウンドストーンに"マゼラン"の情報を聞き出そうとするローリー。


★政府に利用されたメディア

 イラク戦争前、政府はメディアをうまく利用することに成功しました。メディアは"ブッシュ政府高官によると…"という匿名の情報提供に踊らされ、その報道を見た国民はイラクに大量破壊兵器が隠されていると思い込み、イラク戦争開戦支持派は見事、国民の多数派となります。

 メディアは見事に政府の広報機関と化してしまったのです。

「グリーンゾーン」ではウォールストリート・ジャーナル紙のローリー記者が登場します。彼女は毎日のように、パウンドストーンに付きまとい、政府高官が多数出入りするサダム宮殿に足しげく出入りして情報をかき集めています。

 パウンドストーンはローリーに対して""マゼラン""についての独占取材を許していました。もちろん、非公式にですが、情報を漏らすときにはローリーにだけ、話すという特権を彼女に与えたのです。

 さて、こういう場合、ローリーはどうすべきだったでしょうか。パウンドストーンはアメリカ政府の高官ですし、そのような立場の人間から情報を取れることなどめったない機会です。しかも、パウンドストーンは独占的な情報提供をしてくれる、という。

 熱心に取材していても、他社を出し抜くような情報が入ることはまれです。ウォールストリート・ジャーナル紙にとっても、ローリーにとっても、これは特ダネ中の特ダネだという結論に達したのは想像に難くありません。

 メディアは情報をとにかく早く、他社より優れた情報を報道したいと思うものです。これにつけ込まれたのが記者のローリーでした。ロイに"マゼラン"の情報源に付いて問い詰められたローリーは返答に窮しています。彼女は"マゼラン"に会ったことはなく、"マゼラン"の提供したWMDの情報に基づいた現地取材もしていません。

 「誰の差し金で嘘の記事を書いた?情報の確認はしたのか?」と追及するロイに対し、「政府高官から手渡された情報だから…」。彼女は情報の裏付けを取ることはしていませんでした。国防総省の高級官僚のパウンドストーンが情報源であるというそれのみで、流された情報に基づいて"マゼラン"の記事を書いていたのです。

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↑イラク・アルブ・サワット周辺で金属探知機を使って岩を調べるアメリカ軍兵士。IED(即席爆破装置)などのトラップが仕掛けられていないか調べている。2009年4月3日撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。

★実在した"ローリー"―NYタイムズ紙・ジュディス・ミラー記者―

 ローリーのモデルとなった記者がいます。ニューヨーク・タイムズ紙の記者ジュディス・ミラー氏です。彼女はピューリッツァー賞を受賞したこともある有名な記者で、政界とも太いパイプを持ち、社内でも大きな影響力を持っていました。

 ジュディス・ミラーは「あるブッシュ政権高官の話」や「ある亡命イラク人の話」を情報源とする大量破壊兵器の所在に関連する記事を多数、タイムズ紙に掲載します。それらの記事によれば、イラクには大量破壊兵器が存在しているという事実は自明のことであることのように思われました。ジュディス・ミラーはイラク開戦派の急先鋒に立ったのです。

 彼女の書いた記事の中で最も有名なのは、「アルミ管」の話です。これは、イラクがウラン濃縮に使用するアルミ管を輸入したことを報じる記事で、彼女はこれがイラクの核開発計画を実証するものであると報じていました。この記事の衝撃は大きく、世論は一気にイラク戦争開戦へと動いていきます。ブッシュ大統領はこの記事を根拠にあげて、イラクに大量破壊兵器があることを言明する演説を行うほどでした。

 しかし、このアルミ管は大量破壊兵器の開発とは全く無関係であったことがイラク戦争後になって発覚します。連邦議会に提出された報告書の中でくだんの「アルミ管」は「無関係」と明記されました。このアルミ管は通常兵器、もしくはロケット・エンジンに使用される部品でした。

 ジュディス・ミラーの記事には多くの誤りが含まれていました。彼女は匿名の情報源から得た情報をそのまま、記事に書いていただけだったのです。彼女の記事が誤報の危険性を含んでいることを危ぶむ声はありましたが、社内で強い発言力を持つ彼女にタイムズ紙の編集部は歯止めをかけることはできませんでした。

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↑イラク・ファルコン基地を出発する兵士たち。暗視スコープを通して撮影。2009年4月12日撮影。アメリカ空軍提供。

★止めを刺したCIA秘密工作員身元暴露事件(プレイム事件)

 さらにジュディス・ミラーに追い打ちをかける事件が起きます。2003年7月、駐ガボン大使であったアメリカ合衆国外交官ジョセフ・ウィルソンの妻バレリーがCIA秘密工作員だったという機密情報が暴露されたのです。イラク戦争開戦約4カ月後のことでした。

 司法当局の調査の結果、ホワイトハウス高官がリーク元である可能性が高まりました。このリークはイラク戦争を批判したウィルソンに対する報復だったのです。ジュディス・ミラーは記事にはしなかったものの、このリークを受けた2人の記者のうちの1人でした。

 2005年、彼女は情報源の証言を拒み、法定侮辱罪に問われて約3か月収監されたのち、情報源を明かしました。これだけみると、ジュディス・ミラーは報道の自由を体を張って守ったようにも思えます。しかし、彼女の明かした肝心の情報源が大問題でした。

 彼女の明かした名前はルイス・リビー副大統領首席補佐官。彼女の政権内部への太いパイプが明らかになると同時に、彼女はこのリーク事件について社内の検証報道に非協力的な態度を表明します。ジュディス・ミラーはイラク戦争前から再三、ブッシュ政権の意向に沿った記事を書き続けてきました。「ブッシュ政権高官の話」に基づく大量破壊兵器の記事をよく書いていた彼女が今回の事件でリーク元がホワイトハウスであることを証言すれば、今までのWMD誤報記事の出所が明らかになり、彼女は重要な情報源を失います。

 結局、彼女が守りたかったのは報道の自由などという高尚な理念ではなく、彼女のWMD誤報記事について共犯関係にあるも同然のホワイトハウスでした。ジュディス・ミラーは社会的な批判にさらされ、ニューヨーク・タイムズ紙を去っていくことになります。

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★政府の犬

 なぜ、ホワイトハウスがジュディス・ミラーにリークをしたのかを考えてみるべきです。それは、彼女がブッシュ政権にとって都合のいい記事を書く記者だと思われていたからです。記者にとって、これほど不名誉なことはありません。

 もちろん、一般には知ることのできない情報を取ってくることは重要なメディアの仕事です。しかし、メディアは"政府の犬"であってはなりません。ましてや、政府のプロパガンダを垂れ流す宣伝機関であってはならないのです。メディアが果たすべきは、政府を監視し、チェックする機能です。

 2001年、アメリカでは9.11テロが発生し、多くの犠牲者が出ました。アメリカ本土でこれほどの大規模なテロが決行されたのは初めてのことです。アメリカは政府も国民もパニックに陥りました。

 そして、2003年3月。イラク戦争開戦のときです。アメリカは依然として"イスラムの脅威"に敏感でした。そんなときに、イラクの大量破壊兵器疑惑やフセインとテロリストとの連携の可能性がまことしやかに報道されたため、人々の恐怖感は煽られます。世論は一気にイラク戦争開戦支持へと傾いていきました。

 メディアはブッシュ政権の巨大な広報機関としての役割を果たしていたのです。

 政府の意のままに情報を垂れ流す報道姿勢は民主主義の土台を揺るがします。なぜなら、政府による恣意的なメディアの選択ができる状況を作り出してしまうからです。つまり、政府は都合のよい記事を書く記者やメディアを優遇して優先的に情報を流す一方で、批判的な記事を書くメディアを排除することができてしまいます。そうなれば、情報は偏り、メディアは政府に批判的な記事を書きにくくなってしまうのです。

 ブッシュ政権は9.11テロ後、テロとの戦いに挑む政権として高い支持率を得ていました。そうした政権を批判することにメディアは及び腰でした。また、9.11後は愛国心が高まり、アメリカが一致団結してテロに立ち向かわなければならない、という雰囲気があり、時の政権を攻撃しにくい雰囲気が醸成されていたのです。そこにつけ込まれた形をとったのがWMD報道でした。

イラク・バグダッドの夜間パトロールをする小隊。2008.1.26撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供.jpg

↑イラク・バグダッドの夜間パトロールをする小隊。2008.1.26撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。


★報道しなくてもいいのか?

 本来、メディアはその影響力の大きさを自覚し、流す情報については十分な裏付け調査をすることが求められます。しかし、現実問題として、裏付け調査ができない情報というものがあります。匿名の「政府高官の話」などというのはまさにそれです。高度の国家機密に値する情報が正しいものかどうかなどはメディア一社の調査能力の範囲を超えるものです。

 しかし、十分な裏付けがないからといって報道しなくてもよいのかという問題があります。メディアが自粛してしまえば、国民はその情報の存在すらしらないままになってしまいます。確実な裏付けの取れる情報しか報道できないとなれば、流通する情報量は著しく少なくなりますし、メディアにニュースの恣意的な取捨選択をさせることも疑問です。

 結局、裏付けのない不確実な情報を一様に排除することはできません。そうなれば、メディアの報道する情報は総合的には信ぴょう性が低下することは否定できません。間違った情報が含まれている可能性があることを考慮しなければならないからです。

イラク・Al Jazeera砂漠での大規模な攻撃作戦で、家屋に突入するアメリカ軍。2006年5月22日撮影。アメリカ空軍提供。.jpg

↑イラク・Al Jazeera砂漠での大規模な攻撃作戦で、家屋に突入するアメリカ軍。2006年5月22日撮影。アメリカ空軍提供。

★報道の受け手としての心構え

 より、たくさんの情報を得ようとすれば、その情報が玉石混合になることは仕方がないことだとするならば、その情報を受ける側がその認識を持つことです。全てを真実だ、と考えず、もしかしたら、と疑う気持ちを持つ。

 イラクに大量破壊兵器が隠されているという報道が各社からされた場合、ならばすぐに戦争だ、と飛びつくのではなく、他に、開戦理由を支える、もしくは否定するどんな要素があるのかを情報収集し、それらを総合的に判断する力をつけることが必要でしょう。いろいろな要素を総合考慮していれば、要素の一つが間違っていたとしても、他の要素によって是正され、誤った結論に至る可能性が少しでも少なくなるからです。

 報道をうのみにして直接的に結論に飛びつくのではなく、ニュースから取得した情報は自ら思考する際の一材料として参考にする、という気持ちで報道に接することが重要になってきます。

イラク、反政府勢力の武器庫の探索任務中、非常線を張る間の警戒に当たる兵士たち。2007年4月2日撮影。アメリカ空軍提供。.jpg

↑イラク、反政府勢力の武器庫の探索任務中、非常線を張る間の警戒に当たる兵士たち。2007年4月2日撮影。アメリカ空軍提供。

★政府、メディア、そして民主主義

 ブッシュ大統領は2002年10月、開戦約5か月前の演説で、「イラク政府は炭疽菌などの病原体を、3万トン以上製造し、マスタード・ガス、サリン、VXなどの化学物質を数千トン製造している」「大量破壊兵器(WMD)の危険は米国および世界の国々にとって、刻一刻と増大している。我々はサダム・フセインが今日もWMDを持っていることを知っている」と述べています。

 また、2003年1月、開戦約2か月前の年頭教書演説では「サダム・フセインがナイジェリアから大量のウランを購入しようとした」という情報に触れ、イラクの脅威を強調していました。

 現在では、大量破壊兵器(WMD)の保有、ビン・ラディンとフセイン政権との連携はいずれも否定されています。2004年、アメリカ政府調査団はイラク国内に核兵器や生物化学兵器を含む大量破壊兵器は存在せず、具体的な開発計画もなかったと結論付けました。最終報告書は議会に提出されています。

 しかし、開戦前のブッシュ政権は大量破壊兵器保有の可能性、生物化学兵器の可能性、神経ガスが製造されている可能性、アルカイダやビン・ラディンのような国際的テロリストにそういった兵器が流れる可能性、とあらゆる「脅威の可能性」を並び立て、イラク戦争の開戦に突き進んでいきました。

 そのブッシュ政権を大いに後押ししたのは、ブッシュ政権の流す情報をそのまま報道したメディアでした。

 民主主義社会においては情報は命です。国民は提示された情報を元にして政策の是非を判断するからです。その根本にある情報が間違っていたならば、国民は間違った方向へと誘導されてしまうことになります。

 ブッシュ政権の行った「可能性」の積み上げは結果として、嘘の積み重ねだったことが明らかになりました。アメリカ政府の情報操作は、広く国民に正当な判断を問うべき民主主義の理念とは相いれないものです。

 「グリーンゾーン」でもたびたび、「イラクの民主化」というフレーズが強調されています。しかし、その民主化を先導すべきアメリカ政府が行った情報操作はとても民主的とはいえません。そして、メディア。一部の政府関係者から流される情報を「政府高官の話では…」と信用性が高いかのように書きたて、結果として根拠のない恐怖感をあおりました。

 メディアの発達した民主主義社会において、メディアは政府の発表する情報や政策を報道し、同時に、国民の意見を集約する、言論代表としての役割が期待されています。国民一人の声を政府に届けるのは大変ですが、メディア1社があげる声は国民1人の声の何百倍、何千倍にも相当するのです。

 その力の大きさを理解し、その責任を果たすことがメディアには期待されています。

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↑イラク軍・イラク国家警察と共に作戦に参加するアメリカ軍。非常線を張る間の警戒行動をしている。2008年12月15日撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。

★安全地帯から

 グリーンゾーン。これはバグダッドに設けられた約10平方キロメートルに渡る安全地帯のことで、連合国暫定当局など政府機能の中枢やショッピングエリア等の商業区域があり、政府高官やメディアが多く集まる場所です。ここにはアメリカ企業の展開するチェーン店もあり、アメリカ本土と同じような生活ができるように配慮されています。

 一方、ロイ・ミラーの活動地域はグリーンゾーンの外側、レッドゾーンと呼ばれる危険地域。治安は極度に悪く、常に生命の危機にさらされる場所です。しかし、意思決定がされ、命令が下されるのはグリーンゾーンから。

 この映画の場合、グリーンゾーンとは「安全な場所」という広い意味で考えた方が良いと思われます。すなわち、バグダッドにあるグリーンゾーンだけではなく、ワシントンのアメリカ政府当局のことも意味しているのです。彼らは安全な場所から命令を下し、実行部隊であるロイらアメリカ軍を動かします。自ら命を危険にさらすことはなく、銃弾の雨をかいくぐることもありません。

 国防総省の高級官僚であるパウンドストーンは「グリーンゾーン」住人の代表です。彼は現場に出ることはありません。全て連絡網を使って命令を下し、実行させるのみ。もちろん、彼は文官なので、現場に出て銃を取ることは期待されていません。問題はパウンドストーンが現場に出ないことにあるのではありません。彼が現場を知らないことにあるのです。

 パウンドストーンは命のやりとりというものが一体どういう犠牲を伴うものなのか、頭では分かっているかもしれませんが、実感を伴って理解していないようです。

 「WMDなんてどうでもいい!」と言い放つパウンドストーン。では、そのどうでもいいWMDを探し続けていたロイらは今まで無駄な仕事に骨を折り続けてきたということになります。

 たくさんの兵士が、WMDの探索の任務中に負傷したり、命を落としたりしてきました。彼らの血は一体、何のために流されてきたのでしょうか。巻き添えになったイラクの市民の犠牲は一体、何のための犠牲だったのでしょうか。

イラク・バグダッドでイラク軍と合同作戦中、スナイパーがいないか警戒するアメリカ軍兵士。2007年6月27日撮影。アメリカ陸軍提供。.jpg

↑イラク・バグダッドでイラク軍と合同作戦中、スナイパーがいないか警戒するアメリカ軍兵士。2007年6月27日撮影。アメリカ陸軍提供。

★勝利は戦争を正当化するか

 「我々は勝ったんだ!」と言うパウンドストーンは、フセイン政権を打倒し勝利した以上、今さら、開戦理由の一つが誤っていたとしても、それが何だというのか、そんな小さなことは今さらどうでもいいことだ、と言いたげです。

 パウンドストーンの主張は開戦後、WMDの不存在が明らかになるにつれて、イラク戦争を推進してきた人々によって主張された内容を踏襲するものです。

 アメリカはイラク戦争に勝利したし、独裁者のサダム・フセインも排除した。今の問題は開戦理由の是非よりも、どうやってイラクを民主化していくかにあるのだ、というわけです。

 確かに、もう、フセイン政権は消滅してしまいました。開戦した理由に正当性があったにしろ、なかったにしろ、アメリカがイラクを放置するわけにはいかないのは事実です。

 しかし、イラク占領政策の問題とは別に、イラク戦争開戦に至った理由が誤っていた理由を検証する必要性が消えてなくなるわけではありません。サダム・フセインが独裁者だったのも事実です。しかし、その独裁者を戦争という手段で排除していいかどうかは別問題です。

 しかも、今回は大量破壊兵器(WMD)が存在する「可能性」があるという理由で戦争を始めました。アメリカ政府は"予防戦争"という近代国際政治にはない前例を作ったのです。結果としてWMDがあろうが無かろうが、WMDがあるという疑惑をもたれたが最後、アメリカが先制攻撃を仕掛ける可能性があることを今回のイラク戦争は明確に示しました。

 この予防戦争という新しい戦争の始め方が今後、どのようにアメリカ政府によって行使されていくのか。世界一の軍事力を持つアメリカが新たに作った"予防戦争"のルールは国際関係を考えていく上で重大な意味合いを持っています。

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↑イラク・バグダッドでイラク人の少年の荷車に乗っかるアメリカ兵。2008年5月31日撮影。アメリカ空軍提供。


★誰も、政府を信じない

 「もう、だれも政府を信じない」と言うロイ。大量破壊兵器(WMD)を巡る一連の問題はアメリカ政府に対する不信感のタネを植え付けました。このWMD問題が植えつけた不信感はその後のイラク政策の失敗と相まって拡大していきます。

止まないテロ、増える犠牲者。暫定政府の樹立に向けた協議は難航し、アメリカ政府が想定していたスムーズなイラクの民主化計画はとん挫しました。

フセイン政権崩壊後のアメリカの占領政策は失敗でした。占領政策には水の確保、戦争で寸断された道路の補修などのインフラ整備や警察活動など、攻撃戦略よりもより多くの人員が必要です。しかし、アメリカ軍は人手不足でした。

「グリーンゾーン」でも、水を求める人々がロイらの乗る軍用車両に押し寄せ、道路機能が麻痺していました。市民生活の向上に手が回らなかった結果、いつまでたっても戦争で破壊された都市機能が復活せず、市民の不満がうっ積していきました。さらに、テロも頻発し、治安は悪化していきます。

治安が悪化すればするほど、現場では緊張感が高まり、現地のイラク人とのすれ違いや感情的な対立、さらに過剰な実力行使や無用な人身拘束を招きました。ロイらも初めてフレディに会ったとき、警戒感からフレディを地面に押し倒すなど乱暴な扱いをし、フレディは怒りをあらわにしていました。

 地元イラク人との連絡が円滑にいかないと有効な情報収集活動ができず、テロを防ぐことができません。アメリカ軍の犠牲者が増えるにつれ、人心はイラク戦争から離反していきました。「有志連合」と呼ばれた同盟国もイラクからの完全撤退を決定するところが出てきました。

 一方で、アメリカ軍の完全撤退に向けた計画は思うように進まず、イラク軍事作戦開始後、5年目となる2008年3月にはイラク戦争に対する支持率が31%まで低下し、不支持率は67%に達しました(CNN調べ)。

 開戦当初は70%を超える支持率を記録していたことを考えると、その急降下ぶりにはすさまじいものがあります。イラク戦争の支持率が急降下した理由は大量破壊兵器(WMD)がなかったということだけではありませんが、少なくとも、イラク戦争の意義に根本的な疑問を投げかけたWMD問題は国際社会に大きな禍根を残しました。

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↑戦闘終結宣言をするため、空母エイブラハム・リンカーンに降り立つブッシュ大統領。2003年5月1日撮影。アメリカ海軍提供。

★イラクでの勝利とは

 イラク戦争の開戦から約1カ月半後の2003年5月1日、ブッシュ大統領は空母エイブラハム・リンカーン上で戦闘終結宣言をし、事実上の勝利を宣言しました。

 確かにフセイン政権を倒すという目標は達成され、この点においては勝利したといえるのでしょう。しかし、アメリカにとっての正念場はこの後でした。戦闘終結宣言以前よりはるかに多くの死者をこの後の数年で出すことになるのです。イラクでの勝利とは一体何だったのでしょうか。

 WMDの脅威が嘘だったことが分かったのち、ブッシュ政権は窮地に追い込まれます。国連の経済制裁が解除されたのちに再びフセイン政権が「大量破壊兵器の開発に乗り出す意思はあった」と述べて、イラク戦争の開戦意義を強調しました。しかし、大量破壊兵器(WMD)という大義を失ったブッシュ大統領のイラク戦争は漂流し始めました。

 イラク戦争の目的として、WMDの脅威を取り除くというほかに、独裁国家イラクを民主国家として再生させるという「自由と民主化」が掲げられていました。イスラム圏に民主国家を誕生させることで、中東圏に民主化の流れを作り、ひいてはイスラムのテロの脅威からアメリカを守ることができるという考え方です。

大量破壊兵器がなかったことが判明した今、積極的にイラク戦争の大義を支える理由付けは「イラクの民主化」のみに絞られました。

独裁者からイラクを解放し、自由をイラク国民に与えること―イラクの民主化はWMD問題で打撃を受けたアメリカがイラク戦争の正当性を保つためにどうしても必要な目標になったのです。それ以降、イラクの民主化というフレーズはますます熱心に語られるようになりました。

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↑イラク・マムディーヤで最近の反政府勢力の活動の様子を現地の農家の人に聞くアメリカ軍兵士たち。2009年8月8日撮影。アメリカ陸軍提供。

★イラクの夜明け

 軍事力で圧倒的に勝るアメリカが軍事的にフセイン政権を倒すことができるというのは自明のことでした。しかし、イラクの民主化についてはそう簡単にはいきません。

 「圧政からの解放」、「イラクの人々に自由を」、と口々に語るイラク暫定当局の官僚たち。しかし、本当に、自由があるのか、本当に圧政から解放されたのか。

 乱暴に家屋に踏み込まれ、いきなり拘束され、真っ暗な独房へと放り込まれる。拷問まがいの尋問を受け、瀕死の重傷を負わされる。テロ行為の疑いの濃い容疑者とはいえ、民主主義国家であるならば、彼は命の危機に瀕するような扱いを受けてはならないはずです。また、イラク人と見ればテロリストであるかのように見なされて銃を突きつけられて身体検査され、地面にうつぶせに押し付けられる。住宅地の真中に突然やってきて、WMDの捜索のためとはいえ、大きな穴を掘り出し、付近は立ち入り禁止にされて道路は封鎖されてしまう。

 人々はアメリカ軍に怯え、恐怖感を持って暮さねばなりません。これでは恐怖の対象がフセインからアメリカ軍に交代しただけ。抑圧される状況に変化はありません。このような状況には民主主義のかけらも見出すことはできません。

 「民主主義にもいろいろな形がある」。パウンドストーンはこのように述べてイラクの状況を正当化していました。これが民主主義だといえるなら、民主主義は限りなく独裁に近い形をとることも許されることになります。しかし、強権的な政治手法を取るサダム・フセインを倒す目的で戦争を始めたはずです。ならば、独裁体制に親和性の高いこのような民主主義は選択肢から排除されねばなりません。

 独裁が許されないとして戦争をし、多数の兵士や市民の犠牲を払って得たのはフセイン政権と何ら変わらぬ強権国家だったというのでは犠牲者たちは浮かばれません。

 ブッシュ大統領は退陣間際、残り50日の任期となった2008年のインタビューで「イラクがWMDを保有していなかったことを事前に知っていたらイラク侵攻に踏み切らなかったのではないか」との質問を受けています。彼は「興味深い質問だ」と短い返答をよこしました。

 ブッシュ大統領が記者の質問に対して、あえてイラク戦争を正当化するこれまでの論理を繰り返さなかったことはとても"興味深い"ことです。

 WMD問題が華やかなりしころなら、ブッシュ大統領は「興味深い質問だ」と答えたでしょうか。この短い返答からはイラクの民主化に向かって意気込んでいたかつての勢いを感じることはできません。むしろ、果てない混乱が続くイラクの現状を踏まえた「戸惑い」が感じられます。

戦争の火ぶたを切った、時の最高司令官が戸惑いを感じるイラク戦争。一体、何のための戦争だったのか。根本的な疑問がわいてきます。

アメリカ軍の完全撤退は2011年末が予定されています。アメリカ軍が撤退しても、イラクでは新しい国づくりへ向けて手探りの日々が続くことになるでしょう。アメリカが目指した「イラクの民主化」が達成されるには、まだまだ苦難の道が続きます。


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↑イラク・バグダッドのSha'ab地区中央市場の統治権限の移譲を記念する式典。2009年1月3日撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。

(参考資料・文献)
AFP通信・2008年12月3日「ブッシュ米大統領、イラク情報活動失敗が最大の痛恨事」
読売新聞・2004年10月7日「イラク大量破壊兵器、開発計画なし…米最終報告」
毎日新聞・2005年10月20日「米国 ミラー記者批判広がる CIA身元漏えい事件検証で」
IPS JAPAN・2008年8月17日「CIAは大量破壊兵器がないことを開戦前に知っていた」
熊谷 徹 「米国への不信―見つからないイラク大量破壊兵器」・週刊エコノミスト・2003年9月30日号
牧野 洋「ジャーナリズムは死んだか」現代ビジネス・2010年6月3日


イラク、偵察任務中に部隊の展開を見守るアメリカ軍兵士。2008年3月12日撮影。アメリカ空軍提供。.jpg

↑イラク、偵察任務中に部隊の展開を見守るアメリカ軍兵士。2008年3月12日撮影。アメリカ空軍提供。

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