映画:ハート・ロッカー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり
「ハート・ロッカー」の『解説とレビュー』です。
「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら。
★-War is a drug-戦争とは麻薬だ
戦争は麻薬のようなもの。一度、この快感を味わったものは永遠にそのスパイラルから抜け出すことはできない。一度感じた甘美な記憶は人間を再び戦場へと向かわせる。命が尽きるまで。
"War is a drug"とは、「ハート・ロッカー」の冒頭に提示されるメッセージです。ジェームスはその言葉通り、また戦場に戻ってきました。B中隊からD中隊へ。彼はふたたび365日の地獄を味わうでしょう。そして帰国する。そして、再び彼は戦場へ向かうでしょう。
戦争が続く限り、ジェームスがその地に向かうことを止めることはできません。命が続く限り、その身を危険にさらし、死地から脱するというあの快感を味わいに行くことになるのです。
結末、ジェームスが再び戦地に向かったことを知った観客を襲うのは虚脱感。観客はジェームズが爆弾にさらされ、死にそうになるたびに彼の一挙一投足にすさまじい集中力を強いられてきたからです。「ブラボー隊の任務終了まであと○日」と表示されるたびに、あと何日あるのか、と観客は思うようになっていきます。
そして、ようやくジェームスが無事に帰国。妻子といる彼の姿に安堵感を覚えます。しかし、ジェームスの可愛らしい息子の顔を見ているうちに再び聞こえてくるのはあの音。輸送機のすさまじいローター音です。観客は再び戦地に連れ戻されてしまいます。「またか」。ジェームスは戦場に戻ってきました。
★なぜ、「地獄」に戻るのか
なぜ、ジェームスは戦場に戻るのでしょうか。彼は防爆服を着て味わうのは「地獄だ」とサンボーンに言います。では、なぜ、その「地獄」に再び戻るのでしょうか。
ジェームスには、妻がいて、幼い息子もいます。妻は彼を愛しているし、ジェームスが赴任中、電話一つよこさなくても、家でイラクの爆弾テロの話ばかりしていても、何も文句を言いません。そして、無邪気に遊ぶ幼い息子は今が一番可愛い時期なのに。
しかし、ジェームスはそんな家族のいる家には居場所を見つけられません。彼はスーパーでも一人、別のカートを引いて、妻と息子とは別行動を取っています。彼は妻や息子と一緒に買い物をすることができないのです。ジェームスは常に戦場では1人。彼の仕事は爆弾の解除で、その解除の成否はジェームス1人の腕にかかっています。彼は1人で解除に取り組み、1人でそれを成功させてきました。彼自身のやり方で。
他人に合わせて何かをするということはもはやジェームスのやり方ではなくなっている。彼の心はいつも戦場のあの緊張感に惹きつけられている。だから、それ以外の話をすることも苦手だし、何かを誰かとやるということがおっくうになっていました。それはアメリカに帰っても同じです。
乾いた空気に強い陽ざし、雑然とした埃っぽい街。イラク・バグダッドのあの猥雑な空気にすっかり慣れてしまったジェームスにとって、ゴミ一つ落ちておらず、快適な温度に調整され、白色灯でこうこうと照らしだされたスーパーマーケットというのは落ち着きません。
きれいすぎるし、広すぎる。そして、種類の多すぎるコーンフレーク。整頓されすぎた陳列棚。そこには人間の生きているにおいがない。自分が今、生きているという喜びを感じない。ジェームスにはあの汗っぽい、埃っぽい砂漠の街の熱気、そして、一日一日を命を賭けて、生死の一線上を綱渡りで生きるイラクの日々が懐かしくなってくるのです。
ジェームスは自宅に帰り、妻の夕食の準備を手伝います。口をついて出るのはイラクの話。それも、自分が関わってきた爆弾テロがらみの話ばかり。どこでどういう爆発が起き、何人が死んだ。そんな話ばかり。妻がそんな夫の話を喜ぶわけがないことも知っています。けれど、他に何を話せばいい ? 他に何か話すことなんてあるでしょうか ?
ジェームスがしてきた仕事は爆弾の解除作業です。それ以外の何物でもありません。他の話題と言われててもジェームスには無理です。だから、出来るだけ、話をしなくて済むようにスーパーでは別行動をし、家に帰っても1人でいられ、1人でできる屋根の補修をしています。そんな日々の中で、まだ言葉の分からない幼い息子はジェームスの一番の話相手です。息子は父の言葉をわけも分からず、ただ聞いてくれます。
★ジェームスの難しい話
息子と遊ぶジェームス。びっくり箱に大喜びする息子。ここのジェームスの話は抽象的で少々難解です。一体、彼は何を言いたかったのでしょうか。
「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまうんだ」。そして、「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。
「そのうちに、ほんとに大好きなものが何かも忘れてしまう。」そして「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまうんだよ」。
「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまう。」とは、仕組みが分かり過ぎてしまって、あのときには衝撃的だったものが驚きでも何でもなくなるということ。
今のジェームスの任務である爆弾処理作業には常に「 ? 」の部分があって、その「 ? 」の部分があるから、成功と失敗、どっちに転ぶか分からない。失敗したら死ぬ。けれど、成功したら、例えようのない喜びと誇りを感じる。
ジェームスが軍を辞め、祖国で他の仕事に就いたら、分かりきったことやこうすればいいんだということを生真面目に繰り返すだけになるだろう。そこには「 ? 」の部分なんてない。びっくりすることは何もない。つまらない仕事なのです。
世の中にはクリエイティブな仕事があるじゃないか、と反論されるかもしれないけれど、ジェームスは軍隊一筋で生きてきた人間。特殊部隊の隊員から爆発物処理班へと軍の仕事ばかりしてきました。いまさら他の仕事と言っても、創造性が要求されるような仕事にはつけない可能性が高いといわねばなりません。
軍歴があるというと、「すごいね」とは言ってくれるかもしれませんが、その経歴が就職活動で常にプラスに評価されると思うのは間違いです。軍歴があるが、仕事の経験が全くない人と、同年齢で経験がある人が仕事口を競えば、負けてしまう可能性が高いでしょう。結局、軍を辞めたところで、ありうる選択肢の中から消去法で選択して就職するしかありません。
仮に、ジェームスが爆弾処理班の仕事などまっぴらだと思って軍隊を辞めたところで、前途は多難です。それを承知しているジェームスには実質的な選択肢は軍しかない。ジェームスには世の中の仕組み、あるいは自分の人生のこれからが見えてしまっています。
幼い息子と違い、ジェームスの人生にもう、「 ? 」はありません。ジェームスの人生は軍隊という「布と針金」でできているのです。だったら、せめて仕事には「 ? 」の要素が欲しい。それがあるからこそ、やりがいもあるし、いい人生を生きているという実感も得られる。
↑イラク人の少年と遊ぶアメリカ軍兵士。その間、少年の母はイラク国民の人口調査に応じて用紙の記入をしていた。アメリカ空軍提供。
また、ジェームスはこうも言いました。「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。
人間は成長するに従って、親、兄弟、妻、子供などのほか、仕事や社会的地位など、自分が誇りとするものを手にしていきます。ジェームスの場合は、爆弾の解除作業という仕事、そして爆弾を解除したときの達成感、そして、死地から脱したときに感じる快感です。
それは皆、ジェームスにとって「大事なもの」。
家族と爆弾処理を比べるなんてばからしい、と思うかもしれませんが、人間にとって快感とは根源的なもの。この愉しみを知ってしまった人間だけが知るものです。ジェームスにとって爆弾処理とは麻薬のようなもの。中毒性があり、依存性がある。ダメだと分かっていてもやめられない。アルコールやドラッグと同じなのです。
とにかく、ジェームスには妻や子のほか、爆弾の解除作業、それから得られる快感が"大事なもの"になり、どれかに順位をつけることなどできなくなっていました。道理的には、妻や幼い息子への愛情が優先するはずですし、ジェームスもそうしなくてはならないということが分かっています。
けれど、心の奥底ではジェームスはあの快感を求めている。だから彼は理性では家族を選択しなければならないと分かっていながらも、爆弾処理任務を優先してしまいます。結果、生じる罪悪感から逃れるため、彼は妻と息子という愛情を向けるべき対象を忘れようと努力せねばなりません。
ジェームスはイラクからめったに電話をせず、ようやく電話をしたときも、無言電話。なぜなら、妻に電話してその声を聞くと、理性と本能のねじれをいよいよ自覚してしまうからです。本来、ジェームスがいるべき場所におらず、命をかけた任務の方に夢中になっているという現実。そして、そのねじれからくる罪悪感を感じたくないためにジェームスは電話をしないのです。
「ほんとに大事なもの」は家族のはずなのに、それも忘れてしまう。そして、「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまう」。ジェームスが妻と息子以外に爆弾の解除作業という楽しみを見つけたように、まだ幼い息子にも成長するにつれて、大切なものが増えていくでしょう。
そうしたときに、ジェームスが息子の中に占める割合というのは相対的に低下していきます。息子がジェームスの歳になったころには、息子には妻がいて、もしかしたら子供もいるかもしれない。そのときにはジェームスのことなんて記憶の片隅にいってしまう。だから、今は父が家にいないことを許してほしい。ジェームスがイラクに行くことを許してほしい。
何度でも、ジェームスは戦地に赴くでしょう。ジェームスの妻がいくらジェームスを愛してくれたとしても、幼い息子があどけない笑顔をいくら父に向けたとしても、ジェームスにとって、あの爆弾の解除作業に勝る満足感をくれるものはありません。「ほんとに大事なもの」が戦争なんだと言ったら、きっと妻は顔をしかめるでしょう。しかし、今のジェームスにとって「ほんとに大事なもの」は戦争になっているのです。
↑テロリストと疑われた者の家を夜間に家宅捜索するアメリカ軍。イラク・モスル、2007年3月10日。アメリカ空軍提供。
★サンボーンが「無理なんだ、もう終わったんだ」といったわけ
帰国2日前。サンボーンは「子供が欲しいならこれからじゃないか」とジェームスに言われ、「無理なんだ、もう終わったんだ」と言います。一方では「息子が欲しい」とも。なぜでしょうか。2つのサンボーンの発言は矛盾しているようにも思えます。
しかし、これは相反するようで、全て真実なのです。サンボーンは息子が欲しいと思っています。一方ではそれが叶わぬ夢であることも分かっている。サンボーンが負傷したからとか、そういう生理的・身体的な問題ではありません。サンボーンは五体満足なまま、ジェームスとともに帰国を果たしたことでしょう。
しかし、サンボーンは知っています。もはや、自分に平和で穏やかな家庭生活などというものは似合わなくなっていることを。サンボーンはジェームスと同じ、特殊部隊出身者です。ブラボー隊の任務が初めての戦地経験ではありません。何度も死地をかいくぐってきた彼らは似ている。
彼は息子を文字通り「作る」ことはできるでしょう。しかし、その息子と過ごす、すなわち、家庭生活を送ることはできません。それはジェームス同様、サンボーンがその平穏すぎる生活に我慢が出来ないから。
★戦争という"ゲーム"
サンボーンは「何を選んでもサイコロの目で生きるか死ぬかが決まる」といいます。「俺たちはそのゲームに参加してる」。
ジェームスは「たしかに、俺たちはそれに参加してる。けれど、なんでそのゲームをやっているのか分からないんだ、何でか、本当に分からない」。
戦争というのは運命について「不可変論者」になりたくなるような生死の世界。"いい人"が生き残るわけではないし、"悪い人"が死ぬわけでもない。誰が生き残り、誰が死ぬかはまさに"神の采配"の領域です。
神の気まぐれ一つで人間の命ひとつなどはいとも簡単に吹き飛んでしまう。今日隣に寝ていた相棒は次の日には肉片になっているかもしれないのです。戦地の明日に"確実"なんてものはありません。
しかし、その戦争という"ゲーム"になぜ参加してるのか分からないというのはウソです。本当はジェームスもサンボーンも分かっているのです。なぜ戦争に参加するのか分かってはいるけれど、理性の部分で分かりたくないだけ。
サンボーンはその点を理解しているし、自覚しています。だから、彼は「息子は欲しいが、もうやり直せない」と言ったのです。いずれにしても、2人ともこの泥沼にどっぷりと浸かってしまっていて、もう、抜け出すことはありません。
ジェームスは「サンボーン、なぜ、俺のやり方に従ってたんだ?」と問い、サンボーンは「分からない」と答えます。
「俺のやり方」とはジェームス流の爆弾の処理作業のこと。すなわち、リスクを度外視して徹底的に解除作業をやり抜き、爆弾処理班としての任務を徹底的にこなすこと。その中には死の危険さえいとわない、ということが含まれています。
サンボーンは当初はジェームスに反発しながらも、結局はジェームスに合わせていました。最後はジェームズが自分のやり方を貫くままにさせ、サンボーンはその補助をしていました。一緒に爆弾で吹き飛ぶ可能性があったのに、です。
実際、爆破テロの捜査をジェームズが強行した結果、エルドリッジは誘拐されそうになり、そのうえ、大腿骨の複雑骨折という重傷を負いました。彼は一生、その傷に悩まされることになるでしょう。少なくとも、何らかの後遺症が残ることは避けられません。
サンボーンらがジェームスのやり方を受け入れたのは、やはり戦争が"ゲーム"だからです。サイコロで決まるゲーム。明日の生死を決めるのは自分じゃない。はるか届かない力が自分の生死を決める。それなら、別に、少しくらい危険を冒したって何も変わらない。サンボーンらはそう考えていました。いえ、無意識にそう考えていたのです。
そして、部隊の任期が終了しても、また、戻ってくるだろう予感があったこともサンボーンの背を押しました。いま、このとき、このB中隊の任期が無事に終わらせたとしても、どうせ、自分はまた戻ってくる。
また、この生と死のゲームに戻ってくる。このゲームは死ぬまで続く。そうならば、ブラボー隊で死んでも、その次に配属される部隊で死んでも、その次の次の部隊で死ぬことになっても同じではないか。どうせ、人間が死ぬという結末は何も変わらないのだから。
サンボーンのその後については映画は全く描いていません。描く必要がないからです。ジェームスを見てください。彼を見ればわかること。ジェームス自身、「これからだろ」とサンボーンに言いつつも、戦地に戻ってきてしまいました。
これはもしかしたら、悪夢なのではないだろうか ?
毎日のように、生きるか死ぬかの一線上をふらつきながら歩く毎日。この悪夢から逃れるためには、死ぬしかありません。生きている限りはまた、任務に戻って来てしまう。だから、ジェームスは危険な任務を平然とこなしますし、危ない橋も平気で渡ります。
サンボーンもそんなジェームスに文句を言いつつ、本音では自分もジェームスと同じく、戦争中毒になっていることを分かっています。だから、いつのまにか、ジェームスの危険なやり方に慣れていってしまう。
悪夢を共有する2人の生き方は似ているのです。サンボーンも、彼自身の言葉を借りれば「こんなクソみたいな場所」に再び戻ってくるでしょう。だからサンボーンのその後は描かれなかったのです。
↑イラクのバグダッド南東部の市場で警備に当たるアメリカ軍兵士。後ろでは買い物をしているアメリカ軍兵士たちの姿も見える。アメリカ軍・軍事情報センター提供。
★病んでいくエルドリッジ
オーウェン・エルドリッジはジェームスやサンボーンのようにはなれません。彼の精神構造は至って健康的なのです。どこが ? と思われるかもしれません。軍医のケンブリッジに頼っていたのに ?
確かに、エルドリッジの精神状態は普通ではない。上官が吹き飛ばされたことにくよくよし、血がべったりついたライフルのカートリッジを見て怯える。ケンブリッジ大佐が爆殺されたときにはヒステリックになって大騒ぎをしていました。
しかし、エルドリッジの反応は「普通」ではないでしょうか。普通の人間は人の死に怯え、血に恐怖を抱き、親しい人の死には激しいショックを受けるものです。
人が死んだら補充の兵士がくる。血をきれいに拭くにはツバをつけてこすればいい…この考え方に慣れるのが人間なのでしょうか。少なくとも、戦地に身を置かない暮らしをしている人間にとってはこの考え方に慣れるのは尋常な神経ではありません。
彼は普通の人間。しかし、あまりに普通すぎました。彼は爆発物処理班の任務からキャンプ・ビクトリーに戻ってきても、テレビ画面を見つめながら、大好きな戦争ゲームをしていました。イラクに来る前の彼にとって、戦争とはゲームの中の世界。いつでもやり直しのきくゲームの世界。撃たれることがあっても、痛みは感じません。
しかし、現実の戦争とゲームの"戦争"は違うのです。そして、現実の戦争をゲームにしてしまうことのできるジェームスやサンボーンのような人間だけが、現実の戦争を戦うことができるのです。
↑イラク警察署の護衛任務を終えて、宿舎でゲームをしているアメリカ軍兵士。イラク・2007年2月15日。アメリカ空軍提供。
★悪魔の誘惑、いつか終わりが
戦争に浸るジェームスとサンボーン。そして、戦争を拒むエルドリッジ。「ハート・ロッカー」では2種類の兵士たちが描かれていました。そして特に、戦争に浸り、その誘惑から逃げられなくなっている兵士たちにスポットを当てています。
彼らにとっては、祖国に戻っても、他の生活はありません。戦地で過ごすことこそが、生きる目標になっている。そして、その悪夢から抜けられないことに苦しみながらも、再び、戦地へと戻っていきます。戦争がなかったら、彼らは一生知ることのなかった快楽を知ってしまった。
しかし、いつかは終わりが来る。
戦争が終わるのが先か、彼らの命が尽きるのが先か、それは分からないけれど、いつかは終わりが来ます。ジェームスもサンボーンもそれを分かっていて、それを恐れている。
戦争が終わる前に、いっそ、爆弾で吹き飛んでしまうことができたら、この悩みからは解放される。破滅的で、どうしようもない思考だと分かっていても、その生き方を変えることは難しい。
いつか終わる戦争。そのときに、アメリカに帰ってくる兵士たちは、深刻な精神的葛藤を抱え込むことになる。「ハート・ロッカー」は警告を発しています。
ここまで、「ハート・ロッカー」の内容について見てきました。最後に、イラク戦争でアメリカ軍に甚大な被害を与えたといわれるIED(即席爆発装置)について紹介しておきます。IEDとはどのような爆弾で、どのような被害が生じるものなのでしょうか。
★IEDとは ?
IEDは即席爆発装置と訳されます。地雷や、小型の手作りの爆弾などに簡単な起爆装置をつけたもので、遠隔操作で爆破したり、踏むと爆発するもの、トラップにかかると爆発するものなど、いろいろあります。
IEDは身近な家電などに使われるような部品を使って作られることが多く、特に用意の難しい材料は必要ありません。IED・即席爆発装置というと簡易な爆弾というイメージがあるかもしれませんが、実際には、22トンのブラッドリー歩兵戦闘車やM1A1エイブラムス戦車ですら一部破壊・走行不能にし、乗員が死亡させる力を持つものが使用されることもあります。
写真が準備できなかったのですが、M1A1の上部がIEDにより、丸ごと吹き飛ばされた写真を見たことがあります。戦車ですらそうですから、アメリカ軍の多用するハンヴィーのような軍用トラックなどは言わずもがな、木端微塵になることもしばしばでした。
「ハート・ロッカー」は2008年に公開された映画ですので、IEDによる死者数の増加にアメリカ政府が頭を悩ませていたころの映画です。(参考資料:2006年5月3日付USA TODAY紙)
★IEDによるアメリカ軍の戦死者・負傷者数
2003年3月19日から2007年9月22日までの負傷者2万8千9人のうち、IEDによる負傷者は1万9千248人。約69%を占めています。同期間に死亡した人は3092人、内IEDによる死者は1952人63%に上ります。
★アメリカ軍兵士の見えない傷
最後に、あまり報道されない爆破テロの被害を紹介しておきます。爆弾テロの恐怖は直接に吹き飛ばされるだけではありません。爆破による「衝撃波」による被害がより、兵士に対する被害を増大させています。IEDによる爆破テロが頻発するイラク戦争ならではの負傷形態と言っていいでしょう。
怖いのは、目に見える傷つまり、外傷がないこと。本人は外見的には無傷なので、異常を感じることすらない場合もあります。帰国してから、本人や家族がようやく気が付くのです。「何か、おかしい」。長期にわたって記憶を失くしたり、集中力が著しく低下する、めまいや頭痛が日夜続くなどの症状があるようです。
見えない傷を負った兵士たちはどのように処遇されているのでしょうか。
オバマ大統領はイラク帰還兵の外傷性脳損傷の存在を公式に認めています(2009年2月27日演説)。しかし、帰国後の損傷発見は公式負傷者数に含まれません。脳損傷と公式に認定されても、公式負傷者数には含まれないのです。
従って、国防総省の公式統計と現実のイラク帰還兵士の脳損傷者数には5倍ほどの開きがあると指摘されています。アメリカ軍マレン統合参謀議長は実体解明の必要性を認めつつ、軍による研究は初期段階だとも述べています(2009年11月4日ワシントンでの講演にて)。ベトナム戦争から撤退したときには、兵士のPTSDや枯葉剤被害が社会問題になりましたが、イラク戦争では、この見えない傷が社会問題になっています。
★死傷者数
2003年から始まるイラク戦争で、2007年までにのべ150万人のアメリカ軍兵士がイラクに派遣されました。では、どれくらいのアメリカ軍兵士が戦死・負傷しているのでしょうか。
2009年12月24日国防総省の発表によると、アメリカ軍の戦死者数は4373人、公式負傷者数は3万1606人。公式負傷者に含まれない公式脳損傷者数は2007年時点で4471人。公式に調査されていないIEDを理由とする脳損傷の被害が2万人に上るとするUSA TODAYの調査があります。
(2007年11月23日USA TODAY紙、アメリカ国防総省2007年9月30日発表。外傷性脳損傷については日本では2009年2月17日付で毎日新聞社が報道。)
戦死者数4000人超に対して、負傷者数の数が3万人超と、負傷者数が戦死者数の7倍に達している理由は、軍の応急処置による救命率の向上、および、アメリカ軍基地やアメリカ軍キャンプに近い市街地での負傷が多く、比較的手当てが迅速にされていることが理由だと思われます。
↑爆弾の破片により下半身を負傷。全身麻酔で手術を受ける兵士。救命率が飛躍的に向上している。イラク・モスル、2007年5月16日。アメリカ空軍提供。
★現在のIED対策
2006年のIEDによる死者数の多さから、アメリカ軍もIED対策を強化し、耐防爆装甲車両(MRAP)を緊急調達することを決定しました。
14トンもの重量を有するMRAPはハンヴィーでは防げないIEDによる爆破や銃撃を防ぐことができるとされ、ロバート・ゲーツ国防長官の主導の下、1万5千台が2007年中に配備されたと国防総省は発表しています。(実戦配備されたのは7500台程度とする意見もあります。)
また、兵士には5マイル(8km以上)先まで見える監視鏡を新たに装備。これで、アメリカ軍の進路にIEDを仕掛けようとする者を発見しやすくなります。また、IEDを事前に発見するために、イラク政府からの情報提供や検問の強化を行いました。これらの対策により、約90%の死者数の減少に成功したことが、国防総省の記録やアメリカ軍関係者への取材により判明したと報道されています。
(参考資料:2008年6月22日付USA TODAY)
IEDはイラクだけの問題ではありません。アフガニスタンでも、イラクに比べれば少数ですが、IED被害は年々増加しています。
身の回りにある部品から簡単に作ることのできるIEDは、アメリカの物量に負けるテロリストの大きな武器です。これからもアメリカ軍が派遣される地域でIED対策が問題になり続けることは間違いありません。
アメリカ統合参謀本部の関係者は、テロリストたちがさらに強力なIEDを開発し、15ポンド(約7kg)の爆薬を使用した地雷式のIEDを作っていると述べています。テロリストはそのIEDを爆発させてMRAPのタイヤを破壊して足止めし、乗員を攻撃するという手法を取りました。IED対策はテロリストとそれを追いかけるアメリカの永遠の鬼ごっこになるのかもしれません。
★イラクからの撤退を目指して -アメリカ軍の出口戦略-
2007年以降から2009年12月末現在まで、アメリカ軍の戦死者・負傷者数は急速な減少傾向にあります。イラク警察や地方政府への治安維持権限の委譲が進んでいることも、死者数の減少に歯止めをかけている一因でしょう。
また、アメリカ政府は、従来は反米・反イラク政府勢力であった組織にカネと武器を渡し、親米・親イラク政府派に転向させ、民兵組織を作らせてアルカイダ掃討作戦に協力させています。この手法はアメリカ政府が得意とするいつかどこかで見た手法で、カネが途切れたり、利害関係が逆転すれば、一転してアメリカの敵に逆戻りする可能性があるのですが、現在は一応の効果を挙げているといっていいでしょう。
アメリカ軍は遅くとも2011年までに、イラクから全面撤退をする予定です。アメリカ政府としては、円満に撤退するために、それまでは何とかイラクの治安を維持したいという思惑が働いています。このなりふり構わない必死の政策が行き過ぎて、撤退後に禍根を残さないといいのですが。
結局、カネや武器供与で反米派だった勢力が親米派に転向するということ自体に、イラク国民がいかに経済的な貧困に苦しんでいるかが露呈しているように思います。イラク政府が国民全体の経済的底上げを図らない限り、一時懐柔された勢力にも、再び不満はうっ積していくでしょう。
今はアメリカのドルで親米派になっているとしても、アメリカ撤退後、カネが途切れれば、それが縁の切れ目になって、反イラク政府勢力としてアメリカから供与された武器を使って台頭してくる可能性がないとは言えません。民兵組織化したイラク人に大量の武器を供与することは、アメリカ政府にとって、諸刃の剣になりかねないということは認知しておくべきでしょう。
↑イラク人の少年が診療所で治療の順番待ちをしている間にアメリカ軍兵士を見ている。イラク、2007年7月5日。アメリカ空軍提供。
「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら。
※以下、ネタバレあり
「ハート・ロッカー」の『解説とレビュー』です。
「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら。
★-War is a drug-戦争とは麻薬だ
戦争は麻薬のようなもの。一度、この快感を味わったものは永遠にそのスパイラルから抜け出すことはできない。一度感じた甘美な記憶は人間を再び戦場へと向かわせる。命が尽きるまで。
"War is a drug"とは、「ハート・ロッカー」の冒頭に提示されるメッセージです。ジェームスはその言葉通り、また戦場に戻ってきました。B中隊からD中隊へ。彼はふたたび365日の地獄を味わうでしょう。そして帰国する。そして、再び彼は戦場へ向かうでしょう。
戦争が続く限り、ジェームスがその地に向かうことを止めることはできません。命が続く限り、その身を危険にさらし、死地から脱するというあの快感を味わいに行くことになるのです。
結末、ジェームスが再び戦地に向かったことを知った観客を襲うのは虚脱感。観客はジェームズが爆弾にさらされ、死にそうになるたびに彼の一挙一投足にすさまじい集中力を強いられてきたからです。「ブラボー隊の任務終了まであと○日」と表示されるたびに、あと何日あるのか、と観客は思うようになっていきます。
そして、ようやくジェームスが無事に帰国。妻子といる彼の姿に安堵感を覚えます。しかし、ジェームスの可愛らしい息子の顔を見ているうちに再び聞こえてくるのはあの音。輸送機のすさまじいローター音です。観客は再び戦地に連れ戻されてしまいます。「またか」。ジェームスは戦場に戻ってきました。
↑イラク,道路に仕掛けられた爆弾が爆発し、黒煙を上げて燃えている。
★なぜ、「地獄」に戻るのか
なぜ、ジェームスは戦場に戻るのでしょうか。彼は防爆服を着て味わうのは「地獄だ」とサンボーンに言います。では、なぜ、その「地獄」に再び戻るのでしょうか。
ジェームスには、妻がいて、幼い息子もいます。妻は彼を愛しているし、ジェームスが赴任中、電話一つよこさなくても、家でイラクの爆弾テロの話ばかりしていても、何も文句を言いません。そして、無邪気に遊ぶ幼い息子は今が一番可愛い時期なのに。
しかし、ジェームスはそんな家族のいる家には居場所を見つけられません。彼はスーパーでも一人、別のカートを引いて、妻と息子とは別行動を取っています。彼は妻や息子と一緒に買い物をすることができないのです。ジェームスは常に戦場では1人。彼の仕事は爆弾の解除で、その解除の成否はジェームス1人の腕にかかっています。彼は1人で解除に取り組み、1人でそれを成功させてきました。彼自身のやり方で。
他人に合わせて何かをするということはもはやジェームスのやり方ではなくなっている。彼の心はいつも戦場のあの緊張感に惹きつけられている。だから、それ以外の話をすることも苦手だし、何かを誰かとやるということがおっくうになっていました。それはアメリカに帰っても同じです。
乾いた空気に強い陽ざし、雑然とした埃っぽい街。イラク・バグダッドのあの猥雑な空気にすっかり慣れてしまったジェームスにとって、ゴミ一つ落ちておらず、快適な温度に調整され、白色灯でこうこうと照らしだされたスーパーマーケットというのは落ち着きません。
きれいすぎるし、広すぎる。そして、種類の多すぎるコーンフレーク。整頓されすぎた陳列棚。そこには人間の生きているにおいがない。自分が今、生きているという喜びを感じない。ジェームスにはあの汗っぽい、埃っぽい砂漠の街の熱気、そして、一日一日を命を賭けて、生死の一線上を綱渡りで生きるイラクの日々が懐かしくなってくるのです。
ジェームスは自宅に帰り、妻の夕食の準備を手伝います。口をついて出るのはイラクの話。それも、自分が関わってきた爆弾テロがらみの話ばかり。どこでどういう爆発が起き、何人が死んだ。そんな話ばかり。妻がそんな夫の話を喜ぶわけがないことも知っています。けれど、他に何を話せばいい ? 他に何か話すことなんてあるでしょうか ?
ジェームスがしてきた仕事は爆弾の解除作業です。それ以外の何物でもありません。他の話題と言われててもジェームスには無理です。だから、出来るだけ、話をしなくて済むようにスーパーでは別行動をし、家に帰っても1人でいられ、1人でできる屋根の補修をしています。そんな日々の中で、まだ言葉の分からない幼い息子はジェームスの一番の話相手です。息子は父の言葉をわけも分からず、ただ聞いてくれます。
↑市街の警備に当たるアメリカ軍兵士。アメリカ軍・軍事情報センター提供。
★ジェームスの難しい話
息子と遊ぶジェームス。びっくり箱に大喜びする息子。ここのジェームスの話は抽象的で少々難解です。一体、彼は何を言いたかったのでしょうか。
「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまうんだ」。そして、「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。
「そのうちに、ほんとに大好きなものが何かも忘れてしまう。」そして「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまうんだよ」。
「僕の歳になると、びっくり箱が布と針金でできてるって分かってしまう。」とは、仕組みが分かり過ぎてしまって、あのときには衝撃的だったものが驚きでも何でもなくなるということ。
今のジェームスの任務である爆弾処理作業には常に「 ? 」の部分があって、その「 ? 」の部分があるから、成功と失敗、どっちに転ぶか分からない。失敗したら死ぬ。けれど、成功したら、例えようのない喜びと誇りを感じる。
ジェームスが軍を辞め、祖国で他の仕事に就いたら、分かりきったことやこうすればいいんだということを生真面目に繰り返すだけになるだろう。そこには「 ? 」の部分なんてない。びっくりすることは何もない。つまらない仕事なのです。
世の中にはクリエイティブな仕事があるじゃないか、と反論されるかもしれないけれど、ジェームスは軍隊一筋で生きてきた人間。特殊部隊の隊員から爆発物処理班へと軍の仕事ばかりしてきました。いまさら他の仕事と言っても、創造性が要求されるような仕事にはつけない可能性が高いといわねばなりません。
軍歴があるというと、「すごいね」とは言ってくれるかもしれませんが、その経歴が就職活動で常にプラスに評価されると思うのは間違いです。軍歴があるが、仕事の経験が全くない人と、同年齢で経験がある人が仕事口を競えば、負けてしまう可能性が高いでしょう。結局、軍を辞めたところで、ありうる選択肢の中から消去法で選択して就職するしかありません。
仮に、ジェームスが爆弾処理班の仕事などまっぴらだと思って軍隊を辞めたところで、前途は多難です。それを承知しているジェームスには実質的な選択肢は軍しかない。ジェームスには世の中の仕組み、あるいは自分の人生のこれからが見えてしまっています。
幼い息子と違い、ジェームスの人生にもう、「 ? 」はありません。ジェームスの人生は軍隊という「布と針金」でできているのです。だったら、せめて仕事には「 ? 」の要素が欲しい。それがあるからこそ、やりがいもあるし、いい人生を生きているという実感も得られる。
↑イラク人の少年と遊ぶアメリカ軍兵士。その間、少年の母はイラク国民の人口調査に応じて用紙の記入をしていた。アメリカ空軍提供。
また、ジェームスはこうも言いました。「年をひとつずつ取るごとに、大事なものが多くなって、"特別なもの"とは思えないものが出てくるんだ」。
人間は成長するに従って、親、兄弟、妻、子供などのほか、仕事や社会的地位など、自分が誇りとするものを手にしていきます。ジェームスの場合は、爆弾の解除作業という仕事、そして爆弾を解除したときの達成感、そして、死地から脱したときに感じる快感です。
それは皆、ジェームスにとって「大事なもの」。
家族と爆弾処理を比べるなんてばからしい、と思うかもしれませんが、人間にとって快感とは根源的なもの。この愉しみを知ってしまった人間だけが知るものです。ジェームスにとって爆弾処理とは麻薬のようなもの。中毒性があり、依存性がある。ダメだと分かっていてもやめられない。アルコールやドラッグと同じなのです。
とにかく、ジェームスには妻や子のほか、爆弾の解除作業、それから得られる快感が"大事なもの"になり、どれかに順位をつけることなどできなくなっていました。道理的には、妻や幼い息子への愛情が優先するはずですし、ジェームスもそうしなくてはならないということが分かっています。
けれど、心の奥底ではジェームスはあの快感を求めている。だから彼は理性では家族を選択しなければならないと分かっていながらも、爆弾処理任務を優先してしまいます。結果、生じる罪悪感から逃れるため、彼は妻と息子という愛情を向けるべき対象を忘れようと努力せねばなりません。
ジェームスはイラクからめったに電話をせず、ようやく電話をしたときも、無言電話。なぜなら、妻に電話してその声を聞くと、理性と本能のねじれをいよいよ自覚してしまうからです。本来、ジェームスがいるべき場所におらず、命をかけた任務の方に夢中になっているという現実。そして、そのねじれからくる罪悪感を感じたくないためにジェームスは電話をしないのです。
「ほんとに大事なもの」は家族のはずなのに、それも忘れてしまう。そして、「君が僕の歳になったときには、父親のことも記憶の一片になってしまう」。ジェームスが妻と息子以外に爆弾の解除作業という楽しみを見つけたように、まだ幼い息子にも成長するにつれて、大切なものが増えていくでしょう。
そうしたときに、ジェームスが息子の中に占める割合というのは相対的に低下していきます。息子がジェームスの歳になったころには、息子には妻がいて、もしかしたら子供もいるかもしれない。そのときにはジェームスのことなんて記憶の片隅にいってしまう。だから、今は父が家にいないことを許してほしい。ジェームスがイラクに行くことを許してほしい。
何度でも、ジェームスは戦地に赴くでしょう。ジェームスの妻がいくらジェームスを愛してくれたとしても、幼い息子があどけない笑顔をいくら父に向けたとしても、ジェームスにとって、あの爆弾の解除作業に勝る満足感をくれるものはありません。「ほんとに大事なもの」が戦争なんだと言ったら、きっと妻は顔をしかめるでしょう。しかし、今のジェームスにとって「ほんとに大事なもの」は戦争になっているのです。
↑テロリストと疑われた者の家を夜間に家宅捜索するアメリカ軍。イラク・モスル、2007年3月10日。アメリカ空軍提供。
★サンボーンが「無理なんだ、もう終わったんだ」といったわけ
帰国2日前。サンボーンは「子供が欲しいならこれからじゃないか」とジェームスに言われ、「無理なんだ、もう終わったんだ」と言います。一方では「息子が欲しい」とも。なぜでしょうか。2つのサンボーンの発言は矛盾しているようにも思えます。
しかし、これは相反するようで、全て真実なのです。サンボーンは息子が欲しいと思っています。一方ではそれが叶わぬ夢であることも分かっている。サンボーンが負傷したからとか、そういう生理的・身体的な問題ではありません。サンボーンは五体満足なまま、ジェームスとともに帰国を果たしたことでしょう。
しかし、サンボーンは知っています。もはや、自分に平和で穏やかな家庭生活などというものは似合わなくなっていることを。サンボーンはジェームスと同じ、特殊部隊出身者です。ブラボー隊の任務が初めての戦地経験ではありません。何度も死地をかいくぐってきた彼らは似ている。
彼は息子を文字通り「作る」ことはできるでしょう。しかし、その息子と過ごす、すなわち、家庭生活を送ることはできません。それはジェームス同様、サンボーンがその平穏すぎる生活に我慢が出来ないから。
↑M2ブラッドレー歩兵戦闘車に乗り込むアメリカ兵。2006年2月・イラク。アメリカ空軍提供。
★戦争という"ゲーム"
サンボーンは「何を選んでもサイコロの目で生きるか死ぬかが決まる」といいます。「俺たちはそのゲームに参加してる」。
ジェームスは「たしかに、俺たちはそれに参加してる。けれど、なんでそのゲームをやっているのか分からないんだ、何でか、本当に分からない」。
戦争というのは運命について「不可変論者」になりたくなるような生死の世界。"いい人"が生き残るわけではないし、"悪い人"が死ぬわけでもない。誰が生き残り、誰が死ぬかはまさに"神の采配"の領域です。
神の気まぐれ一つで人間の命ひとつなどはいとも簡単に吹き飛んでしまう。今日隣に寝ていた相棒は次の日には肉片になっているかもしれないのです。戦地の明日に"確実"なんてものはありません。
しかし、その戦争という"ゲーム"になぜ参加してるのか分からないというのはウソです。本当はジェームスもサンボーンも分かっているのです。なぜ戦争に参加するのか分かってはいるけれど、理性の部分で分かりたくないだけ。
サンボーンはその点を理解しているし、自覚しています。だから、彼は「息子は欲しいが、もうやり直せない」と言ったのです。いずれにしても、2人ともこの泥沼にどっぷりと浸かってしまっていて、もう、抜け出すことはありません。
ジェームスは「サンボーン、なぜ、俺のやり方に従ってたんだ?」と問い、サンボーンは「分からない」と答えます。
「俺のやり方」とはジェームス流の爆弾の処理作業のこと。すなわち、リスクを度外視して徹底的に解除作業をやり抜き、爆弾処理班としての任務を徹底的にこなすこと。その中には死の危険さえいとわない、ということが含まれています。
サンボーンは当初はジェームスに反発しながらも、結局はジェームスに合わせていました。最後はジェームズが自分のやり方を貫くままにさせ、サンボーンはその補助をしていました。一緒に爆弾で吹き飛ぶ可能性があったのに、です。
実際、爆破テロの捜査をジェームズが強行した結果、エルドリッジは誘拐されそうになり、そのうえ、大腿骨の複雑骨折という重傷を負いました。彼は一生、その傷に悩まされることになるでしょう。少なくとも、何らかの後遺症が残ることは避けられません。
サンボーンらがジェームスのやり方を受け入れたのは、やはり戦争が"ゲーム"だからです。サイコロで決まるゲーム。明日の生死を決めるのは自分じゃない。はるか届かない力が自分の生死を決める。それなら、別に、少しくらい危険を冒したって何も変わらない。サンボーンらはそう考えていました。いえ、無意識にそう考えていたのです。
そして、部隊の任期が終了しても、また、戻ってくるだろう予感があったこともサンボーンの背を押しました。いま、このとき、このB中隊の任期が無事に終わらせたとしても、どうせ、自分はまた戻ってくる。
また、この生と死のゲームに戻ってくる。このゲームは死ぬまで続く。そうならば、ブラボー隊で死んでも、その次に配属される部隊で死んでも、その次の次の部隊で死ぬことになっても同じではないか。どうせ、人間が死ぬという結末は何も変わらないのだから。
サンボーンのその後については映画は全く描いていません。描く必要がないからです。ジェームスを見てください。彼を見ればわかること。ジェームス自身、「これからだろ」とサンボーンに言いつつも、戦地に戻ってきてしまいました。
これはもしかしたら、悪夢なのではないだろうか ?
毎日のように、生きるか死ぬかの一線上をふらつきながら歩く毎日。この悪夢から逃れるためには、死ぬしかありません。生きている限りはまた、任務に戻って来てしまう。だから、ジェームスは危険な任務を平然とこなしますし、危ない橋も平気で渡ります。
サンボーンもそんなジェームスに文句を言いつつ、本音では自分もジェームスと同じく、戦争中毒になっていることを分かっています。だから、いつのまにか、ジェームスの危険なやり方に慣れていってしまう。
悪夢を共有する2人の生き方は似ているのです。サンボーンも、彼自身の言葉を借りれば「こんなクソみたいな場所」に再び戻ってくるでしょう。だからサンボーンのその後は描かれなかったのです。
↑イラクのバグダッド南東部の市場で警備に当たるアメリカ軍兵士。後ろでは買い物をしているアメリカ軍兵士たちの姿も見える。アメリカ軍・軍事情報センター提供。
★病んでいくエルドリッジ
オーウェン・エルドリッジはジェームスやサンボーンのようにはなれません。彼の精神構造は至って健康的なのです。どこが ? と思われるかもしれません。軍医のケンブリッジに頼っていたのに ?
確かに、エルドリッジの精神状態は普通ではない。上官が吹き飛ばされたことにくよくよし、血がべったりついたライフルのカートリッジを見て怯える。ケンブリッジ大佐が爆殺されたときにはヒステリックになって大騒ぎをしていました。
しかし、エルドリッジの反応は「普通」ではないでしょうか。普通の人間は人の死に怯え、血に恐怖を抱き、親しい人の死には激しいショックを受けるものです。
人が死んだら補充の兵士がくる。血をきれいに拭くにはツバをつけてこすればいい…この考え方に慣れるのが人間なのでしょうか。少なくとも、戦地に身を置かない暮らしをしている人間にとってはこの考え方に慣れるのは尋常な神経ではありません。
彼は普通の人間。しかし、あまりに普通すぎました。彼は爆発物処理班の任務からキャンプ・ビクトリーに戻ってきても、テレビ画面を見つめながら、大好きな戦争ゲームをしていました。イラクに来る前の彼にとって、戦争とはゲームの中の世界。いつでもやり直しのきくゲームの世界。撃たれることがあっても、痛みは感じません。
しかし、現実の戦争とゲームの"戦争"は違うのです。そして、現実の戦争をゲームにしてしまうことのできるジェームスやサンボーンのような人間だけが、現実の戦争を戦うことができるのです。
↑イラク警察署の護衛任務を終えて、宿舎でゲームをしているアメリカ軍兵士。イラク・2007年2月15日。アメリカ空軍提供。
★悪魔の誘惑、いつか終わりが
戦争に浸るジェームスとサンボーン。そして、戦争を拒むエルドリッジ。「ハート・ロッカー」では2種類の兵士たちが描かれていました。そして特に、戦争に浸り、その誘惑から逃げられなくなっている兵士たちにスポットを当てています。
彼らにとっては、祖国に戻っても、他の生活はありません。戦地で過ごすことこそが、生きる目標になっている。そして、その悪夢から抜けられないことに苦しみながらも、再び、戦地へと戻っていきます。戦争がなかったら、彼らは一生知ることのなかった快楽を知ってしまった。
しかし、いつかは終わりが来る。
戦争が終わるのが先か、彼らの命が尽きるのが先か、それは分からないけれど、いつかは終わりが来ます。ジェームスもサンボーンもそれを分かっていて、それを恐れている。
戦争が終わる前に、いっそ、爆弾で吹き飛んでしまうことができたら、この悩みからは解放される。破滅的で、どうしようもない思考だと分かっていても、その生き方を変えることは難しい。
いつか終わる戦争。そのときに、アメリカに帰ってくる兵士たちは、深刻な精神的葛藤を抱え込むことになる。「ハート・ロッカー」は警告を発しています。
↑イラクにて。アメリカ軍・軍事情報センター提供。
ここまで、「ハート・ロッカー」の内容について見てきました。最後に、イラク戦争でアメリカ軍に甚大な被害を与えたといわれるIED(即席爆発装置)について紹介しておきます。IEDとはどのような爆弾で、どのような被害が生じるものなのでしょうか。
★IEDとは ?
IEDは即席爆発装置と訳されます。地雷や、小型の手作りの爆弾などに簡単な起爆装置をつけたもので、遠隔操作で爆破したり、踏むと爆発するもの、トラップにかかると爆発するものなど、いろいろあります。
IEDは身近な家電などに使われるような部品を使って作られることが多く、特に用意の難しい材料は必要ありません。IED・即席爆発装置というと簡易な爆弾というイメージがあるかもしれませんが、実際には、22トンのブラッドリー歩兵戦闘車やM1A1エイブラムス戦車ですら一部破壊・走行不能にし、乗員が死亡させる力を持つものが使用されることもあります。
写真が準備できなかったのですが、M1A1の上部がIEDにより、丸ごと吹き飛ばされた写真を見たことがあります。戦車ですらそうですから、アメリカ軍の多用するハンヴィーのような軍用トラックなどは言わずもがな、木端微塵になることもしばしばでした。
「ハート・ロッカー」は2008年に公開された映画ですので、IEDによる死者数の増加にアメリカ政府が頭を悩ませていたころの映画です。(参考資料:2006年5月3日付USA TODAY紙)
↑IEDで下部を破壊されたブラッドリー歩兵戦闘車。イラク・バグダッドで撮影。
↑M2ブラッドリー歩兵戦闘車。アメリカ軍提供。
↑M1A1エイブラムス戦車。作戦のためにキャンプから出撃するところ。イラク・2004年10月撮影。アメリカ軍提供。
↑IEDで爆破された後。ストライカー装甲車が大破している。イラク・2009年7月10日撮影。
↑ストライカー装甲車。アメリカ軍提供。
↑IEDで爆破されたクーガー。イラク・2007年9月7日撮影。アメリカ海軍提供。
↑クーガー。イラク・2007年撮影。
★IEDによるアメリカ軍の戦死者・負傷者数
2003年3月19日から2007年9月22日までの負傷者2万8千9人のうち、IEDによる負傷者は1万9千248人。約69%を占めています。同期間に死亡した人は3092人、内IEDによる死者は1952人63%に上ります。
統計出典:2007年9月30日ワシントンポスト紙、国防総省労働統計センター(DMDC)統計
★アメリカ軍兵士の見えない傷
最後に、あまり報道されない爆破テロの被害を紹介しておきます。爆弾テロの恐怖は直接に吹き飛ばされるだけではありません。爆破による「衝撃波」による被害がより、兵士に対する被害を増大させています。IEDによる爆破テロが頻発するイラク戦争ならではの負傷形態と言っていいでしょう。
怖いのは、目に見える傷つまり、外傷がないこと。本人は外見的には無傷なので、異常を感じることすらない場合もあります。帰国してから、本人や家族がようやく気が付くのです。「何か、おかしい」。長期にわたって記憶を失くしたり、集中力が著しく低下する、めまいや頭痛が日夜続くなどの症状があるようです。
見えない傷を負った兵士たちはどのように処遇されているのでしょうか。
オバマ大統領はイラク帰還兵の外傷性脳損傷の存在を公式に認めています(2009年2月27日演説)。しかし、帰国後の損傷発見は公式負傷者数に含まれません。脳損傷と公式に認定されても、公式負傷者数には含まれないのです。
従って、国防総省の公式統計と現実のイラク帰還兵士の脳損傷者数には5倍ほどの開きがあると指摘されています。アメリカ軍マレン統合参謀議長は実体解明の必要性を認めつつ、軍による研究は初期段階だとも述べています(2009年11月4日ワシントンでの講演にて)。ベトナム戦争から撤退したときには、兵士のPTSDや枯葉剤被害が社会問題になりましたが、イラク戦争では、この見えない傷が社会問題になっています。
↑IEDが爆発した瞬間。対戦車用地雷を利用したIEDだと思われる。イラク・2003年撮影。
★死傷者数
2003年から始まるイラク戦争で、2007年までにのべ150万人のアメリカ軍兵士がイラクに派遣されました。では、どれくらいのアメリカ軍兵士が戦死・負傷しているのでしょうか。
2009年12月24日国防総省の発表によると、アメリカ軍の戦死者数は4373人、公式負傷者数は3万1606人。公式負傷者に含まれない公式脳損傷者数は2007年時点で4471人。公式に調査されていないIEDを理由とする脳損傷の被害が2万人に上るとするUSA TODAYの調査があります。
(2007年11月23日USA TODAY紙、アメリカ国防総省2007年9月30日発表。外傷性脳損傷については日本では2009年2月17日付で毎日新聞社が報道。)
戦死者数4000人超に対して、負傷者数の数が3万人超と、負傷者数が戦死者数の7倍に達している理由は、軍の応急処置による救命率の向上、および、アメリカ軍基地やアメリカ軍キャンプに近い市街地での負傷が多く、比較的手当てが迅速にされていることが理由だと思われます。
↑爆弾の破片により下半身を負傷。全身麻酔で手術を受ける兵士。救命率が飛躍的に向上している。イラク・モスル、2007年5月16日。アメリカ空軍提供。
★現在のIED対策
2006年のIEDによる死者数の多さから、アメリカ軍もIED対策を強化し、耐防爆装甲車両(MRAP)を緊急調達することを決定しました。
↑MRAP。イラク・バグダッドで撮影。アメリカ軍・軍事情報センター提供。
↑ロバートゲーツ国防総省長官がM-ATV(MRAPの山岳地帯用)のテストを視察。2009年11月撮影。国防総省提供。
14トンもの重量を有するMRAPはハンヴィーでは防げないIEDによる爆破や銃撃を防ぐことができるとされ、ロバート・ゲーツ国防長官の主導の下、1万5千台が2007年中に配備されたと国防総省は発表しています。(実戦配備されたのは7500台程度とする意見もあります。)
また、兵士には5マイル(8km以上)先まで見える監視鏡を新たに装備。これで、アメリカ軍の進路にIEDを仕掛けようとする者を発見しやすくなります。また、IEDを事前に発見するために、イラク政府からの情報提供や検問の強化を行いました。これらの対策により、約90%の死者数の減少に成功したことが、国防総省の記録やアメリカ軍関係者への取材により判明したと報道されています。
(参考資料:2008年6月22日付USA TODAY)
IEDはイラクだけの問題ではありません。アフガニスタンでも、イラクに比べれば少数ですが、IED被害は年々増加しています。
身の回りにある部品から簡単に作ることのできるIEDは、アメリカの物量に負けるテロリストの大きな武器です。これからもアメリカ軍が派遣される地域でIED対策が問題になり続けることは間違いありません。
アメリカ統合参謀本部の関係者は、テロリストたちがさらに強力なIEDを開発し、15ポンド(約7kg)の爆薬を使用した地雷式のIEDを作っていると述べています。テロリストはそのIEDを爆発させてMRAPのタイヤを破壊して足止めし、乗員を攻撃するという手法を取りました。IED対策はテロリストとそれを追いかけるアメリカの永遠の鬼ごっこになるのかもしれません。
↑耐爆試験中のMRAP。3段階の耐爆強度があり、これは2段階目のMRAP。アメリカ海兵隊提供。
★イラクからの撤退を目指して -アメリカ軍の出口戦略-
2007年以降から2009年12月末現在まで、アメリカ軍の戦死者・負傷者数は急速な減少傾向にあります。イラク警察や地方政府への治安維持権限の委譲が進んでいることも、死者数の減少に歯止めをかけている一因でしょう。
また、アメリカ政府は、従来は反米・反イラク政府勢力であった組織にカネと武器を渡し、親米・親イラク政府派に転向させ、民兵組織を作らせてアルカイダ掃討作戦に協力させています。この手法はアメリカ政府が得意とするいつかどこかで見た手法で、カネが途切れたり、利害関係が逆転すれば、一転してアメリカの敵に逆戻りする可能性があるのですが、現在は一応の効果を挙げているといっていいでしょう。
アメリカ軍は遅くとも2011年までに、イラクから全面撤退をする予定です。アメリカ政府としては、円満に撤退するために、それまでは何とかイラクの治安を維持したいという思惑が働いています。このなりふり構わない必死の政策が行き過ぎて、撤退後に禍根を残さないといいのですが。
結局、カネや武器供与で反米派だった勢力が親米派に転向するということ自体に、イラク国民がいかに経済的な貧困に苦しんでいるかが露呈しているように思います。イラク政府が国民全体の経済的底上げを図らない限り、一時懐柔された勢力にも、再び不満はうっ積していくでしょう。
今はアメリカのドルで親米派になっているとしても、アメリカ撤退後、カネが途切れれば、それが縁の切れ目になって、反イラク政府勢力としてアメリカから供与された武器を使って台頭してくる可能性がないとは言えません。民兵組織化したイラク人に大量の武器を供与することは、アメリカ政府にとって、諸刃の剣になりかねないということは認知しておくべきでしょう。
↑イラク人の少年が診療所で治療の順番待ちをしている間にアメリカ軍兵士を見ている。イラク、2007年7月5日。アメリカ空軍提供。
「ハート・ロッカー」の『あらすじ-完全版-』はこちら。