映画:アイ・アム・レジェンド 別エンディング あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ウィル・スミス主演。というか、ほとんど半分以上はウィル・スミスの一人芝居だ。あとは犬のサム。

 アイ・アム・レジェンドには劇場公開されたのとは違う別エンディングがある。こちらのエンディングは実にいいと思うので、こちらをぜひ観てほしい。以下のレビューでアイ・アム・レジェンドの別エンディングを詳しく取り上げる。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング


 この映画、テレビで予告編を見て、すごく気になっていた。そこに映るニューヨークは空っぽだから。だれもいない、そんな空っぽの大都市に一人の男(と犬)。

 なんで、なんでとこの不思議なシチュエーションに興味がわく。なぜ、NYは廃墟になってしまったのか?ひとりで都市にのこされたらわくわくするなあ。

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 さて、冒頭のシーンではTV映像が流される。その番組では一人の学者がインタビューを受けていて、癌を治す画期的な薬を開発したと発表している。そして、画面には「A few years later」の文字が。

 映し出された数年後の世界では男ひとりだけ。彼はどうやら医学者のようで、自宅の地下は研究室。マウスに何やらウィルスを注射して薬剤の開発にいそしんでいる様子。

 そして、一匹のマウスを見つける。そのマウスは病気に感染していなかったのだ。

【映画データ】
アイ・アム・レジェンド 別エンディング
2007年 アメリカ
監督 フランシス・ローレンス
出演 ウィル・スミス


アイ・アム・レジェンド 別エンディング 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

 うーん、第一印象の感想はお金をかけたゾンビ映画!
 予告編でゾンビの存在を一切匂わせないというのもなかなかうまい宣伝方法。                        

 前半がほとんど主人公一人だけ(犬のサムはいるけれど)、というのもグループが多いゾンビ映画では珍しいし、ゾンビを治療しようとする発想は面白いですね。

 正確には彼らは人間でゾンビではありません。一度死んで生き返ったわけではないからです。彼らは癌の薬を飲んで、その副作用で今のような姿になったわけだから、ある意味、人間です。でも、分かりやすい言い方なので、ゾンビといわせていただきます。感染者というべきかしら。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング


 主人公は噛まれても感染せず、空気感染もしないのだから、彼らに対して免疫を持つ自分の体を使って治療薬を開発していたのでしょう。

 回想シーンから察するに、主人公は軍関係の科学者または軍医で、治療薬の開発自体はゾンビ化が爆発的に広まる前から行っていたようです。                   

 そして、その実験は成功しかけていました。罠を仕掛けて捉えた女性のゾンビは血清を注射されて人間らしくなってきていたからです。

 しかし、最後はゾンビのボスに迫られて、再び、ウィルスを注射して元の状態に戻してやることになりますが。

★劇場非公開版のラスト

 本レビューのラストは劇場公開版とは異なります。

 劇場公開版では、女性に将来の希望となる血清を託して主人公は死ぬことになり(ゾンビのボスに殺される)、脱出した女性と子供は血清を携えて他の生存者を捜して旅立つというもの。

 この場合、将来的には、ゾンビ化した人間は治療される可能性があることになります。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング


 非公開版だと、治りかけていたゾンビの女性を脅されて元のゾンビに近い状態に戻してやります。そして、血清の開発をやめて、他の生存者を捜しに行くことになります。

 このラストだと、主人公は血清を開発をやめたか、後回しにしているので、血清は映画のラストに至っても完成できていません。
 
従って、ゾンビ化した人間は放置されることになります。この場合はゾンビと人間の共存の道を選ぶことになるのでしょうか。

 実は、タイトル的には劇場版が正しいです。

 『I am legend』とは自分自身が伝説である=免疫のある自分の体から血清を造り出すことに成功し、ゾンビ化した人々を救って人類の希望になった男を意味するからです。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング


 監督は最初の撮影では非公開版のラストを撮り、このラストで行くつもりだったが、あまりに主人公が弱々しいということで、前述のラストになったとか。

 確かに、血清も完成していませんし、ゾンビたちも放置なので、ハッピーエンドではありますが、主人公が大活躍というわけではないかもしれません。

 でも、あとで書くように、こちらの方が、映画としては見るべきメッセージが含まれていると思います。

以下、それを考えてみます。

★主人公の勘違いと劇場非公開の別エンディング

 主人公はゾンビ化した人間たちが感情を失い、知能も低レベルとたかをくくっていました。その結果、罠にかかって犬を失い、治療していた女性を取り返しにやってきたゾンビたちの襲撃を受けることになります。

 実際のところ、彼らには知性があり、集団生活をしていて、愛憎悲哀の感情があります。彼らは主人公が思うのとは違って、人間的な部分が残っています。
(ここが公開版との一番の違い)

 そんな彼らからすれば、罠を仕掛けて仲間を連れ去った男は、愛する人を誘拐した犯人であり、治療の必要があると決めつけて妙な薬を注射した傲慢で勝手な奴、そしてばんばんゾンビを撃ち殺す敵ということになるのでしょう。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング
↑ニューヨーク,マンハッタンのバッテリーパークシティのオブジェ。「ベルリンの壁」

 
 そもそも、彼らは主人公を食べに襲撃してきたわけではありませんでした。自己防衛をしていただけ。

 主人公が建物の中で襲われたのも、誰でも家の中に勝手に他人が入ってきたら追い出すのと同じで、恋人を誘拐したやつの家に取り返しに来るのもまた当然であるとも考えられます。

 この見方変われば立場も変わるという相対性。

 自分にとっては善の行為も相手にとっては憎むべき行為なのかもしれないのです。もはや、彼らは治療さえ必要とは思ってはいないのでしょう。

 ゾンビ化した人間がいまや多数派で、むしろ、いまだ人間のままの主人公たちの方が異端の存在になっているからです。何が普通で、何が異常なのかも実は社会の多数が基準になっているという事実がそこにはあります。

 主人公もそれを悟るからこそ、薬が効いて治りかけていた女性をゾンビに戻し、ニューヨークを後にするのです。ゾンビを人間と同様の一つの生命体として受け入れ、共存の道を選ぶことになります。


 このように見てくると、この別エンディングの示す結末が深い示唆を伴うことが明らかになってきます。いままでのゾンビ映画とは一線を画すところがこの映画にはあるのではないでしょうか。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング


 しかし、多くの観客が目にするだろう劇場公開版ではゾンビどもは主人公を始めとする人間を殺してしまう恐ろしい奴で、治療薬で救ってやらなくてはならない見下げるべき対象物になってしまいます。

 この結末では、やはり、ゾンビは人間と対等ではない、下等なものとして扱う意識が働くことになります。

 これでは、いままでのゾンビ映画とどんぐりの背比べ。ゾンビはシューティングの的になりさがってしまいます。ラストに妥協してしまったことが残念です。

アイ・アム・レジェンド 別エンディング