映画:ボーダー あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「ボーダー」はロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが共演するという豪華なキャストの映画。残念ながら、「ボーダー」公開時のアメリカでの評価はそれほど高くなかった。しかも、配給会社の倒産の影響を受けて、日本公開が大幅に遅れてしまった。それでも、今からでも、そしてどんな映画であれ、大好きな名優2人の競演が見られるのは素直にうれしい。

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 ニューヨーク市警(NYPD)のルースターとタークは30年という長きに渡ってコンビを組み、いつも一緒に事件を追ってきた2人には強い絆があった。このころ、NY市内で連続殺人事件が発生していた。被害者はいずれも、過去に犯罪を犯した者や犯罪を犯しながら処罰されていない者だった。NYPDは刑事の関与を疑い始め、タークにも捜査の手が伸びる。ルースターとタークはその疑いを晴らすべく、捜査を始めるのだが…。

 "正義のための殺人"は本当に正義だったのか。そこには悲しい人間の心理が見え隠れする。正義と悪の境界線―ボーダーを踏み越えた刑事の悲劇。

【映画データ】
ボーダー
2008年(日本公開2010年)・アメリカ
監督 ジョン・アヴネット
出演 ロバート・デ・ニ―ロ,アル・パチーノ,カーティス・ジャクソン 
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映画:ボーダー 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ボーダー

 正義か、悪か。その境界線は簡単に踏み越えてしまえそうなほど、あやふやなものでした。正反対に見える2つの世界。しかし、ちょっとしたきっかけがありさえすれば、正義と悪の2つの世界は融合し、その境界は消えていきます。

 アル・パチーノ演じるルースターは言います。「NYPDはどんな時でも気を抜けない」。毎日、気を張った生活が続き、息をつく暇もありません。生真面目なルースターには家族もおらず、恋人もいません。彼は常に模範的な刑事であろうと努力してきました。

 精神科医のカウンセリングを聞いていればそれがよく分かります。ルースターの答えによれば、彼は悪夢を見ることもなくよく眠れ、よく食べ、現在の待遇にも満足しているということになります。

 「ボーダー」の結末まで見れば、その答えは全て体裁を取り繕った嘘だったことが分かるでしょう。ルースターは精神科医の前でも、模範的な解答をしていたのです。そんなルースターの唯一の支えは相棒のタークだけ。

 ロバート・デ・ニーロ演じるタークはルースターの相棒であっただけではなく、彼の精神的支柱でもありました。タークには、娘がいて、恋人もいます。彼はルースターと異なり、精神科医のカウンセリングでも正直に答えました。彼は良く眠れず、食欲もない。現在の状況について、何がしかの不満がある。タークには、自分を取り繕おうという気持ちはありません。

 相棒のタークをルースターは崇敬していました。ルースターは「タークのように」といつも願ってきたといいます。タークはルースターの規範となるべき刑事でした。

 しかし、その考えが打ち破られる日がきます。タークが証拠のねつ造という行為に出たのです。ルースターには衝撃でした。悪人を追い詰めるためとはいえ、タークは法を破ったのです。尊敬するタークがそんな行為をするとは。ルースターは一つの結論を下しました。「ルールを変更」することにしたのです。「悪人を追い詰めるためなら、法を破ってもよい」。彼は人殺しに手を染めていくことになります。

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★誰もがバッジに敬意を払う、銃ならなおさらだ

 タークが証拠をねつ造したのは、有罪になるべき人間が、法廷で有罪にすることのできる証拠がないために無罪放免されるということが許せなかったからでした。また、有罪にできる犯人が、司法取引で刑を減軽されたり、あるいは、無罪放免される様子を目の当たりにしてきました。

 長年、刑事をやってきたタークも、ルースターもこのむくわれない現状に嫌気がさしていました。悪人が、受けるべき報いを受けず、新たな被害者が増えるだけ。刑事は犯罪者を逮捕することができます。しかし、彼らを罰することはできません。警察の人間としての限界でした。

 しかし、銃ならどうでしょう。引き金を軽く引くだけで、目の前の憎むべき犯罪者にふさわしい報いを与えることができます。NYPDのバッジではできないことが、銃ならできる。司法取引や証拠がないとして無罪放免されてきた犯罪者たちも、突きつけられた銃には服従せざるを得ません。

 ルースターはこの銃に払われる"敬意"を求めていました。ルースターはこの銃に対して払われる敬意を自らに対して払われる敬意と勘違いしていました。皆、あくまで、死の恐怖に怯えて、ルースターに平伏するわけですが、ルースターはこれを自らに対して払われる敬意にすり替えてしまったのです。ルースターはこの敬意に快感を感じました。

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★止まらない殺人の連鎖

 ルースターは2度目の衝撃を受けました。ルースターは「殺人」に充足感を感じたのです。あれほど憎んできた犯罪によって、刑事たる自分が満足を得るとは…。この"正義のための殺人"はルースターの心に他のものには代えがたい満足感を与えてくれました。"正義"という大義を掲げつつ、その実、ルースターの欲求を充足するために犯す殺人。

 "正義"のために人を殺す、という当初の大義はいつしか、今の生活に充足感を得るための殺人へと変化していきます。彼は刑事という仕事でも、家族でもなく、殺人に充足を見出してしまいました。いつしかルースターは、あれほど憎んでいた犯罪者たちと同じところへと堕ちていったのです。

 ルースターはこの事実に気が付いたとき、うすら寒い思いをしました。理想の自分は悪人が受けるべき正義の鉄槌を下す裁きの人ですが、現実の自分は殺人に満足感を見出すただの殺人者。欲求のままに犯罪を犯す者たちと同質化している自分がいました。

 しかし、もうやめられない。理想と現実の差に悩めば悩むほど、苦しい気分から解放してくれる一時の快感―新たな殺し―への欲求が強くなっていきます。そして、殺しをした後に襲い来る、自分に対する強い侮蔑と後悔の念。再び、苦悩。

 どうしようもない、悪魔の連鎖でした。この世で生きている限り、ルースターは苦しみ続けることになります。もう、死しか、ルースターの心の渇きを癒し、この蔑むべき行為を止めてくれる者はいません。ルースターは強く、死を願うようになっていました。

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★失われた「正義」

 決して強靭なものではなくとも、人間の絆はいざというとき、後ろに倒れかかった人を優しく受け止めてくれます。その絆が切れてしまったとき、人間は後ろへ倒れるままになる。それに、絆は自分という存在を確認するものでもあります。他人に認知され、他人に受容されているという感覚は人間に満足感を与えてくれるもの。

 ルースターは「いずれ、誰もが俺の名を知る」と語っていました。精神科医は「自己顕示欲がやたらに強く、誰かに賞賛されたがっている」と犯人を分析しています。「理解するがいい、俺という人間の存在を」、というルースターの言葉には、世間に自分を認めてほしいという欲求が露わになっています。

 家族も恋人もおらず、親密な人間関係を持たないルースターには大事件として騒がれる殺人は社会とのコミュニケーション・ツールになっていました。この事件を通して自分という存在が世間に認知されることができます。"正義のための殺人"を通して、ルースターは社会のなかでの存在意義を確認していました。もともとの目的だった"正義"は既に形骸化していたのです。

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★「お手本」でいること

 14人を殺したルースターは最後、タークの証拠のねつ造という行為をも引き受けて死んでいきました。ルースターはタークに堕ちてほしくなかったのです。自分のように。

 タークのやった行為を引き受けてルースターが死ぬことで、タークは高潔な正義の人でいられる。タークにはまっさらなままでいてほしかったのです。ルースターが崇敬していたままの姿でいてほしかった。

 タークは娘からも「お父さんは私のお手本よ」と言われます。タークはこれからもこの言葉を頼りに生きていくことになるでしょう。死んだルースターや愛する娘からかけられたこの言葉はトムを支え、そして、重圧となります。規範とされることで、トムは壊れずにいられる。

 一方で、ルースターはタークにみた幻影を壊され、精神を病んでいきました。娘にルースターと同じ思いをさせないように、タークは常に"正しい自分"を保つべく、プレッシャーを感じなければならないのです。

 タークは精神科医によく寝られず、食べられない毎日だと回答しています。そして、未来への展望を聞かれたタークは無言でした。彼には将来へのはっきりした展望はありません。そして、現在の状態にとりわけ満足感を抱いているわけでもありません。いつも通りの毎日を"消化している"状態にある。

 しかし、この状態がタークにとっては実は、一番幸せなときなのかもしれません。彼は「ルースターと立場が逆だったら?」と娘に問われたといいます。その答えは、「引退するか、セラピーを受けるか…結局はいつも通りさ」。

 タークは特に現状に満足感を持っていなかったとしても、今の状態が不幸だとまでは思っていません。ルースターのように、精神的崩壊の危機に直面したとしても、恋人や娘がその歯止めとなっています。「いつも通り」に戻ることができるということはとても重要なことです。そして、そこに押し戻してくれるのは周囲にいる人間たちとの絆。

 ルースターの場合にはその絆がありませんでした。ルースターにはタークとの絆しかなかったから、その絆が切れてしまったときに「いつも通り」のところまで戻してくれる力が働かなかったのです。

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★社会の奥底で

 現状に100%、完璧に、完全に満足している人は少ないでしょう。皆、何かしらの不満を持っています。その不満にはけ口がなく、頼るべき人間関係も希薄であれば、いつかは爆発してしまいます。本音を押し殺し、不満をため込んでいくうちに、いつしか自分を見失ってしまったルースター。頼れる人間もおらず、追い詰められていく彼が起こした連続殺人は、深い人付き合いを好まない現代型の人間関係が引き起こした殺人であるとも言えるでしょう。

 一方で、自分の存在を知ってほしいというルースターの自己顕示欲は人間の本質的な欲求でもありました。その意味では、ルースターの殺人は原始的な人間の欲求を体現する行為でもあったのです。ルースターが求めたのは今ある空虚感を埋めてくれる精神的な充足感でした。どれだけ社会が発達し、豊かになったとしても、人間の孤独や精神的欲求を物質的なものだけで完全に満たすことはできません。

 "動機不明の犯罪"や"不特定多数を被害者とする犯罪"は人間の病理が生み出す犯罪でもあります。自らの憎しみを特定の個人ではなく、社会、あるいは会社・学校など、自らの所属する一定の集団に向ける犯罪は被害者は誰でもいい、という特殊性を持っています。

 被害者が特定されない犯罪の最大の特徴は、犯罪者に自分に対する不満が募っているということ。納得できない自分を作り出したのは、周囲のせい、社会の責任というわけです。自己が背負いきれない不満や欲求を他人へ向ける。起きた犯罪は自分に対する不満を他者に転嫁した結果です。その犯罪が、仮に"正義"を標榜したものだったとしても、その奥底にあるのは人間の原始的な欲求でした。誰もに内在する孤独感。一見、豊かに見える社会の底で、溜まっていく心の淀みはこれからもまた、新たな犯罪者を生みだすのかもしれません。

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★タイトル「ボーダー」の意味

 「ボーダー」は原題ではなく、邦題です。このタイトルが付けられた理由は主に2つあると思われます。

 「ボーダーライン」という単語は境界性人格障害、境界性パーソナリティ障害と呼ばれる精神疾患を意味しています。ルースターは強い気分の変調に悩まされ、理想と現実の間で激しい気分の変調を経験していました。また、自己偏愛の兆候も見受けられ、自殺するしかないとの強い脅迫観念を抱いています。「ボーダー」という邦題が付けられた一つの理由にはこのようなルースターの症状を境界性人格障害に近いものと位置づけたことがあると思われます。

 一方で、「ボーダー」という単語は境界線という意味も持っています。刑事と犯罪者、正義と殺人。正反対の概念を行き来したルースターには踏み越えてはならない境界線がありました。これらの意味をかけて「ボーダー」という邦題が付けられたのでしょう。
 なお、原題は「RIGHTEOUS KILL」。正義の殺人者という意味です。

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