映画:第9地区 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 「第9地区」はSF映画だ。しかし、単なるエイリアン映画ではない。エイリアンの強制移住計画、エイリアン居住区のスラム化など、実際に人間社会で生じている社会問題を想起させる要素を取り入れている。人間とエイリアン、そしてその中間を生きるヴィカスを通して、人間の本質を問う。

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 ある日、南アフリカ上空に、正体不明の円盤型宇宙船が姿を見せる。その宇宙船には大量のエイリアンが乗っていた。彼らは地上に住むことになり、第9地区を形成する。数十年が過ぎた後、"エビ"と軽蔑をこめて呼ばれるエイリアンの居住区をもっと郊外へ移すべきとの意見を受け、超国家機関MNUはエイリアン強制移住計画を実行することになる。

 MNUに勤めるヴィカスは移住計画の担当者となり、エイリアンとの移住交渉を始めるが、その最中に真っ黒な液体を発見し、うっかりその液体を浴びてしまう。

 ヴィカスはそのまま任務を続けるものの、次第に体調が悪化し始める。彼の腕はエイリアン化し始めていたのだ。MNU幹部の義父により、拘束され、ラボに送られたヴィカスは解剖されそうになり、何とかラボを脱出。体のエイリアン化は止まらず、ヴィカスはエイリアンたちの住む第9地区に逃げ込むが、そこにはMNU追っ手が迫って来ていた。

【映画データ】
第9地区
2009年(日本公開2010年)・アメリカ,南アフリカ,ニュージーランド
監督 ニール・ブロムカンプ
出演 シャルト・コプリー,デヴィッド・ジェームズ,ジェイソン・コープ,ヴァネッサ・ハイウッド

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映画:第9地区 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★もろい友情

 生きるとはどういうことでしょうか。人間として生きるとは。エイリアン化していくヴィカス、ラストのワンカットで完全にエイリアンとなった彼の姿が一瞬映し出されます。エイリアン化することを止められないことが分かっていたはずのヴィカスは微笑みを浮かべて空を見上げています。彼の心は何を感じていたのでしょうか。

 ヴィカスの勤めている超国家機関MNUはエイリアンの立退き・移住計画を進めていました。その責任者に抜擢されたのはヴィカス。MNU幹部の娘を妻に持つ彼はこの仕事で成功を収め、義父に認めてもらい、さらなる昇進の機会を得ようと野心を抱いていました。

 ヴィカスが第9地区での初仕事を終えて帰宅するとサプライズが。今日は彼の誕生日パーティだったのです。彼は大勢の友人・同僚・妻からの祝福を受けます。しかし、エイリアン化した体を持ったヴィカスがMNUから逃亡した後の彼らの反応は冷たいものでした。13年来の友人に助けを求めてもMNUに通報され、ヴィカスの仕事のやり方には問題があったと同僚は彼の仕事ぶりを酷評していました。MNU幹部でもある義父はヴィカスを実験の被験体にしようと画策し、ヴィカスは命を奪われそうになってしまいます。

 誕生日パーティでは一見仲が良さそうなヴィカスたちですが、そのつながりは驚くほど弱く、もろいのです。手のひらを返したように冷たい対応をする友人たち。また、ヴィカスは義父の名前をはっきりと覚えていません。姻族の名前すら覚えていない程度の人間関係だったのです。いずれにしても、希薄な人間関係でした。言い換えてみれば、彼らにとって一番可愛いのは自分自身です。彼らの世界では自分が常に中心に置かれており、その他の人間はいないも同然なのです。友人や義父、そしてヴィカスに真の関係性は存在しません。

 友人らがヴィカスに冷たいのはMNUに睨まれたくないためか。そもそも、ヴィカスと友人付き合いをしていたのは彼の妻がMNU幹部の娘だったからでしょうか。一方、ヴィカス自身も決して、友人たちに比べて褒めるところのある人間だとは言えません。ヴィカスにとっては昇進することがすべて。彼は今度の仕事にMNUでの将来をかけていました。

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★拝金主義

 また、このような自分本位の世界において、重要視されるのはカネです。義父はエイリアン化し始めたヴィカスに金銭的価値を見出し、治療をすることなく、即座に実験の被験体とする決定を下しました。

 MNUの装甲車内で流れるアナウンスは「ほほ笑みは銃弾より安いことを忘れないようにしましょう」というものでした。「安い」。これが重要です。仮に、銃弾が微笑みよりも「安い」ものなら、MNUは銃弾を使うように奨励するでしょう。効率、そして利益。「第9地区」の世界では、すくなくともMNUの中では"カネ"が物事の物差しになっています。

 ヴィカスの価値はエイリアンとなったことで上昇しました。エイリアン化したヴィカスは治療を受けることさえできずに即座に人体実験室へ送られ、「痛覚テスト」「動作テスト」を受けさせられ、さらに体は解剖されようとしました。「被験者の反応を見たいので麻酔は使いません」と科学者。ヴィカスは痛覚テストで悲鳴をあげ、動作テストでは自ら望まないのに引き金を引かさせられてエイリアンを殺してしまいます。そこにはヴィカスを人間として扱うという配慮はかけらも見当たりません。

 「何億もの価値」を持ったヴィカスの体はMNUにとって、もはや人間かどうかということはどうでもよいことなのです。彼は人間である前に、何億ドルという価値のあるモノでした。ヴィカスに人間としての価値が全くないというのではありません。この「第9地区」の世界は人そのものに価値を見出さない社会なのです。効率・利益が最優先される社会で、カネに換算できる人間は“人間”ではなくなるのです。

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★"人間"として生きる

 ここで最初の質問に戻りましょう。"人間として生きる"とはどういうことか。人間として生きるには、人間は人間たらねばなりません。そして、人間であるための条件は人間相互の信頼・愛情・理解・他人への気遣いといった感情的な面、すなわち"人間性"に求めることができます。しかし、「第9地区」の世界では物質的欲求に屈し、人間性は捨象されています。MNUでは人は人として扱われず、人は常に代替可能な物体に過ぎないのです。

 MNUで働くうちにヴィカスもその感覚に慣れていったし、それが普通のことになっていました。彼の思考の中心には常に会社の利益の最大化と自分自身が置かれているのです。彼がエイリアンに対する武器の使用を最小限にしようとしているのはエイリアンに対する配慮からではありません。できるだけ衝突を少なくして保護団体からの批判をかわし、合法に立退き交渉を進めているというポーズをとるためです。そうすれば、MNUの価値は最大化され、ヴィカスには昇進の道が開かれる。ヴィカスはエイリアンに対してはむしろ、軽蔑と侮蔑の念を抱いていました。彼はエイリアンの卵を焼き殺し、強引な手段で立退き合意書にサインさせていきます。

 当初、ヴィカスとMNUの利害は一致していました。ヴィカスが仕事を熱心にこなせばこなすほど、MNUの利益は最大化されたのです。しかし、ヴィカスがエイリアン化したことでヴィカスとヴィカスの身体を狙うMNUは対立し始めます。ヴィカスはこのときになって初めて目が覚めます。

 MNUはヴィカスを人間として見てはいない―しかし、これはヴィカスにとって真の目覚めではありませんでした。自分自身を何よりも最上位に置くという彼の思考回路は以前と同様だったのです。ヴィカスは彼がクリスと呼ぶエイリアンと行動を共にするようになります。それは故郷に帰りたいと話すクリスに共感したためではなく、クリスの持つスペースシップに乗って母船に行けばヴィカスを人間に戻す治療法があるかも知れないと考えたからです。つまり、ヴィカスは今度はMNUとではなく、クリスと利害が一致したのでした。

 しかし、クリスはヴィカスの治療は後回しにして、実験体にされようとしている仲間を救うことを優先させたいと話します。そこで、ヴィカスはクリスを殴り倒し、先にスペースシップを発進させようとしました。MNUに捕まろうとしているクリスを見殺しにして彼は母船へと出発しようと試みます。ヴィカスにとって重要なのは自分が人間に戻ることでした。

 ヴィカスにとっての真の目覚めが訪れたのは、クリスを助けに戻ったときでした。彼は危険を冒してクリスを助けに戻りました。そして、クリスを先に逃がすという重大な決断を下します。これはすなわち、ヴィカスが人間には戻れなくなるということを意味していました。しかし、ヴィカスは決断し、そして、信じました。ヴィカスは3年後に戻って来て、ヴィカスを人間に戻す治療を受けさせるというクリスの約束を信じたのです。これは大きな変化でした。ヴィカスは初めて自分よりも他人を優先させ、他人を信じました。彼はこのとき、初めて"人間"になったのです。

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★"人間"になったヴィカス

 人間としての価値を決めるのは外見ではありません。ヴィカスはエイリアン化していく自分の体の変化を止めることはできませんでした。ヴィカスはその意味でエイリアンになったのです。しかし、彼の心には大きな変化が起きました。彼は“人間”の心を持ったのです。

 クリスが旅立ったのち、1人残された第9地区で微笑んで空を見上げるヴィカス。彼の心は一つの満足感と幸福感で満たされていました。ヴィカスは信じるということ、助けるということ、思いやるということを知りました。彼は人生の中で初めて本当に"人間"らしく生きたのです。

 ヴィカスはエイリアンになったら、自分の人生は終わると思っていました。だから必死に治療法を求めていたのです。あの醜い"エビ"になったら何もかもがめちゃめちゃになってしまう―しかし、事実はそうではありませんでした。外見が人間だったヴィカスが生きてきた人生の方がよっぽど陰惨でした。

 外見がエイリアンになっても、外見が人間だったころのヴィカスよりももっと"人間"として生きることができる。このまま、エイリアンになったとしても、自分の人生は終わらない。ヴィカスの安心感・充足感は彼を微笑ませます。

 巷ではヴィカスはいなくなったとか、自殺したと言われていました。そんななか、ゴミで一輪の花を作り、妻に密かに届けたヴィカス。ヴィカスは死んではいない―ちゃんと生きている。本当の意味で"人間として生きている"。ヴィカスの妻は彼を待っているといいます。ヴィカスのメッセージはちゃんと届いていたようです。

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★「悪」と「醜悪な悪」

 「第9地区」では2つの悪が出てきます。一つはナイジェリア人ギャングであり、一つはMNUです。ナイジェリア人ギャングはどう見ても、悪そのものです。彼らは第9地区を縄張りに、売春・詐欺まがいの闇取引を行い、武器を横流ししていました。さらにはエイリアンの力を得ようと彼らの体を喰うといいます。

 一方、MNUは一見まともな合法的な機関です。今回の仕事は第9地区からのエイリアンの立退きと移住計画の円滑な実行でした。しかし、その実態は土地の強制的な徴収でした。なだめすかし、だまし、武力で脅してサインさせる。ヴィカスはエイリアンが怒って書類をひっかいただけでサインしたことにしていました。

 立退き合意書にサインを求め、その上で移住させるという一見合法的で人道的な手段を用いつつ、その内実はとても適法とは言い難い手法です。これは、合法に見せかけた違法な立退きというしかありません。

 MNUは人々の求めることをやっているように見えます。街頭インタビューを受けていた女性はこう言っていました。「政府はエイリアンにカネを使いすぎてる。居住区は別でいいけど」。今回の移住計画だって、人々の居住する土地からできるだけエイリアンを隔離し、遠く離れた地に押し込めたいという人々の声に応えて計画されたものです。エイリアンを"エビ"とよんで蔑んでいる多くの人々はMNUがどんな手段を使おうが、それほど気にも留めないでしょう。

 "善を装って悪をなす"―MNUのやっていることはこれです。彼らの思考からは気配りや気遣いといった計算できない不安定要素は完全に排除されていました。常に自己の利益の最大化を目指して行動しています。今度のエイリアン立退き事業は人々に歓迎されるでしょう。今回のMNUのターゲットはエイリアンなので、人間に実害はないからです。

 もちろん、人々もあまりに露骨なエイリアンの虐待には眉をひそめるかもしれません。しかし、きちんと手順を踏んでいるというMNUの巧妙なPRがあれば、人々の関心はそれほど高まることはありません。なぜなら、所詮、移住させられるのは”エビ”だからです。

 しかし、MNUのような価値観を持つ組織が拡大していけば、いずれ、人々の利害と何らかの形で衝突するときがくる。そのときになってMNUが突然、人道主義に目覚め、今までの手法を放棄するようになるとは思えない。いずれ人間たちが”エビ”の立場に置かれるときがくるのだ。その時になって後悔しても遅い。人間は代償を払うことになるでしょう。そのときになって「善」を装った「悪」の正体に気がついても遅いのです。

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★"エビ"は既に地球に存在している

 「第9地区」は"むきだしの悪"であるナイジェリア人ギャングと"善を装った悪"であるMNUの2つの悪のかたちを登場させることで「善き者」の仮面を被った悪の醜悪さを浮き彫りにしました。あの"エビ"たちの迫害劇は他人ごとではありません。地球規模で見てみれば、同じ人類でありながら、その生命価値が貶められている人間たちがいるのではないでしょうか。

 この映画の舞台が南アフリカである点がとても示唆的です。南アフリカには貧困と犯罪に悩む旧黒人居住区が複数存在しています。その地区の治安の悪さはピカイチで、居住者でない限り、都市部の人々は近づこうとしない地域です。南アフリカの社会経済からはじき出されたその地区は、警察関係者でもない限り、まったく訪れる必要すら生じません。都市部の住民からすれば、そういった地区は犯罪の温床であり、むしろ、無くなってくれた方がうれしい地区なのです。

 "エビ"と蔑称をつけられ、一か所に押し込められているエイリアンたちはそうしたスラム化した地区の人々と重複します。「第9地区」に登場する"エビ"たちは、既にこの地球上に存在しているのです。

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All images in this article above this picture belong to District 9 Ltd..



★ご参考
南アフリカ旧黒人居住区についての記事は映画「ツォツィ」に詳しく掲載しています。
ぜひご参照ください。
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↑南アフリカ共和国ヨハネスブルグ・ソウェト地区。旧黒人居住区のソウェトは貧しさと犯罪に苦しむ地域の代表格だ。エイリアンたちの暮らす「第9地区」の様子によく似ている。