映画:フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白 あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 ↑映画のポスター。アメリカ版。


 マクナマラ元アメリカ国防長官に学ぶ11の教訓。
 さて、ベトナム戦争の責任者として悪名高い彼が何を語るのか。

 はっきり言おう。この映画は「偏っている」。
 しかし、"自己弁護"では片付けられない。「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ長官の告白」。『解説とレビュー』では、この映画の深層をぜひ、考えていきたい。

 ロバート・"ストレンジ"・マクナマラは85歳のときにインタビューに応えているが、年齢を感じさせない頭の回転を見せ、論理明快に自らの人生とその経験について語る。

 マクナマラというとベトナム戦争に飛びつきがちだが、この「フォッグ・オブ・ウォー」はマクナマラ氏の人生観を網羅した映画でもある。

 彼は第2次世界大戦中に兵役につき、対日本の焦土化作戦に関与してした。東京大空襲を実行した現場責任者のルメイの考え方、マクナマラ本人の考え方についても、子細に証言しており、興味深い。彼が原爆投下についても踏み込んだ考え方を示していることには感心する部分もあった。

 しかし、何といっても、この映画の主眼はベトナム戦争にある。
 マクナマラが国防長官として主導した戦争を齢80を超えた彼がどう語るのか? そして、その言葉を聞いた観客は何を感じ取るのだろうか?

【映画データ】
フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白
年・アメリカ
監督
出演 ロバート・ストレンジ・マクナマラ

フォッグ・オブ・ウォー

 ↑ロバート・ストレンジ・マクナマラ国防長官の公式ポートレイト。 アメリカ国防総省提供。 


映画:フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

マクナマラ長官に学ぶ11の教訓

♯1 敵の身になって考えよ
♯2 理性には頼れない
♯3 自己を越えた何かのために
♯4 効率を最大限に高めよ
♯5 戦争にも目的と手段の"釣り合い"が必要だ
♯6 データを集めよ
♯7 目に見えた真実が正しいとは限らない
♯8 理由づけを再検証せよ
♯9 人は善をなさんとして悪をなす
♯10 "決して"とは決して言うな
♯11 人間の本質は変えられない

♯1 Empathize with your enemy.
   敵の身になって考えよ
♯2 Rationality will not save us.
理性には頼れない
♯3 There's something beyond one'sself.
自己を越えた何かのために
♯4 Maximize efficiency.
効率を最大限に高めよ
♯5 Proportionality should be a guideline in war.
戦争にも目的と手段の"釣り合い"が必要だ
♯6 Get the data.
データを集めよ
♯7 Belief and seeing are both often wrong.
目に見えた真実が正しいとは限らない
♯8 Be prepared to reexamine your reasoning.
理由づけを再検証せよ
♯9 In order to do good, you may have to engage in evil.
人は善をなさんとして悪をなす
♯10 Never say never.
"決して"とは決して言うな
♯11 You can't change human nature.
人間の本質は変えられない

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↑ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。1963年、暗殺。ジョンソン副大統領が大統領職を引き継いだ。ホワイトハウス提供。

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 ↑リンドン・B・ジョンソン大統領。ホワイトハウス提供。 


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↑カーチス・エマーソン・ルメイ。第2次世界大戦時、日本の焦土化作戦の責任者(当時は少将)を務め、後に空軍参謀総長になった。アメリカ空軍提供。

 この中で最もマクナマラ元国防長官らしいものは、「♯4 効率を最大限に高めよ」。

 この教訓は彼が現役の国防長官だったころ、いや、それより前、ハーバード大学の助教授をしていたころからの信念。彼はこの理念のもと、東京大空襲を始めとした日本本土の焦土化作戦の立案に関与し、終戦後は倒産寸前のフォード社を立て直し、フォード社の社長にまで登りつめました。

 その後はこの理念を掲げて、国防長官をケネディからジョンソン2代にかけて務めあげ、ベトナム戦争の指揮を執ることに。

 マクナマラ氏がその人生を駆け抜け、振り返ったときに学んだことは、「♯2 理性には頼れない」、と、「♯11 人間の本質は変えられない」。

 11の教訓はいずれも、マクナマラ氏の長い人生のなかで彼自身が学び取り、まとめたものですが、上にあげた3つが11の教訓のうちで、中核をなしています。

フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ長官の告白

↑1945年、大阪空襲後の写真。日本の大都市、中規模都市はくまなく空襲の被害を受けている。毎日新聞社提供。

★東京大空襲とマクナマラの責任

 「フォッグ・オブ・ウォー」というと、ベトナム戦争に飛びつきがちですが、マクナマラ長官の告白は東京大空襲を始めとする日本本土焦土化作戦の立案についても及んでいます。

 注目すべきことは、彼は、この多大な犠牲を出した東京大空襲を始めとする日本各地の空襲について、ベトナム戦争を語るよりも率直に誤りを認めているということです。しかも、彼は原爆の投下についてまで言及し、「達成すべき目的に比べて釣り合いが取れているとは言えない」と述べています。

 アメリカの元高官がこのように過去の戦争について述べているということは、興味深いことです。

 確かに、当時のマクナマラ氏は作戦立案に携わる一軍人に過ぎなかったわけですが、それでも後に国防長官まで登りつめた人物が東京大空襲を始めとした各地の大空襲と広島・長崎の原爆投下について、その「行き過ぎ」や「やり過ぎ」を認めたということは貴重です。

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↑1945年ごろ、長崎・浦上天主堂付近の写真。アメリカ議会図書館提供。


 一方で、マクナマラ氏は周到な責任回避の論陣も張ることを忘れません。彼は、日本各地の空襲と原爆投下について「釣り合いが取れているとは言えない」と"評した"のみ。それが、自分の責任においての過ちであったとはいっていません。

 いわば、第三者的な立場からの客観的評価として、空襲と原爆投下について"論評"しているのです。

 マクナマラ氏は言います。「より多くの損失を生じるようにB29の爆撃高度を下げ、焼夷弾の使用を許可して町を焼き尽くしたのはルメイの指示だった」と。

 マクナマラ氏の当時の任務は彼の専門である"統計管理学"を駆使して、爆撃目標の効率的な設定をすることでした。「私の任務は作戦の分析と効率化だ。この仕事はいかに多くを殺すかではなく、いかに効率よく敵を弱体化させるかだ」。

 この言葉のレトリックにだまされる人は一体何人いるのだろう。誰が聞いてもおかしいと思うはずです。"敵の弱体化"などといえば聞こえはいいですが、マクナマラ氏の当時の任務を一言でいえば、「一発の爆弾をどこに落とせば、最も多くの損害を出せるか」です。

 言いかえれば、「一発で何人殺せるか」。

 確かに、市民の居住地を破壊しない戦略爆撃を前提として、空襲の目標地点を軍需工場や港湾施設、軍関連の施設とし、それを効率よく爆撃するための策を講じていたということは言えなくもないでしょう。しかし、当時行われた日本各地の空襲の規模はとても、ピンポイントの戦略爆撃という大きさではありませんでした。明らかに市民の犠牲を狙ったものだったのです。

 マクナマラ氏も、一晩で10万人が焼け死んだ東京大空襲の責任については、それを認めるのに必ずしもやぶさかではないようです。彼は東京大空襲を命令した責任者のルメイの言葉を引いてこう語りました。「ルメイは『負けたら我々は戦争犯罪人だ』と言ったが、その通りだ。彼も私も戦争犯罪をした。」

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 ↑東京大空襲。白く見えるのは焼夷弾で炎上している家屋。アメリカ空軍撮影、アメリカ議会図書館所蔵・提供。 


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↑東京大空襲後の中央区隅田川付近。1945年3月10日、米B29爆撃機340機が東京を空襲。死者10万、負傷者11万、家を失った者100万人に達した。B29による空襲はこれで終わらず、同年5月24日に250機、翌25日には250機が東京を再び空襲した。
★暗い過去

 これと対照的なのがベトナム戦争。マクナマラ元国防長官の口調はがぜん、重くなってしまいます。彼は自らに向けられたベトナム戦争の責任論について、遠まわしな趣旨の発言はしているものの、はっきりと言い切りません。

 また、直接的な質問、例えば「ベトナム戦争の責任は誰にあると思いますか」とのインタビュアーの質問には「ジョンソン大統領にある」と言いきりました。

 彼は自らに向けられた、「ベトナム戦争の責任を感じていますか」との質問には「もういい、何か言えば騒ぎを巻き起こすだけだ」と述べるだけ。

 第2次世界大戦での東京大空襲について、「戦争犯罪」と言いきった人物がベトナム戦争については口をつぐむ。

 この対照はどこからでてくるのでしょうか。

 マクナマラ氏はベトナム戦争について、強い権限を行使できる地位にいました。また、東京大空襲を始めとする日本の本土空襲については「やり過ぎだった」との評価がアメリカの研究者からも一定程度出されていました。

 一方、マクナマラ元国防長官はベトナム戦争で最終的には5万8千人のアメリカ兵を戦死させます。しかし、東京大空襲の損失は約54機のB29乗員のみ。比べものにならない数のアメリカ兵がベトナム戦争では死亡しました。

 東京大空襲の市民の犠牲については戦争犯罪と自ら認めて引き受けることができても、自分の愛する祖国・アメリカの兵士の命を多数失くしたことの重みはマクナマラ氏には引き受けがたいもののようです。

 日本人からしたら、東京大空襲でも日本人がいっぱい死んでるじゃないか、と思うかもしれませんが、残念ながら、人間の命は平等と言いつつも、自国民の命へのバイアスはかかるもの。マクナマラ元国防長官も例外ではないようです。

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 ↑ベトナム戦争の写真。アメリカ国防総省及びアメリカ軍提供。 


★枯葉剤の使用

 マクナマラ氏は枯葉剤についてインタビュアーに言及され、その責任を否定しました。彼の答えは責任回避に懸命になったものとなっています。彼によると、枯葉剤の使用について、「法律には禁止する文言はなかった」。法律には「どんな薬品は良くて、どれはダメとは書いていない」「違法ならば使用を承認することは決してなかった」「オレンジ剤(枯葉剤)の使用を承認したかは覚えていないが、あれは私が長官時代の出来事だった」。

 つまり、彼は、枯葉剤の使用を認めていたことを極力遠まわしな表現で間接的に認めつつも、その使用を禁じる法律がなかったことを理由に、当時、枯葉剤を使用したことを非難されるべきではないと考えているのです。

 しかし、法律に書いていなければ何をしてもいいのでしょうか?
 戦争において、何をして良くて、何をしていけないなどと、事細かに法律で定めて何の意味があるのか。国際法に使っていい薬品と、使ってはいけない薬品を分類し、ことこまかに化学式でも書いておこうというのでしょうか。

 たしかに、戦争についての一定の枠組みやルールを作ることは無意味ではありません。しかし、いざ、戦争がおこったときに、その規則が子細に守られているかをチェックすることは不可能です。そうならば、法に反しているかどうかはもはや問題にならず、頼るべきものは人の良心しかない。

 特に、枯葉剤の使用を国防省のトップであるマクナマラ元国防長官が把握していたのならば、それを止めるだけの時間も判断権もあったはず。戦争に前のめりになりがちな現場判断ではなく、要所で指示を出すべき国防長官が知っていたのならば、その良心が試される場面だったというべきです。

 マクナマラ氏は少なくとも、枯葉剤の使用については使用を認め、謝罪すべきでした。彼ほど頭脳明晰な人物が、当時、枯葉剤の使用が及ぼす結果に無知だったとは思えません。

 また、東京大空襲当時、無差別爆撃についてルメイに抗議したと先に述べていた人物が、枯葉剤の使用は非人道的ではないと判断したことに合理的理由は見出しがたいでしょう。彼なら、枯葉剤が市民の無差別爆撃に等しく、非人道的な行為であることを理解していたはずです。

 当時の判断が、やむにやまれぬものだったとしても、あれから数十年がたった現在、枯葉剤使用の非について認める姿勢が欲しかったと考えます。

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 ↑編隊を組んで枯葉剤を散布するアメリカ軍。アメリカ空軍省提供。 


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↑1969年6月26日、ベトナム・メコン川流域のジャングルで枯葉剤を散布するアメリカ軍の UH-1D ヘリコプター。アメリカ国立公文書記録管理局提供。

★マクナマラの落ちた罠

 かの頭脳明晰にして「人間コンピューター」の異名をとるマクナマラ長官が、ベトナム戦争での枯葉剤の使用を認めてしまったということ。

 結果として、アメリカ人ベトナム帰還兵も、ベトナム人も、その子孫も、枯葉剤の使用による障害に苦しんでいます。なぜ、マクナマラ長官は、恐らくは枯葉剤の及ぼす影響を知りつつ、その使用を認めてしまったのか。そもそも、なぜ、マクナマラ長官はベトナム戦争を止めることができなかったのか。

 マクナマラ氏は人生の最後の時間を迎えた今、こう結論付けています。「The fog of war. (戦争は霧の中)」。

 真っ白な霧の中におかれた人間は視界が狭くなります。せいぜい見えるのは隣の人間くらいか。手探りで進み、何かに突き当たってそれが何か初めて分かる。ベトナム戦争を手探りで進めたマクナマラ長官の場合は、当座当座の緊急手当としてどんどんアメリカ兵をベトナムに増派しました。

 最初、150名程度しかいなかったベトナムのアメリカ軍はマクナマラ氏の退任時には2万5千人の死者を出すまでになっていたのです。この深い霧の先には明かりが見えるはずと、期待をこめて前進し続けますが、光一筋すら見えず、どちらにすすんでいるのかすら、見失っていきます。

 一体、何のためにアメリカはベトナムで戦っているのか。当初は、アジア圏の共産化を防ぐことを目的に、南ベトナム政府の支援をしていた程度だったのに、いまや、南ベトナム政府ではなく、アメリカが勝利をおさめるために必死になってベトナム戦争に全力を傾けている。

 アメリカ国内ではペンタゴン(国防総省)の前で抗議の焼身自殺が起き、反戦デモが高じ、ワシントンでは5万人が終結。2万人がペンタゴンに行進し、ライフルを構えた兵士たちと小競り合いが起きる。

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↑マクナマラ元国防長官がインタヴュー中で言及していた、67年のベトナム反戦デモの写真。女性がペンタゴンの護衛任務に就くアメリカ軍憲兵に花を差し出し、デモンストレーションをしている。1967年10月21日撮影。

 マクナマラ元国防長官はまさに、霧の中で迷ってしまい、出口を見つけられなくなってしまったのです。彼は「全ての変化を読むことはできない」といいます。また、「判断力や理解力には限界がある」とも。この言葉はマクナマラ元国防長官の限界を示すもの。断定的な言葉こそなくとも、マクナマラ元国防長官がベトナム戦争を、どう考えているのかはインタビュー全体を通して伝わってきます。

 マクナマラ元国防長官はベトナム戦争について「間違いだった」と考えているのです。はっきりとは言いませんが、そう言いたいのだということは分かります。

 善意に解釈すれば、彼はベトナム戦争に対する責任があまりにも大き過ぎることを理解しているがゆえに、ベトナム戦争についての責任を背負いきれず、はっきりと責任を認められないのだと考えることができるでしょう。しかし、同時にそれはベトナム戦争の犠牲となったアメリカの兵士たちや大勢のベトナムの市民たちからの「逃げ」でもあるのです。

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↑1965年8月。南ベトナム政府の将軍とあいさつを交わすマクナマラ国防長官とウィリアム・C・ウェストモーランド将軍(アメリカ軍南ベトナム軍事援助司令部司令官)。

★理性、そして人間の本質

 マクナマラ氏は「人間には理性があるが、それだけでは不十分だ」と語ります。彼自身、才能に溢れ、有能な人物でした。ベトナム戦争当時のマクナマラ長官は、「理性」に絶大な信頼を置いていました。

 マクナマラ氏はかつて、ハーバード大学の助教授として統計管理学の専門家でした。その頭脳は先に述べてきたように、東京大空襲を始めとする軍事戦略の根幹を支えていたのです。その才能は確かなものでした。実際に、戦後、潰れかけていたフォードを見事に再生させた立役者はマクナマラでしたし、のちには社長にもなりました。

 国防総省に入ってからも、いくつかの失敗を重ねつつも、軍事費の合理化を進め、基地の縮小や、廃止、空軍と海軍の軍備共同開発などを行いました。中には失敗したものもありますが、マクナマラ元国防長官がアメリカ軍に持ちこんだ、効果対費用の民間企業経営的なコスト管理手法はいまだ、高く評価される点の一つでもあります。

 彼は、軍事という、「政治」に「経済学」「統計学」の観念を持ち込み、実践しました。政治という生身の人間がぶつかり合う世界にも、数字化された合理的な整理が可能なはずだ。マクナマラ長官は「分析と効率化」の旗手であり、実際にも、一部で成功をおさめたのです。

 マクナマラ長官は常に、「計算」していました。

 その計算はたいていのときはマクナマラの想定通りになりました。企業にいたときも、政治の世界でも。しかし、彼は戦争という"化け物"まで「計算」してしまったのです。これは大きな誤算を生みました。戦争は彼の思う通りには動いてくれなかったのです。彼はここに至って、世の中には「計算」できないものがあることを身をもって悟りました。

 マクナマラ長官にとって、「計算」によってはじき出された結果は指標とすべき「理性」そのもの。計算された数字による、合理的な裏付けのあるストーリーこそ、「理性」によって裏打ちされた、信頼できるストーリーのはずでした。

 ベトナム戦争に失敗し、国防長官の椅子を降りたマクナマラ氏は「♯2 理性には頼れない」ことを知り、その後の人生で、「♯11 人間の本質は変えられない」ことを知るに至ります。つまり、戦争は理性で計れず、戦争をするという人間の本質は変えられない、ということ。

 マクナマラ氏は、戦争がなくなると思うほど甘い考えを持ってはいないことをインタビューの中で表明しています。ベトナム戦争を遂行し、推進する役割を果たしてきたマクナマラ元国防長官。年月は彼を変え、マクナマラを「戦争を望まない男」にしていました。

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↑アメリカ・南ベトナム政府の首脳陣。奥からジョンソン大統領,ウィリアム・ウエストモーランド将軍,南ベトナムのグエン・バン・チュー国家元首とグエン・カオ・キ首相。1966年10月26日撮影。ホワイトハウス提供。

★年月は流れ、人間は変わる

 マクナマラ元国防長官は就任直後、ケネディ大統領にある進言をし、大統領はそれを拒否しました。それは、西側諸国への攻撃はアメリカへの攻撃とみなし、敵対国に対しては、場合によっては先制攻撃さえ辞さないとする文面を演説に入れるよう進言するものでした。

 また、マクナマラ長官はソ連に対しても、アメリカの核軍拡による圧倒的優位の確保を主張しており、"好戦的"な考えを持つ国防長官でした。数十年のときが流れ、そのマクナマラ元国防長官が、「核兵器の存在は世界を破滅させかねない」とこの映画のインタビューで述べています。この衝撃は大きいでしょう。

 かつての核優位論は放棄されました。今、マクナマラ元国防長官は「核兵器の2500発は15分で発射可能」であり、その発射命令が「ひとりの人間の決断にかかっていること」について「恐ろしいことだ」と述べています。

 冷戦が終結し、国際情勢は変化しました。今、大国同士が大型軍事兵器を振りかざしてお互いを威嚇し合う時代は過ぎ、冷戦期に比べ、大国同士が戦争に及ぶ可能性は激減しました。その意味では冷戦期に比べ、安定した国際情勢の時代を迎えています。歴史の流れを大きく俯瞰したとき、これは核軍縮を進める好機であるともいえるでしょう。

 大国が現実に行使する可能性のなくなった核兵器の存在はいまや、冷戦時代の遺物でしかありません。それどころか、核兵器を維持・保存するための莫大な管理費用はかつて核技術開発を競ったアメリカやロシアの重荷になっています。

 また、かつては核兵器を持つなどとは考えられもしなかったパキスタンやインド、北朝鮮やイランといった地域大国や紛争地域に技術が流出し、それらの国による核兵器の行使の危険の方がアメリカやロシア両国よりも、はるかに容易に想定できるという核の恐怖が新たに生まれました。

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 ↑1962年、ケネディ大統領とマクナマラ長官。ジョン・F・ケネディ大統領図書館所蔵。 


 マクナマラ元国防長官は老いてもなお、合理的で計算高い一面を見せます。マクナマラ氏はかつてキューバ危機を経験したという体験を話し、核戦争の恐怖について語りますが、核廃絶を訴える理由は、それだけではないでしょう。

 アメリカのように"きちんと管理できる"国だけではなく、核兵器が闇に隠れ、核兵器を隠し持つ国が増えて、核兵器が現実に行使される危険を払しょくできなくなったことに懸念を抱いているのです。仮に、冷戦時代のように、アメリカとロシアといった一部の大国のみが保有国だったならば、マクナマラ氏は核廃絶を訴えたかどうかは勘繰りたくなるところ。

 つまり、マクナマラ元国防長官にとって、かつての核配備・拡張論から核廃絶論への変化は"変化"ではないのかもしれません。マクナマラ氏が変化したのではなく、国際情勢が変化したということです。その国際情勢を分析し、「計算」してはじき出した結論が"核廃絶"。

 インタビューでは突っ込んでいませんが、かつての持論である核拡張論についてマクナマラ元国防長官にたずねたら、それも「その時代において正論だった」と返答するに違いありません。マクナマラ氏は理想論者ではない。現実をきちんと見据えている人です。単なる理想論から核廃絶を持ち出したわけではないでしょう。国際情勢の総合的判断から、核兵器はアメリカの利益となるかと冷静に計算し、分析して導かれた今現在の結果が、核廃絶だったのです。

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↑マクナマラ氏もインタヴューで言及していたキューバ危機。1962年10月18日、ケネディ大統領は駐米ソ連特命全権大使をホワイトハウスに呼びつけ、ソ連のミサイル配備に強い懸念を表明。写真はそのときの様子。10月22日にケネディ大統領はテレビ演説をしてその事実を国民に発表、ソ連を非難した。

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↑右がケネディ大統領、左がソ連のフルシチョフ首相。フルシチョフは10月28日にモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表。ケネディが国内の強硬論を抑え、フルシチョフがアメリカの条件をほぼ飲むという柔軟な対応を見せたことで、第3次世界大戦は回避された。写真は1961年に撮影されたもの。アメリカ国立公文書記録管理局提供。

★人間は探求をやめない

 「人間は探求をやめない。そして、探求の果てに元の場所に戻り、初めてその地を理解する」。マクナマラ氏は愛読するT.S. エリオットの詩書の一節を暗誦し、「ある意味で、今の私がそうだ」と付け足しました。

 マクナマラ氏は国防長官として、7年を務め、その後は世界銀行の総裁として13年の長きを務めました。アメリカという国を国防長官として中から動かし、世界銀行の総裁としてアメリカを外から眺め、世界を動かした。

 そして映画を撮った当時、85歳。マクナマラ氏が戻ってきたのはアメリカというこの愛すべき祖国です。マクナマラ氏は、自分がアメリカに与えた影響を良きにしろ、悪きにしろ、自分なりに消化して、自分なりに受け止めました。

 マクナマラ元国防長官はエリオットの詩にあるように「初めてその地を理解」したのでしょう。しかし、彼はいかに理解したかについて、はっきりと公言するのを拒みました。「ベトナム戦争について、語っても語らなくても非難されると? 」インタビュアーにたずねられたマクナマラ元国防長官はこう返答します。「その通りだ。私は語らない方を選ぶ」。

 あれから8年。ロバート・ストレンジ・マクナマラは93年の生涯を閉じました。ワシントンの自宅で睡眠中に死去していたということです。

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 ↑自由勲章。マクナマラ氏は1967年11月の国防長官辞任後に受勲。 アメリカ議会図書館提供。 


★マクナマラの自己弁護か、アメリカ民主党の"戦争浄化"か

 T. S. エリオットの詩にいう、マクナマラ氏の「探求の果て」に何があったのか。それを知る必要はそれほどないでしょう。答えはすでに出ているからです。マクナマラ氏はベトナム戦争について、数々の"間違い"を指摘しました。

 自らの責任については口をつぐみましたが、マクナマラ氏が指摘したベトナム戦争においての"間違い"とは全て彼の在任中の出来事。
 在任中に起きた出来事の責任がマクナマラ氏にあることは明白です。

 過去から何かを学ぶには"間違い"が認められているだけで十分です。あとは、それを生かせるかどうか。

 それとも、もう一度失敗しなくてはならないのでしょうか?

 1918年、ウィルソン大統領は第1次世界大戦を「戦争をなくす戦い」と呼びました。現実には第2次世界大戦が起き、またしても人類は殺し合ったのです。

 2001年の9月11日のテロの後、アフガニスタン・イラクで戦争を起こしたアメリカはマクナマラ長官の教訓、すなわちベトナム戦争の教訓を学ぶことができたのか。

 それとも、もう一度失敗するつもりなのでしょうか ?

 それとも、すでに失敗しているのか。

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 ↑広島の原爆ドーム。 


 人間は過去に学ぶことが難しい生き物です。煮えたぎる湯に手を突っ込み、いつかと同じ火傷を負って、初めて過去に似たようなことがあったな、と思いだす。火傷の痛みはその人限りだから、別の人はその痛みを知りません。再び火傷をするときまで、沸騰している湯か、冷たい水かを知らずに、あちらこちらと手を突っ込む。

 マクナマラ氏は自らが負った火傷を「フォッグ・オブ・ウォー」という映画の形で世間にさらしました。彼にとって、これは大きな冒険です。インタビューによれば、彼は自分が「多くの人に口汚く非難されている」ことに自覚的だからです。しかも、映画の収録は回顧録の執筆と違って、自分の好きなようには編集できず、思うような見解が伝わらない可能性があります。

 だいたいが、世間が忘れようとしているベトナム戦争のことを、今さら思い出させて何になるのでしょう ? 再び、マクナマラ氏が批判の矢面に立つだけです。

 しかし、マクナマラ氏はあえて、それを覚悟して表に出ました。彼は"自己弁護""責任のなすりつけ"と言われることを承知の上で今回の証言をしました。

 なぜか ?
 それは彼が死んでも、映画は後世に残るからです。マクナマラ氏は回顧録も出版していますが、回顧録の読者よりも、より多くの観客が国を越えてマクナマラの映像を目にすることになるでしょう。彼はかつて自分が負った火傷のあとを見せることで、次世代のアメリカ国民が同じ轍を踏まないように期待したのです。

 マクナマラ元国防長官が愛したのはアメリカ。彼は愛するアメリカが再び火傷を負うことのないように期待していました。

 "ベトナム戦争最大の責任者"、"多くのベトナム市民を殺した殺人者"とマクナマラを片付け、この映画を"壮大なる自己弁護"と評するのは可能でしょう。また、ベトナム戦争の呪縛を浄化したい、民主党寄りのリベラル派映画と色付けするのも簡単。しかし、それだけで終わらせるにはあまりにももったいない。

 マクナマラ元国防長官が自らの汚点をここまでさらけ出して見せたのは彼がこの映画を見る人に学んでほしいと思っているからです。学ぶというのは、マクナマラ氏のような人になるということではありません。

 そうではなくて、戦争というものが、いかに引き起こされて行くものなのか、戦争がいかにして拡大の一途をたどるのか、そして、戦争を終わらせるということがいかに難しいものなのか。さらに言えば、自己の責任を認めようとしないマクナマラ元国防長官の姿は、その戦争の責任を取るということがいかに困難を生じさせるものなのかを知らしめてくれます。

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 ↑NASAで演説するケネディ大統領。右横の人物が当時副大統領だったジョンソン。NASA提供。 


★なぜ、マクナマラだけしか出ないのか、そこに映画のカギがある

 また、マクナマラ氏の証言のみで構成している点を批判するのはナンセンス。この映画をマクナマラ氏のベトナム戦争についての責任を明らかにし、それを追及する映画だと考えるのも間違いです。

 「フォッグ・オブ・ウォー」はベトナム戦争を客観的に検証する映画ではないし、ベトナム戦争を徹底的に弾劾する映画でもない。もちろん、ジョンソン大統領やマクナマラ国防長官を始めとする当時の政権首脳を擁護する映画でもありません。

 なぜ、この映画がマクナマラだけに集中して映像をまとめているのでしょうか。それを冷静に考えるべきです。

 マクナマラ元国防長官のインタビュー映像のほかに出てくるのは当時の記録映像やニュースなど、いずれも当時の記録物だけ。

 ベトナム戦争当時のホワイトハウス執務室の記録音声からは、ジョンソン大統領が次第にベトナム戦争に自信を失っていく様子や、マクナマラ国防長官がベトナム戦争に危機感を強め、ホワイトハウスでジョンソン大統領にベトナムの戦況に強い危機感を表明している様子が分かります。その一方、マクナマラ国防長官は記者団に向かっては、「戦況は好転している」などと答えているニュース映像が挟まれています。

 つまり、マクナマラ元国防長官は当時、ホワイトハウス内部ではベトナム戦争に強い危機感を持ちつつ、マスコミ相手の外部発表ではまったく逆の明るい見通しを語っていたことがここから分かります。

 この矛盾を欺瞞と言わずに何というのでしょうか。インタビューに応える老いたマクナマラを見よ。あれだけの犠牲を出しながら、その戦争責任というものがいかにうやむやにされるのかを見よ。

フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白

 ↑マクナマラ国防長官。1967年11月22日の閣議にて。 


  彼は半ば、ベトナム戦争を否定しつつも、自分が最大の責任者と言うべきベトナム戦争の責任を明確に取ることができないでいます。マクナマラのように、冷徹で合理的な男でも、責任を回避するためにあらゆる言語レトリックを駆使しているのです。

 現役の国防長官だったころにも、ホワイトハウスで語る本音と記者団に答えるマクナマラは別でした。年を取り、人生の総括をしようとカメラに向き合っている"今"というときにも、マクナマラはやはり本音を隠します。

 "現在の映像"をマクナマラのインタビュー映像だけに絞り、徹底的に過去の記録映像と対比させる。

 そこから浮かび上がるのは1人の"人間"です。
 マクナマラは人生から教訓を学んだと語ります。一方で、彼自身の深い部分には同じところが残っている。それは、ベトナム戦争に真正面から向き合いきれていない自分です。

 ほら、マクナマラ元国防長官は「♯11 人間の本質は変えられない」と言っていたではありませんか。彼の言葉通り、彼の本質も変わっていない。マクナマラに限らず、これから戦争の責任を追及されるべき人間もやはり、自分の戦争責任をなかなか認めようとはしないでしょう。

 人間が自分の失敗に向き合うということは自己を正当化しようとする人間の本性と向き合わねばならない。しかし、それを越えられる者は悲しいかな、ほとんどいない。人間というのはかくも、哀しい存在なのです。

 映画「フォッグ・オブ・ウォー」は、マクナマラという1人の歴史の証人を通して、「人間」そのものを浮き彫りにしたドキュメンタリー。
 "歴史から学ぶ"とはどういうことか、そして"人間の性"とは何か、という難問を映画を観る者に投げかけているのです。

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★おまけ。
フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白

↑1968年2月9日の閣議。中央がジョンソン大統領、手前がマクナマラ国防長官、奥はラスク国務長官。1967年11月1日にマクナマラ国防長官はベトナム戦争に関する覚書を提出。軍事行動の縮小を提言したが、ジョンソン大統領はこれを黙殺する。11月29日にマクナマラ国防長官は辞意表明し、その後、世界銀行総裁に就任した。

写真は辞任の約10月前に撮影されたものだが、マクナマラ国防長官が考え込んでしまっている様子をうまく写している。このころ、すでにジョンソン大統領とマクナマラ国防長官のすれ違いは深刻なものになっていた。アメリカ大統領行政府提供。