映画:マシニスト あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

マシニスト


 クリスチャン・ベールのガリガリっぷりに驚嘆する映画であり、1人の男の追い詰められた末の深い孤独と罪悪感を視覚化した異端のサスペンスでもある。

 人に起きた感情の変化はここまで外見を変え、人を追い詰め、精神構造を危ういものへと変化させるものなのだということに気が付く。
 『解説とレビュー』では彼に起きた変化を検証し、その心理を探る。

マシニスト


 1人のひどく痩せた男が部屋の中で死体をカーペットに巻き込んでいる。彼はそれを車で海岸まで運び、トランクから抱き上げた。

 カーペットからは死体とおぼしき足が飛び出したままだ。彼がそれを海に投げ込んだとき、死体に巻き付けられたカーペットがくるくるとほどけ、あわや死体が見えるかと思ったとき、後ろから声がかかった。

 「君は誰だ?」

 はっとして振り返る男。彼の顔に懐中電灯の眩しい光がかざされた。

 薄暗い部屋。さっきの男が手を洗っているのが見える。
 どうやら海から帰ってきたところのようだ。粉洗剤を大量にふりかけ、手を洗っている。机には懐中電灯が置いてある。

 目の前の鏡にふと彼が目をやると、後ろの壁に"君は誰だ?"と書かれたメモが張ってあることに気が付くのだった。

マシニスト


【映画データ】
マシニスト
2004年(日本公開2005年)・スペイン,アメリカ
監督 ブラッド・アンダーソン
出演 クリスチャン・ベール,ジェニファー・ジェイソン・リー,アイタナ・サンチェス=ギヨン,ジョン・シャリアン,マイケル・アイアンサイド

マシニスト


映画:マシニスト 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★ある男の一日

 この男の名前はトレバー・レズニック。奇妙なのはそのやせ細った骸骨と皮だけのような外見だけではありません。彼の生活習慣も不思議な習慣に支配されていました。

 トレバーには行きつけの娼婦スティービーがいました。彼女は「それ以上痩せたら死ぬわ」とトレバーを心配しています。

 翌朝、トレバーは仕事場へ。彼は工場で部品加工の仕事をしています。大型工作機械で、部品を作る仕事です。

 ロッカールームでは仕事仲間に「ポーカーをやろう」と誘われるものの、トレバーは予定があると言って断りました。そして、向かうのは空港にあるカフェ。

 マリアというウェイトレスがその時間に働いていて、彼女はトレバーのお気に入り。トレバーは、彼女にも「それ以上痩せたら死ぬわ」と言われます。そして、深夜の1時30分を過ぎると、彼はコーヒーだけを飲み、出されたケーキは食べずに帰っていくのでした。

 家に帰ったトレバーはソファに座ってドストエフスキーの「白痴」を読みながら、うとうとしはじめますが、はっと目をさまします。そして、彼はバスルームへ。

 歯ブラシを取り、床のタイルの目をブラシで磨きはじめ、ふたたび朝を迎えるのでした。

 これはトレバー・レズニックのある日の行動。
 彼の一日の中で決定的なのは寝ない、食べないということ。彼によると1年近く寝ておらず、物もほとんど食べない。

 仕事場から毎日空港のカフェに行き、深夜1時30分までそこに座る。コーヒーを飲んで帰宅すると読書をし、朝まで掃除などをして過ごす。もしくは、娼婦スティービーの家に行く。そしてまた仕事場へ。この繰り返しが彼の日課でした。

 彼の、規則的で、少々奇妙な生活にある日変化が訪れます。
 工場での作業中、休憩時間に車のシガレットライターでタバコに点火し、車内でふかしていたところ、隣の車の中からアイバンという溶接工が話しかけてきたのです。
 彼はレイノルズの代わりに働いているとトレバーに話をしていました。

 翌日、工場でミラーという同僚に作業の補助を頼まれたトレバーは仕切りガラスの向こう側にアイバンを見つけ、しばらくぼーっと彼を眺めていました。
 するとアイバンがそれに気が付き、トレバーに首を切るしぐさをして見せたのです。

 その瞬間ミラーの叫び声が。トレバーは間違って工作機械の電源を入れてしまったのでした。
 機械の故障を修理していたミラーは手を挟まれ、手を機械にとられて切断されてしまいました。

 トレバーがその日帰宅すると、"洗剤を買う"と書いて貼り付けた冷蔵庫のメモが張り替えられていることに気が付きました。まったく違う内容になっているのです。彼はいぶかしみながらも、それをゴミ箱に捨てました。

マシニスト


★ひき逃げ事故前のトレバーはどういう男だったのか?

 ガリガリに痩せ、奇妙な生活習慣を持つトレバー。彼は1年前に起こしたひき逃げ事故によって人生を変えてしまいました。その事故以来眠れない、食べられない彼は次第に幻想を見るようになります。

 1年前、事故を起こす前のトレバーは派手な格好を好み、赤い車を乗り回す、社交的で明るい性格の男でした。少々傍若無人の振る舞いもあったものの、仕事仲間からは付き合いのいいやつとして好かれる男だったようです。

 その日も彼は町を車で流していました。いつものようにサングラスをかけ、先のとがったデザインの蛇革の入った洒落た靴をはいて愛車を走らせています。フロントミラーには"ROUTE 66"のキーホルダーが揺れていました。

 スピードを上げて運転していた彼は、タバコを吸おうと思い、シガレットライターに手を伸ばしました。その一瞬、彼が目をそらした間、車は空港近くの交差点にさしかかっていたのです。

 時刻は午後1時30分。火を付けたトレバーは1人の男の子が横断歩道を渡っていることに気が付きました。

 しかし、そのときにはもう遅かったのです。彼は男の子をはねてしまいました。急停車するトレバー。彼はウィンドウを開け、後ろを振り返ると母親らしき女性が男の子の名前を呼びながら倒れた男の子に駆け寄っていきました。

 このひき逃げ事故と、事故後の生活習慣、そしてその中で起きた数々の事件には密接な関連がありました。まずは、空港のカフェのウェイトレスのマリア、その息子のニコラスとトレバーの3人で遊園地へ出かけたときの事件を見てみましょう。

マシニスト


★ルート666

 ニコラスがトレバーと2人で「ルート666」というアトラクションに乗ったこと自体が、トレバーのひき逃げ事故の象徴です。

 "666"とはヨハネの黙示録第13章に出てくる、有名な悪魔の数字ですから、「ルート666」とは「地獄への道」というような意味。

 また、トレバーは事故前から車のフロントミラーに"ROUTE 66"というキーホルダーをぶら下げていたので、このイメージからも「ルート666」というアトラクションの名前が出てきたのでしょう。

 そして、アトラクションの内容もひき逃げ事故やその後のトレバーの生活を示唆するものばかりです。

 例えば、アトラクションでは"有罪"という板を打ち付けられた首つり死体や墓に花を供えて泣く女が出てきます。そしてモーテルではセックスをしている男女の影が映り、保安官事務所のそばを過ぎ、交通事故と思われる大破した車と生々しい血だらけの死体が出てきます。

 "有罪"の板を打ち付けられた死体は男の子をはねたひき逃げ犯のトレバー。墓に花を供えて嘆く女は、男の子をひき逃げされた母親の悲しみ。モーテルでセックスを繰り返す男女は、娼婦の家に通い詰めて一時の快楽に逃げているトレバーの生活。

 そして、自首しなければならないという思いが保安官事務所に象徴され、交通事故の場面はそのまま、トレバーのひき逃げ現場を表しています。

 この不気味なアトラクションで、とりわけリアリティのある再現をされているのが、交通事故の場面の血だらけの死体。他は一見して造り物や人形と分かるのに、この死体だけが妙に生々しい。

 これは、トレバーが特に男の子の死に罪悪感を感じていることの現れであり、全てがこのひき逃げ事故から始まっていることを示してもいるのです。

マシニスト


 そして、決定的なのはアトラクションの終盤で2股に別れる道。

 ニコラスは「地獄へ」と書かれた方の道を進んでいきます。そして、白目をむき、泡を吹いて倒れるニコラス。これはひき逃げ事故でニコラスが死んだことのメタファーです。

 トレバーは慌ててアトラクションの外にニコラスを連れ出し、地面に直接寝かせます。この地面に直接横たわるニコラスはひき逃げされて倒れた男の子の死体。そして、倒れたニコラスに走り寄るマリアは、事故現場で駆け寄ってきたあの母親らしき女性。

 しかし、交通事故でひき逃げされた男の子とは違い、ニコラスはマリアの手なれた処置で息を吹き返します。

 これはトレバーの願望。

 あのひき逃げしてしまった男の子が実は、トレバーのせいではなくて、持病で倒れたのなら、男の子に駆け寄ってきた母親があの子の命を救ったかもしれない。そんなはかない願望が現われたトレバーの哀しい妄想でした。

 その他にも、ひき逃げ事故がトレバーに影響を与えていたことはたくさんあります。

 まず、トレバーがタバコに火をつけようとしたばかりに男の子に気が付くのが遅くなったという事実。

 つまり、車のシガレットライターはトレバーの罪悪感を引き起こす象徴的存在です。それを使おうとしたときにアイバンが現われたのは偶然ではありません。車のシガレットケースを使おうとしたときにトレバーが無意識に事故を思い出し、その瞬間にアイバンが出現したのでしょう。

 また、「1:30」という時間を見るたびにトレバーは夢から覚め、家に帰ってきます。空港のカフェでも1時30分を過ぎればカフェを出ますし、遊園地の帰りにマリアの家によっても、台所で1時30分を過ぎると家に戻ってきました。

 彼にとって、1時30分とは事故を起こした時間。

 その時間を見るとトレバーは罪悪感が募り、実在しないマリアというウェイトレスと話しているという妄想から覚め、マリアの家に行ったという妄想から覚め、トレバーは現実へと引き戻されるのです。

マシニスト


★何が妄想で何が現実か?

 トレバーはひき逃げ事故以来現実と妄想を行き来する生活をしています。
 では何が妄想で何が現実なのでしょうか。

 トレバーが働いていた工場、そして、ミラーの事故は現実です。

 同僚たちは前は付き合いが良かったと言っていますし、上司もトレバーの激やせぶりをみてアルコールもしくはドラッグ依存を疑っていますから、工場の人たちはやせ細る以前のトレバーを知っているのです。

 つまり、ひき逃げ事故以前からトレバーはこの工場で働いていたのでしょう。

 そして、ひき逃げ事故以前に仲が良かったのはレイノルズという大柄な男。彼とトレバーは釣り仲間で、一緒に釣りに行って大物が取れたときに写真を撮ったこともありました。

 2人で最後にとった写真はアイバンの財布からトレバーが取った写真。このときに釣った魚はトレバーが持ち帰ったようです。

 ラスト近く、冷凍庫から転がり落ちたのはこの魚の腐った頭部。トレバーは1年近く魚の頭を冷凍庫に放りっこみぱなしだったのでしょう。

 レイノルズとトレバーが仲が良かったことがうかがわれるのは写真だけではありません。

 ミラーの腕を切断し、その後も情緒不安定なトレバーに「皆、お前と一緒に働きたくないって思ってるんだ」と同僚に言い渡されたとき、皆、怒りの視線をトレバーにぶつけていますが、レイノルズだけは目を伏せています。

 レイノルズはかつて仲の良かったトレバーに面と向かって出て行けとは言えなかったのでしょう。

マシニスト


 そこで、アイバン。
 アイバンはトレバーの罪悪感が生み出したもう1人の自分なので、彼は妄想の世界の住人です。トレバーはアイバンとしての人格で謎のメモを残し、トレバーの行く先々に姿を現しました。

 アイバンは首を切るまねをして見せ、動転したトレバーはミラーの手を切断してしまいます。

 トレバーは直前に上司に呼ばれ、アルコール依存やドラッグ依存を疑われていました。そこで、トレバーには潜在的な意識のなかに工場をクビにされるかもしれないという思いがあったのでしょう。それでアイバンとしてのトレバーは首を切るまねをして見せたのです。

 ところが、トレバー自身はアイバンが自分自身だとは知りませんから、アイバンが首を切るまねをしたのはトレバーのひき逃げ事故という秘密を知っているぞ、という意味にもとってしまったのです。だからトレバーは動転してミラーの腕を切断してしまいました。

 また、アイバンがレイノルズが逮捕され、その代わりに来たといったのは、トレバーが逮捕されたら、誰かが代わりに職場に来ることになるというトレバーの想像の投影です。

 逮捕されたのがレイノルズなのは、彼が一番職場で仲の良い友人だったので、その記憶が投影されたのでしょう。レイノルズが犯罪を隠れてやっていたとか、そういうわけではありません。

 アイバンはあくまで幻影なので、トレバーが殺そうとしても殺すことはできません。カーペットから見えていた足はアイバンを殺したと思い込んでいたトレバーの幻想。

 そして、"おまえは誰だ"とメモを残したのはアイバンとしてのトレバー。

 また、空港のウェイトレスであるマリアやマリアの息子であるニコラスは彼の罪悪感と幼少時代の記憶が生み出した妄想。結末で明かされますが、空港のカフェにマリアというウェイトレスはいません。

 マリアと仲良くなり、遊園地に遊びに行ったとき、トレバーは1年前くらいからマリアと知り合いだとニコラスに語っています。

マシニスト


★常に左しか選べないトレバー

 トレバーは1年前のひき逃げ事故のとき、「逃げる」「罪を償う」という選択肢を突きつけられ、「逃げる」方を選択しました。

 これ以降、トレバーの選択肢はつねに「逃げる」ほうだけに絞られたのです。それは、救われることのない地獄を永遠に彷徨い続けるという人生でした。

 だから、ニコラスと遊園地に行ったときにも、アトラクション「ルート666」で、「右に行け! 」とトレバーが叫んだにもかかわらず、「地獄へ」「救済の道」のうち、左の「地獄へ」の道を進みました。

 そして、虚偽の交通自己申告を疑われて警察官に追われて地下水道に逃げたときにも暗い道と明るい道の二股の道が目の前にありましたが、トレバーは左の暗い道を選択せざるをえませんでした。

 なぜなら、右の明るい道からは何者かの近づいてくる不穏な影が見えていたからです。ひき逃げ事故を起こしたときに「逃げる」道を選択した彼にはもはや、常に左側の救われることのない道しか選択することはできません。

マシニスト


★スティービーの存在

 スティービーはトレバーの行きつけの娼婦であり、最終的には一緒に暮らす可能性まであった女性です。

 スティービーはもちろん、現実の存在。
 マリアと違い、彼女は現実の愛情と快楽を与え、トレバーに生きるよすがを与えてくれた存在でした。

 トレバーは彼女を当初は辛い毎日からの逃避手段として扱い、スティービーの元に通っていましたが、次第にトレバーは彼女の存在そのものに安らぎと居場所を求めるようになっていきます。

 しかし、スティービーとの関係も、トレバーの抱えた大きい秘密の前に破綻することになりました。

 結局、最初の選択、「逃げる」か「償う」かの選択を誤ったときからトレバーには決して幸運は回ってこない、そういう運命になっていたのでした。

マシニスト


★トレバーとミラー

 ミラーの腕を切断してしまったトレバーにはあのひき逃げ事故の記憶がよみがえります。
 
 被害者はトレバーを恨んでいるだろう。そうならば、ミラーもトレバーを恨んでいるに違いない。

 ミラーがトレバーに「気にするな」と言ってくれても、トレバーはそれを言葉通りに受け取ることができません。すっかり疑心暗鬼になってしまったトレバーは偶然におきた事故を同僚のせいだと責め、仕事をクビに。

 この1年、ひき逃げ事故の記憶にさいなまれ続けたトレバーは、ひき殺してしまった男の子の母親はトレバーを恨んでいるに違いないと確信していました。

 トレバーのせいで、男の子は死に、トレバーのせいでミラーの腕は落とされてしまった。トレバーは母親の気持ちをミラーの気持ちに重ね合わせ、ミラーの気持ちを邪推してしまったのです。

マシニスト


★血を流す冷蔵庫

 ミラーの事故ののち、血を流し始めた冷蔵庫。中には何が入っているのだろう。誰でもそう思うでしょう。
 しかし、結局転がり落ちるのは魚の頭。え、これだけ?

 そう、これだけ。冷蔵庫の中には他に腐った食べ物くらいはあるかもしれませんが、あっと驚くようなもの、たとえば死体などはないでしょう。

 思い出してみると、冷蔵庫が血を流し始めたその日、大家がトレバーの部屋にやってきて「水漏れ」がしている、とトレバーに注意しています。

 この「水漏れ」こそが、"血"の正体です。

 魚を持つレイノルズとアイバンの映る写真が実はレイノルズとトレバーだったこと、マリアというウェイトレスはおらず、トレバーは空港のカフェでコーヒーを見つめているだけだったこと、が結末で明かされたように、観客はトレバーの視点を通して物事を見ています。

 だから、水が"血"に見えたというわけです。

マシニスト


 では、この血を流す冷蔵庫は何を意味するのか?

 トレバーの生活は荒れており、食事もろくろくしないのですから、トレバーは冷蔵庫を使うような生活はしていません。

 冷蔵庫はトレバーがよくメモを張っていた場所。
 つまり、冷蔵庫はメモを張るための場所として機能していました。

 そして、そのメモがトレバーの知らないうちに別のメモに張り替えられることからトレバーのもともと不安定な精神がいよいよ崩壊への道をたどり始めます。

 また、冷蔵庫が血を流し始めたのは、工場をクビになった日。その日はトレバーが仲間にわざと事故を起こされそうになったと勘違いして大騒ぎし、ついに工場をクビになった日。

 生活の手段を断たれ、トレバーが精神的にも、経済的にも追い詰められたときに冷蔵庫は血を流し始めました。

 この冷蔵庫はトレバーの心そのものです。
 血を流し始めた冷蔵庫というのは、どうにか保っていたトレバーの心の均衡が崩れたことの象徴。

 ひき逃げ事故の記憶さえなくし、偽りの記憶で真実を覆い隠して、不安定ながらも毎日をやり過ごしていたトレバーが、ミラーの事故をきっかけに、もはやどうしようもない状態に陥って破綻していくトレバーの心理状態を表しているのです。

マシニスト


★聖母マリア、その許しを求めて

 罪の重さに耐えかねたトレバーは全ての人間的なつながりを断ち、孤独の中に逃げ込みました。空港のウェイトレスとして妄想の中で作り上げたマリアと会話をし、つかの間の安らぎを得、娼婦のスティービーの家に行っては快楽を得る。

 綱渡りの生活でした。

 トレバーは被害者の母親が自分を恨んでいるだろうと確信していました。そして、自分の過ちをその母親に許してほしいという気持ちがありました。

 ひき逃げ事故の被害者の男の子とその母親の投影であるニコラスやマリアがトレバーに優しいのはトレバーがその罪を許してほしかったからです。

 マリアは被害者の母親の投影であり、交通事故の加害者であるトレバーを一番恨むであろう存在でした。その人に許してもらえるならば、トレバーはこの重荷から解放される。

 トレバーの妄想の中の彼女はトレバーに優しく、愛情を見せて接してくれ、遊園地にもトレバーを誘ってくれます。マリアはトレバーに愛と許しを与える存在。つまり、「聖母マリア」のような慈愛に満ちた存在でした。

 "ニコラス"や"マリア"という名前はトレバーがつけた名前で本当の名前かどうかは分かりません。もしくはトレバーは新聞か何かで事故のニュースを見て、被害者の名前を知っていたのかもしれません。

 けれども、マリアとニコラスという親子の名前が共にキリスト教の聖者の名であるのは偶然ではないでしょう。

 この1年、トレバーを支配していたのは罪悪感でした。その疲れ切った彼の心によみがえってきたのは母の記憶です。倒れた男の子に走り寄って我が子の名を呼ぶ母親の姿はトレバーに自分を愛し、大切にしてくれた死んだ母の記憶を呼び覚ましました。

 また、精神的に苦しい毎日を送る中で、精神的な支えとしてもトレバーは母の記憶を求めていました。彼は母の日の話題をマリアに持ち出していますし、母の墓参りに行くとか、ニコラスに母の愛を知ったのは父が家を出たときだったとか、繰り返しマリアに母について語っています。

 また、遊園地でトレバーがマリアとニコラスの写真を撮った場所は、かつて幼かったトレバーと母親が写真を撮った場所と全く同じ場所、まったく同じアングルでした。それに、マリアの夫が出て行き、母が1人で我が子を育てているという環境までトレバーの幼少時代と同じです。

 つまり、マリアとニコラスの親子はトレバーのひき逃げ事故の被害者とその母というのみならず、トレバーの幼少時代の記憶と母への追憶というものが2重に投影された存在なのです。

マシニスト


★最後の天使、アイバン

 アイバンは罪悪感の地獄に囚われ、どんどん奥底に落ち込んでいくトレバーを導きます。

 ラストでは、アイバンはトレバーの運転する車に同乗しています。
 すると、目の前には「空港へ」「街へ」と書かれた2つの看板が。左に行けば再び負のスパイラルが始まります。

 トレバーはその後警察署に自首しました。トレバーはついに右の道、「街へ」の道を選ぶことができたのです。

 ついに救いの道を選ぶことのできた彼は罪悪感の重しから解放されました。留置場やその廊下が真っ白だったことにお気づきでしょうか。暗い画面の多かったそれまでから一転して、純白の画面に転換したラスト。

 これは、トレバーの心そのもの。彼は罪を告白し、ようやく解放されたのです。彼の心はまっさらになり、再び、生きることを選択していくことができた。その投影が真っ白な画面に現われています。

マシニスト


★トレバーの愛読書『白痴』

 何度も映し出される『白痴』の本。トレバーの愛読書のようです。ドストエフスキー著のこの作品には、"世間知らずで純真無垢な男"と"闇を代表する暗い人格の男"が出てきます。

 「マシニスト」にこれを当てはめてみると、"純真無垢な男"とはひき逃げ事故のことすら忘れたトレバーのこと。

 そして、"ひき逃げ犯"というトレバーの闇の人格は事故を忘れ去ったトレバーを冒し、結果としてトレバーはガリガリにやせ細り、眠ることすらできなくなっていました。

 ドストエフスキーの『白痴』では、男たちは最後2人とも破滅してしまうのですが、トレバーの場合はアイバンがいました。彼はトレバーを導き、最後には彼を警察に出頭させて、罪悪感の地獄から救い出します。

 アイバンがいなければトレバーには『白痴』の登場人物のように破滅が待っていたことでしょう。

 『白痴』に出てくる男の一人は"世間知らずで純真無垢な男"です。その彼のように、「何も知らない」トレバー。

 何も知らないということは、知ろうとしていないだけではないのか、現実から逃げようとしているだけではないのか。

 知らなければ、善き人でいられるというわけではありません。それは単なる"逃げ"に過ぎない。向き合いたくない真実から逃げ続けているうちに、崩壊の足音はすぐそこに迫っているのかもしれません。

 アイバンはトレバーのもう一つの人格でした。アイバンがトレバーを救ったということは、トレバーがトレバーを救ったということ。

 人の良心が一度間違った方向に負けたあと、それを取り戻すまでの闘いを描いた映画が「マシニスト」であるとも言えます。

 人の良心というものが一体強いものなのか、それとも、弱くて、誘惑に負けてしまいやすいものなのか。

 どちらも真実であるということなのでしょう。

 「マシニスト」は人間性への絶望をうたう映画ではありません。人間に残されたわずかな部分が最後の砦にもなるということ。「マシニスト」はそれを描く映画なのです。

マシニスト