映画:フリーダムランド あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

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 わが子を連れ去られたと告白された刑事がその行方を追ううちに探り当てた真実とは何だったのか。アメリカ社会に潜む闇を告発する社会派映画。サミュエル・L・ジャクソン,ジュリアン・ムーア共演。
「フリーダムランド」の解説とレビューでは映画に込められたメッセージを分析・解説する。

 ニュージャージー州のアームストロング団地。ここは低所得者が住む、アフリカ系住民が大半の大型団地だ。ここを担当しているのは黒人刑事のロレンゾで、彼は地域の住民から信頼を得、白人刑事が踏み込みたがらないこの地域の捜査を担当してきた。

 ある日、病院に駆け込んできた白人女性が、アームストロング団地付近で黒人男性にカージャックされたと訴える。彼女の名はブレンダ。アームストロング団地内の保育所に勤務していた。ロレンゾが彼女に話を聞くと、4歳の息子コーディを連れ去られたと彼女が訴え始めたことから、大事件に発展する。

 事件現場のアームストロング団地は封鎖され、警察が住民を監視し、出入りを制限する事態になり、警察は黒人住民たちの反感と怒りを買い、激しい抗議が巻き起こっていく。

 コーディはどこに行ったのか。彼はまだ生きているのか。事件の真相は意外な方向に向かおうとしていた。

【映画データ】
フリーダムランド
2006年・アメリカ
監督 ジョー・ロス
出演 サミュエル・L・ジャクソン,ジュリアン・ムーア,イーディ・ファルコ

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映画:フリーダムランド 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★フリーダムランドの告発

 フリーダムランドはブレンダの息子の誘拐事件を通して、いまだアメリカ社会に根強く残る人種差別の実態、そして貧困と親子関係の問題を告発しました。ロレンゾ刑事はコーディの行方だけではなく、アメリカ社会の闇をもえぐり出していくことになります。

 ロレンゾ刑事の探り当てたアメリカの闇とは何か、それを解き明かしていきます。彼は、ブレンダとコーディの親子の事件から何を見い出したのでしょうか。

★まだ、人種差別があるのか ?

 映画が公開されたのは2006年。それから3年が過ぎた2009年にはアフリカ系の血を受け継ぐオバマ大統領が新しいアメリカの指導者になりました。オバマ大統領は表舞台で活躍する黒人の象徴的存在です。いまさら、声高に白人至上主義を叫ぶ者は目立って多くはありません。

 南北戦争時代、黒人は人以下の存在として扱われ、奴隷として売買されました。南北戦争に勝利し、一人の人間として市民権を得た黒人は、その後の長い闘争を経験することになります。公民権運動では黒人を差別する法律に挑み、法律を廃止させることに成功。公民権運動後は黒人を法律で差別するものはなくなりました。そして、その後は突出した大きなうねりはなく今に至っています。

 黒人は、アメリカ市民としての法的地位を確立し、法律も人種差別色をなくしました。それでは、人種差別はアメリカからなくなったといえるのでしょうか。ブレンダはどうなのでしょうか。彼女はアームストロング団地を犯人がいる場所として挙げ、騒動に発展するきっかけを作りました。結局、息子を誘拐されたというのは狂言だったわけですが、ウソをつく際にあえてアームストロング団地をを挙げたブレンダは人種差別主義者なのでしょうか。

 ブレンダは言います。「無意識に言ってしまったのだ」と。彼女は口から出まかせに事件を捏造するうちに、黒人男性がアームストロング団地という場所でわが子をのせたまま、車を盗んでいった、と言ってしまいました。

 無意識に。これは真実を鋭く指摘する言葉でもあります。彼女は決して、人種差別主義者ではありません。彼女の職場はアームストロング団地の一角にある保育施設です。彼女はその仕事を誇りに思っていますし、コーディを仕事場にも連れて行くことがあります。

 それは、彼女がコーディを預ける場所がないというだけでなく、コーディを黒人の同年代の子供たちと遊ばせることがいいとブレンダが考えたからです。それにブレンダの交際相手は黒人男性のビリーでした。しかし、その彼女がついたウソには明らかに黒人に対する特別な意識が働いていることは否定できないでしょう。

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★"見えない"人種差別

 ブレンダのように、自覚がないのに、差別してしまう。この無意識の感覚が特徴的なのが、現代型の人種差別です。

 人種差別は個人の心に潜りました。人間一人ひとりの奥底に。法律という形で公にあった差別意識は程度の差はあれ、個に宿ることになったのです。その意識はブレンダの言うように、無意識です。普段、自分にはそんな差別意識はないと思っている人もいるでしょう。そして、ふとした拍子にそれがむくりと頭をもたげます。今、問題となる人種差別は多くはこの個人レベルで働く"見えない"差別意識なのです。

 そして、それが組織で行動する場面にも、ふと顔を出します。職場や、学校、地域といったコミュニティーで起きる差別はその代表でしょう。組織は個人の集まりであり、個人が動かしているものです。あからさまな差別は組織による歯止めが効きやすいですが、個人レベルの密かな差別意識は、一定程度で一般的に共有されています。そのため、歯止めが効かず、半ば公然と差別的な行動となって現われてしまうのです。

 フリーダムランドでいえば、警察による団地封鎖がそうです。警察官に共有されている差別意識は、団地の完全封鎖という、集団行動をするときになって顕在化しました。最初から黒人ばかりのアームストロング団地に犯人がいると断定し、団地を封鎖して強硬な捜索をしようとする警察には団地に住む黒人に対する先入観がありありと見てとれます。

 組織行動で起きる差別はルールや規則という目に見える形で制度化されることは少ないもの。「暗黙の了解」という形が取られることが多いでしょう。皆、差別を肯定することはいいことではない、という一般的了解を元に行動しているからです。

 この、各人の心の底に潜った差別というのは、公民権運動のころのように、法律を廃止するように働きかけたり、スローガンを叫んでデモ行動をすることで対応できるレベルの問題ではありません。あとは、根気よく、個人の差別意識を取り除けるように、感情面、ソフト面でのケアをしていくしかないのです。

 近時、問題になる差別は個人レベルの差別意識に収束しています。この問題意識を共有する映画としてはエドワード・ノートン主演の「アメリカン・ヒストリーX」もその一つ。ただ、「フリーダムランド」は、「アメリカン・ヒストリーX」よりも、もっと普遍的な問題を提起しています。

 「アメリカン・ヒストリーX」の主人公は白人至上主義・過激派の活動に与していました。しかし、フリーダムランドでは、黒人コミュニティーに溶け込み、彼らと共に働き、彼らに受け入れられていた白人女性が根深い部分で持っていた差別意識が問題になっています。

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★世界はひとつ、のはずだけれど

 コーディの埋められていた現場に添えられたメッセージカードはこの事件の全てです。「私たちは同じ人間」。皆コーディの安否を心配する気持ちは同じです。団地の住民はコーディを探すことに反発しているわけではありません。アームストロング団地のみを標的にして強制的な捜査をすることに反発しているのです。

 「私たちは同じ人間」。フリーダムランドの随所にこのメッセージが出てきます。保育所の間仕切りに張られた子供たちの描いた絵は、さまざまな色で描かれた人たちが丸く円になっている構図だし、ブレンダが団地の黒人住民に侮蔑され、うちの子にもう会わないで、といわれる場面の壁面の落書きにはTOGETHERと書かれていました。

 この世界はひとつ。私たちは皆同じ人間。よくこういう言葉が使われますし、至極もっともな考え方です。それでも差別は無くならない。しかし、現代型の差別は法律で禁止しても、差別反対を叫んでも絶対に無くならない差別なのです。

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★愛と寛容と

 では、この差別を少しでも無くしていくにはどうしたらいいのでしょうか。南北戦争のころや公民権運動のころと違い、もはや明確な目標は掲げにくいのが事実です。

 フリーダムランドではロレンゾ刑事が神の存在を通した愛をしきりに説いています。これはキリスト教を絡めなくても、理解できること。異なる人種間で交流を持ち、話す、聞くということ。話せばお互いの人柄が分かります。相手がこういう人なんだ、ということが分かれば、そこには友情が生まれるでしょう。

 ロレンゾ刑事のいう愛とはこの場合、「寛容」のこと。人種が同じでも、気が合わない人はいるものです。人種でラインを引いてしまわずに、人種が違う相手でも、その話を聞こうとする心があれば、人は人種の垣根を越えて分かりあえる可能性があるのです。

 ブレンダは一方で、根深い差別の象徴ですが、その反面、寛容の心を持つ人でもありました。彼女の職場は黒人コミュニティーのなかにありました。ブレンダはその職場に誇りを持ち、息子のコーディと共に黒人社会に受け入れられていました。

 ブレンダが白人でも、人間であることは同じ。話す機会があれば、ブレンダがコーディを愛する母親であり、良き人であることが分かります。ブレンダは宝物だった息子のコーディと黒人の子供たちを遊ばせるためにわざわざコーディを連れてくるほど、黒人と白人を分け隔てしていませんでした。そしてもちろん、彼女は分け隔てなく黒人の子供たちを愛しました。

 保育所でブレンダに走り寄る黒人の子供たち、いなくなってしまったコーディを心配する幼い黒人の子供たちはいかにブレンダが良き人であったかを伝えてくれます。

 アメリカ建国以来の長い人種差別の歴史はときにアメリカを揺り動かす力を伴ってきました。そしてこれからもダイナミックな力を持ち続けるでしょう。しかし、人種差別という問題は常に単独では捉えられません。他の問題と複合して、複雑化した社会問題として提起されることになります。

 そのときに、社会はどう対応できるでしょうか。それとも、無視するのでしょうか。人種問題と複雑に絡むブレンダの事件のもう一方の面を見ていきましょう。

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★"見えない"子供たち

 ロレンゾはブレンダとコーディの悲劇をきっかけにして、息子との絆を再確認しました。強盗を働いて服役中の息子はロレンゾが家庭を顧みなかったことの代償です。しかし、もっとも重要なのは親子の愛ではありません。フリーダムランドがロレンゾに告発させるのは、貧困と家族という問題です。

 ボランティア団体の捜索で行った子供たちの収容施設跡地。立ち並ぶ廃墟には小さな靴や人形が転がっています。ここでは立ち入り調査が入るまで、何千人もの子供たちが虐待され、十分な世話をしてもらえずにいました。

 このような大規模な児童収容施設があり、実に多くの子供たちが酷い扱いを受けていながら、見過ごされていたという事実、そして、このような酷い施設にも関わらず、預けられてしまった子供たちがいたという事実。

 ふたつの事実が示すのは、貧困と家族の関係です。こんな町はずれの寂しい場所にある、大きな児童施設に預けられる子供たちの親がどのような暮らしをしていたかは想像がつきます。そして、そのような施設の存在や、施設内部で行われていた虐待問題が黙殺されていたのは子供たちが身寄りがないというだけではなく、彼らが社会の底辺からも外れた子供たちだったからではないでしょうか。

 彼らは"見えない"子供たち。この施設がなくなれば、地域社会がこれに代わる受け入れ施設を造らなくてはなりません。それにはお金も人手もかかります。いわば、地域はこの施設にいる子供たちを「社会のお荷物」として扱い、虐待される子供たちに気が付かずに済むように、まぶたを閉じ、見えないふりをしてはいなかったのでしょうか。

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★貧しさと愛情と

 コーディの存在はブレンダの人生を変えました。ブレンダに仕事を見つけさせ、彼女を強くして自立の道を歩ませました。
しかし、同時にコーディは彼女の負担にもなりました。コーディがいることで、彼女の生活はコーディが中心にならざるを得ません。自分の生活がなくなっていくことの精神的負担はブレンダのコーディに対する考え方を次第に変化させていきました。

 育児というのは実に手がかかるものです。一人だけでは到底無理な大仕事です。もちろん、立派にこなす母親もいるでしょうが、ブレンダの場合は、ブレンダを拒む家族を頼れず、わずか4歳のコーディを預ける先も、お金もなく、何よりも、彼女はシングルマザーで、働いて生活費の全てを自分で捻り出さねばなりませんでした。

 必死に働いたあとは、コーディの世話。時間的にも経済的にも楽ではなかったブレンダの暮らしは彼女を次第に圧迫して行きました。そして、ビリーと知り合い、何とか恋人と一緒の時間を作りたいと思ったブレンダは、毎日コーディに睡眠導入剤代わりの咳止めシロップを飲ませるようになります。

 ブレンダに家族がいれば、頼ることができたでしょう。ブレンダにお金があったなら、コーディを預けることもできたでしょうし、ベビーシッターを頼むこともできたでしょう。時間にも余裕ができ、心にも余裕ができたに違いありません。

 町はずれの施設に入れられて虐待を受けた子供たちとコーディはよく似た関係にあるのです。

 経済的に苦しい生活は時間を奪います。時間を奪われる生活は心をむしばみます。心がむしばまれれば生活が荒みます。犯罪に手を出し、家族は崩壊するかもしれません。家族内の人間関係もうまくいかなくなるのです。貧困と家族の問題はコインの裏と表のように、密接した関係にあるのです。

 ブレンダは自分の人生を変えてくれたコーディを死に至らしめた自分の責任を嘆いています。しかし、これはブレンダ一人の責任で終わらせてよい問題ではありません。いま、ブレンダ一人の責任に全てを着せてしまえば、ふたたび、第2、第3のブレンダが出てくることでしょう。

 また、これは親子の愛情の問題でもありません。ブレンダがコーディをもっと愛せばよかったという問題ではないのです。そもそも、ブレンダがコーディを愛していたことは紛れもない事実ですし、仮に愛情が全くなくなってしまっていたとしても、一度、愛情を取り戻せば全てがうまくいくというのは幻想でしかありません。

 愛があっても、貧しさがすぐ後を追いかけてくる。やはり、ブレンダはまたコーディに、仕事に時間を取られることになるでしょう。愛だけではどうしようもない問題というものもあるのです。

 これは個人の問題ではなく、社会全体の問題です。貧困と家族の問題は社会全体で考えていかなくては、絶対に解決の糸口は見つかりません。

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★フリーダムランドの真実

 " Freedom Land " とは、 自由の国・アメリカのこと。ある国を表現する際に、「自由の国」、という決まり文句が多用されるのはアメリカ以外にはありません。「自由」に価値の重きを置くアメリカならではの表現でしょう。

 「自由」という言葉は実に重いもの。権力者との闘争によって人民が勝ち取ってきた「自由」の権利は民主政治に取って不可欠の権利です。
しかし、自由の発展史において、国家が全くコントロールをしない放置された自由な社会は実は不自由な社会であることが明らかになってきました。

 人間の活動を全くの自由の下に放置すれば、必ず支配するものと支配される者、富める者と貧しい者に二極分化していきます。
貧しさは人間の両手を縛ります。貧しさは生活レベルを固定し、子供もまた、社会の同じ階層に固定されます。自由なはずが実は不自由を強いられる現実。貧しい者はどこまでも貧しく、その下限は止まることを知りません。

 このような状態は実は、自由とはいえないのではないか、自由の下でも、ある程度の社会的介入が必要ではないか、そう議論されるようになります。現代政治では、自由への介入を前提にして、どれだけの介入をすべきか、社会の最低ラインをどこに置くべきか、の議論をしています。

 アームストロング団地の住民とブレンダは社会の底辺境界線上の存在に振り分けられるでしょう。彼らをどのように社会の網目から取りこぼさないように社会保障を敷いていくのかが議論の焦点になっています。
白人と有色人種の経済格差、シングルペアレントと子供の問題。その2つの大問題が入り混じって起きたのが「フリーダムランド」の事件でした。

 全てを一挙解決するような名案は残念ながらありません。それがないからこそ、問題意識を持って皆できめ細かい議論をしていく姿勢が必要になってきます。「フリーダムランド」はその問題提起を試みた映画であったといえるでしょう。

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