映画:羊たちの沈黙 解説とレビュー
※レビュー部分はネタバレあり

ソウ,saw,24.jpgソウ,saw,25.jpg羊たちの沈黙,22.jpgソウ,saw,25.jpg羊たちの沈黙.jpg
羊たちの沈黙,25.jpg
羊たちの沈黙,2.jpgソウ,saw,24.jpgソウ,saw,25.jpg羊たちの沈黙,23.jpgソウ,saw,24.jpgソウ,saw,25.jpg


 若い女性が殺され、生皮を剥がれるという連続殺人事件が起きる。犯人"バッファロー・ビル"の心理を探るべく、精神科医ハンニバル・レクターのもとへ一人のFBIアカデミー訓練生が派遣された。彼女の名はクラリス・スターリング。これが初めての任務となるクラリスは意気込んでいたが、レクターは精神科医であると同時に、多くの人を殺した殺人者でもあった。"バッファロー・ビル"を知っているというレクターは情報を与える見返りに、クラリスの過去を話すように要求する。

 FBIアカデミー訓練生のクラリス・スターリングを演じるのは若きジョディ・フォスター。ハンニバル・レクターを演じるのはアンソニー・ホプキンス。2人の名優が息詰まる心理戦を展開する。クラリスとレクターの対話を通して少しづつ明らかになるバッファロー・ビル事件の真相。そしてクラリスの深い心の闇。彼女の過去はどのようにバッファロー・ビル事件に関連してくるのか。必死に犯人を追うクラリス、そしてレクターの全てを見通すかのような存在感は圧倒的だ。

【映画データ】
羊たちの沈黙
1991年・アメリカ
監督 ジョナサン・デミ
出演 ジョディ・フォスター,アンソニー・ホプキンス,スコット・グレン,テッド・レヴィン

羊たちの沈黙,13.jpg


映画:羊たちの沈黙 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★レクターの手掛かりから解決へ

 「殺人に駆り立てられる理由は?」と問うレクター。この問いこそが、殺人犯"バッファロー・ビル"へと近づく最大のヒントとなりました。レクターの借りていた倉庫で瓶に入れられた男の首を始まりとしたレクターによる、クラリスの誘導はこのヒントで終わりを告げます。後はクラリスがバッファロー・ビルを追い詰めるだけ。
 殺人に駆り立てられる理由は「極度の切望」だとレクターは言います。そして、その切望は「毎日見てることで始まる」。ということは、バッファロー・ビルの近くにも、極度の切望を抱かせるものがあったということ。それは何でしょうか。女友達。もしくは顔見知り。バッファロー・ビルが頻繁に顔を会わせていた知り合いの女性が被害者となっている…ここまで気が付いてしまえば簡単。初めの被害者の女性は重りを付けられ、発見が遅れていました。なぜか。最初に見つかってしまえば、彼女の周辺が徹底的に調査され、犯人が露呈してしまう可能性があるから。通りすがりの女性たちを殺し、死体が発見されたのちに、顔見知りの彼女の死体が混ざって発見されれば、顔見知りの彼女は一連の連続殺人事件の被害者の一人という扱いになり、バッファロー・ビルへとつながる線が薄くなる。
 重りが付けられていたのは決して偶然ではありませんでした。クラリスは被害者の友人の女性からバッファロー・ビルへとつながる手掛かりを得、ついに真犯人の家を突きとめました。
 レクターの与えた手掛かりは非常に遠まわしなようで、実は核心をつくもの。クラリスはレクターの誘導に乗っているだけで、犯人を突き止めることができるようになっていました。なぜ、レクターはクラリスへこれほどの手掛かりを与えたのでしょうか。レクターとクラリスの心理を探っていきましょう。

羊たちの沈黙,8.jpg


★ハンニバル・レクターとの面会

 クラリスは成績優秀なFBIアカデミーの訓練生でした。頭脳明晰な彼女は野心家で、FBIで成功したいと強く願っています。そんな彼女が与えられた任務は精神科医で殺人者レクターの分析でした。彼女の上司はクロフォード。クラリスはクロフォードの下で働くことをかねてより希望していました。この仕事が成功裏に終われば、出世への道が開けてきます。クラリスはがぜん、意気込んでこの仕事を引き受けました。

 レクターは最初の面会で、彼女の精神状態を分析しました。気が強く、野心家で、出世の機会を狙っている…クラリスはレクターと初めて会ったとき、レクターから視線を外しません。レクターはクラリスが芯の強い女性であると見抜きました。また、バッファロー・ビルについてのクラリスの分析を聞き、彼女が明晰な頭脳を持っていることを知ります。そこで、レクターは最初、断っていたクラリスの質問事項書を受け取りました。もとより、レクターはそんな質問に答えるつもりはありません。しかし、ここで、質問事項書を受け取っておけば、クラリスはまた面会にやってくるでしょう。

 レクターはクラリスを挑発しました。両親や生まれ、育ちについて、田舎町の炭鉱労働者だの、貧しい育ちだのと並べたてます。クラリスは怒り心頭に発し、席を立ってしまいます。これは捜査官としてはあるまじきことでしょう。クラリスはレクターの精神分析のためにここへ来ているのですから、レクターに何を言われようが、受け流しておくのが本来であるはずです。また、そうした訓練もアカデミーで受けているはず。にも関わらず、クラリスはレクターのあからさまな挑発に耐え切れず、その場を逃げ出してしまった。

これは、クラリスが両親、あるいは今までの育ちについて何らかの過去を持っていることを意味します。それは最も、クラリスが触れられたくない部分であり、だからこそ、レクターの言葉にクラリスは耐えきれませんでした。精神科医であるレクターはクラリスの反応を見て、クラリスの過去に何があったのかを知りたいと思うようになります。

また、若いクラリスが仕事で成功したいと思っていることもレクターには分かっていました。彼は「昇進のチャンスをやろう」とある情報を教えます。これはレクターにとってクラリスは久々に興味のわく人間だったからです。

羊たちの沈黙,4.jpg


★小羊たちの悲鳴

 クラリスの上司、クロフォードはレクターにバッファロー・ビルの捜査のためにレクターの精神分析をしているということを知られたくないと考えていました。しかし、レクターは既にそのことをお見通しです。しかし、クロフォードは真の目的がばれたらレクターは黙り込んでしまうと思っていましたが、レクターはバッファロー・ビルについての情報を話しはじめます。これにはクラリスの情報を教えるという取引が成立していました。レクターはクラリスのことを知りたいと考えていました。彼女の生い立ちを聞き出し、彼女の深層心理の分析をしたいレクターは、クラリスの欲しがるバッファロー・ビルの情報を少しずつ話しはじめます。

 レクターはクラリスの提示した条件をはなから信用していませんでした。条件のいい病院に移送され、自由に散歩ができるなど、そんな条件が出せるわけがない。レクターはこのクラリスが提示した条件が嘘であるとドクター・チルトンに明かされてもそれほど驚く様子はありません。そして、これを機にクラリスとの面談を断ることもしませんでした。レクターにとって重要なのは、取引のもう一つの条件、つまり、クラリスの情報と引換えにバッファロー・ビルの情報を教えるという条件だったからです。

 レクターはドクター・チルトンとバッファロー・ビルの捜査に協力することで合意します。これはレクターなりの考えがあってのことでした。レクターは傲慢なドクター・チルトンを嫌っています。毛頭協力するつもりはありません。しかし、レクターはドクター・チルトンがクラリスとライバル関係にあることを知っていました。

 ドクター・チルトンは見栄っ張りな男でパフォーマンスが大好きです。クロフォードやクラリスがレクターの分析をしていることを快く思っていないのも、自分の管轄に踏み込んできて、レクターの分析という手柄を先に取られてしまうのが悔しいからです。最初、クラリスの面会を快諾したのはレクターの分析などできるわけがないと思っていたから。しかし、その思惑とは裏腹にレクターはクラリスとの面会を継続しています。ドクター・チルトンはクラリスに手柄を取られると焦っていました。

 レクターはこのドクター・チルトンの焦りを利用します。まずは、協力すると見せかけて、自らを監視の緩い拘置所へと移送させることに成功しました。警察署内に臨時に設けられた大きな鳥籠のような牢で、レクターは久々に開放的な気分を味わい、クラシック音楽を楽しんでいます。一方、ドクター・チルトンはレクターを協力させたことにすっかりご満悦。記者を集めて得意げに喋っていました。彼は後にレクターの情報がガセネタだと分かって恥をかくことになるのですが。レクターはドクター・チルトンの性格を見越した上で、脱出計画に利用し、また、さんざんレクターを侮辱してきた彼に恥辱を与えることに成功したのです。

羊たちの沈黙,3.jpg


★父の死、小羊の死

 クラリスはレクターに「今までで最悪の経験は?」と問われ、「父の死ね」と答えています。クラリスは10歳のときに警察署長だった父を強盗に撃たれて亡くしました。確かにこれはクラリスにとって不幸な出来事でした。しかし、彼女の心にさらなる淀みを生む要因がありました。それは「小羊の死」です。預けられた親戚の家で、助け出した小羊を守り切れず、殺されてしまったという経験。人は本当に辛い出来事を「辛い」とは言わないものです。特に、クラリスのように、気の強い人間ならばなおさら。

 クラリスは男ばかりの現場で働く女性です。アカデミーでも、捜査現場でも、男たちはクラリスを好色な目で、あるいは好奇のまなざしで彼女を見ます。アカデミーではランニング中の男たちがクラリスをわざわざ振り返って見ているシーンがありましたし、バッファロー・ビルの被害者の死体検分に行ったときには地元の警察官たちに取り囲まれ、気まずい雰囲気が漂う中でクラリスは平気な様子を装っていました。

 上司のクロフォードですら、地元の警察官と別室で交渉をする際の言い訳に「この種の性犯罪について女性の前では…」とクラリスが女性であることを利用します。クラリスは警察官たちを現場から追い出しますが、FBIと地元警察の縄張り意識というだけでなく、女性に追い出されるのが不服そうな警察官たち。レクターの隣房のミムズに屈辱的な行為をされたことだって、クラリスが男性だったらされなかったはず。このようにクラリスはいつでも、男たちと張り合わねばなりませんでした。馬鹿にされないように、なめられないように、とクラリスは常に気を張り、高圧的な態度で男たちに接します。

 クラリスが気が強いのは、そうしていなければ潰されてしまうから。クラリスだって、人間です。弱い部分はある。しかし、その弱みを他人に見せないように、常に強気で振舞っていました。初対面のレクターに両親や育ちについて挑発され、逃げ出したのはクラリスにとって、それが心の暗部だったからです。父親の死、そしてそれに続く暗い少女時代はクラリスの心の存立を脅かす暗い過去でした。クラリスはそれを誰にも話したことはなかったでしょう。他人にそれを話すということは弱みを握られるも同然、そうクラリスは考えていました。だからこそ、レクターに親や育ちといった過去をそのものずばり突かれたことは衝撃でした。

羊たちの沈黙,19.jpg


★尊敬し、愛した父

 クラリスは父親を尊敬し、愛していました。幼いころに母を亡くしたクラリスにとって、父親は唯一の肉親であり、また、警察署長をしていた父親は誇れる父親であったのです。成長したクラリスは、将来の仕事として警察関係の仕事を選択しました。FBI捜査官の道です。そこには2つの意味がありました。1つは父親を殺した犯罪者を追い詰める仕事をしたいという気持ち。もう1つは父親への憧れ。

父親と同じ職業を選ぶ。世間的に、両親のしている仕事と同じ職業を子供が選択することは良くあることのように思えます。両親が尊敬できる人でなければ、子供は親と同じ職に就きたいとは思わないでしょう。子供は親の影響を受けて育つものであり、また、親がその子供にとっての手本であるから、子供は親と同じ職業を選択するのです。

クラリスの場合もそうでした。彼女は父親と同じ職業を選択します。これはクラリスにとって、父親の影響がどれだけ大きかったかを示しています。また、クラリスは父親の死後、施設で育つという経験をしていました。このような比較対象があると、過去の記憶は美化されやすくなります。父親の死後、親戚の家から施設に送られたことは、父親と過ごした年月をより一層、幸せな子供時代として際立たせました。

 一方、親と同じ職業を選択したということは、子供に一定のプレッシャーをかけることになります。親子の結びつきが強い場合、子は親に認めてもらいたいと思うものです。しかし、親が死んでしまっている場合には、よく頑張ったねと自らを認める言葉をかけてもらえる相手はいません。どこまで、自分を追い込めば良いのか。ストイックに自らの限界を追い求めてしまいがちです。クラリスは亡き父親を永遠の理想像において、がむしゃらに成功を追い求めていました。

クラリスの父親は警察署長の地位にありました。クラリスはFBIで捜査官になり、活躍したいという思いが人一倍強い女性でした。だから、クロフォードはあえて、アカデミー訓練生であるにもかかわらず、成績優秀で野心のあるクラリスをレクターの分析という困難な任務に指名したのです。クラリスは父親という憧れをもって、FBIの仕事を選択しました。それは夢の実現であると同時に、彼女に仕事での成功というプレッシャーをかけていたのです。

 女性であること、父親の記憶、そして、レクターの分析という初の任務を成功させれば、昇進への道が開けるということ。様々な要因が重なり合い、クラリスを圧迫していました。そして、「小羊の死」。夢にまであらわれるこの記憶はクラリスを根本から揺さぶる暗部でした。

羊たちの沈黙,14.jpg


★小羊の死

 納屋で悲鳴を上げる小羊たちは屠殺されるのを待っていました。そのなかの一匹の小羊を抱いて逃げ出した幼いクラリスはすぐに保安官に捕まり、施設へ送られ、小羊は屠殺された…。クラリスは父親を亡くし、続いて小羊も失くしました。父親と小羊。全く違うもののように思えますが、クラリスにとってはどちらも同様の価値を持っています。父親は犯罪者によって生命を奪われました。小羊も親戚の人に殺されました。どちらも、クラリスには手の及ばないところで命が失われたのです。

父親の死を経験したクラリスにとって、生死は重要な問題でした。悲鳴を上げながら死んでいく小羊はクラリスにとっては家畜ではありません。彼女はその命を守ろうとした。そして、守り切れなかった。父親の死は突然でした。クラリスの知らないところで強盗に撃たれて亡くなった。クラリスにはどうしようもありませんでした。クラリスは立ちすくむ小羊、沈黙する羊でした。無力、あまりに無力だったのです。

そして、再び、試練のときがやってきます。今度のクラリスには小羊の命を守れる可能性がありました。しかし、できなかった。小羊の命は奪われます。父のときのように。クラリスは無力でした。クラリスは再び、沈黙し、小羊のように立ちすくむしかなかったのです。助けようとした者を守れなかった記憶。父の記憶と相まって、小羊の死はクラリスに深い傷を残しました。残るのは深い喪失感と、自分の非力さへの後悔です。

 クラリスは新しい小羊を求めていました。幼いころの記憶を埋め合わせるため、助けを求める小羊が必要でした。そして、今度はそれを守ってみせる。クラリスはレクターの指摘通り、キャサリンを助ければ、この記憶を上書きできると考えていました。今度こそ、どんな手段を使っても、キャサリンを助けなければ。

 バッファロー・ビルの手口で特徴的なのは、殺してから皮をはぐというもの。小羊たちも、殺されてから皮を剥がれ、ラムスキンとして皮細工の材料になります。暴力事件の被害者のことを"小羊"と形容することもある。神のいけにえとされるのも小羊。キャサリンはバッファロー・ビルの圧倒的な暴力性を前に身動きがとれない羊です。恐怖に足がすくみ、ただ、クラリスを見上げていたあの小羊たちのように、彼女も逃げ出せずにいる。そして、いずれ、殺されて皮を剥がれる運命…。

羊たちの沈黙,12.jpg


★小羊の悲鳴

 クラリスはキャサリンを助けることに成功し、バッファロー・ビルことジョン・グラントを射殺しました。クラリスは昇進し、正式なFBI捜査官に任命されます。「小羊の悲鳴は止んだかな」と問う電話のレクター。

 しかし、小羊の悲鳴が止むことはありません。人間の記憶は消えることはありません。ただ、その記憶を和らげることができるのみ。FBIの仕事を続ける限り、クラリスは新たな小羊に出会い続けねばなりません。そして、あの喪失感と後悔を再び味わわないために、再び、クラリスは戦わねばなりません。殺された小羊は永遠にクラリスの記憶の中に生き続けます。そして、悲鳴を上げ、助けを求め続けます。小羊を助けるためならクラリスは手段を選ばない…犯罪者を射殺しても。クラリスは小羊を助けるためなら手段を選ばないでしょう。小羊の記憶ゆえに、クラリスはこれからも犯罪者を殺してしまうことになるかもしれない。

 レクターは精神科医です。キャサリンの救出が成功しても、クラリスの記憶が消えることがないことなど、よく知っている。「小羊の悲鳴」の記憶はレクターとクラリスだけが共有する秘密の記憶です。レクターはバッファロー・ビル事件を脱獄、ドクター・チルトンへの復讐、そしてクラリスの秘密を知るという3つの目的のために存分に利用しました。全てを手にしたのはレクターだけです。クラリスは事件の真相のために過去をレクターに差渡しました。これで必要ならば、レクターはクラリスを操作し、手玉に取ることができるでしょう。

また、レクターはクラリスとの電話で「これから古い友人と食事でね」と言っていました。レクターに後を付けられていたドクター・チルトンの運命は言わずもがな、です。クラリスのFBI捜査官としての人生は綱渡りのようなもの。小羊の悲鳴のなかで危うい精神バランスを保ちながら進んでいくことになるのです。

羊たちの沈黙,24.jpg


All pictures in this article from this movie belong to Orion Pictures Co. and Warner Bros..