映画:アバター あらすじ
※レビュー部分はネタバレあり

 ジェームズ・キャメロン監督の長年の構想が実った渾身の一作。他作に先駆け、本格的に3D上映されたことでも話題になった。

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 元海兵隊員のジェイクは「アバター計画」に参加するため、死んだ兄の代わりとして急きょRDA(資源開発公社)に雇われ、惑星パンドラに派遣される。パンドラにはRDAが希少鉱石を求めて進出していたが、鉱脈が先住民族ナヴィの居住する地域にあるため、その開発をしたい人間と立ち退きを拒むナヴィが対立している状況にあった。ジェイクは同じく元海兵隊大佐でRDAの傭兵隊を率いるラング大佐に、ナヴィの立ち退き交渉を進めるため、ナヴィのスパイをするようにとの命令を受ける。

 科学者のグレースが率いる「アバター計画」は、ナヴィと交流し、ナヴィの研究を行うために計画されたものである。「アバター」とは人間とナヴィのDNAを融合して開発されたナヴィの姿をした体のことで、この体にDNAを提供した人間の精神をリンクさせて操作する。ジェイクの兄はアバター計画にDNAを提供していたのだ。兄の代理としてアバター計画に参加する弟のジェイクはこのアバターをが操作することが仕事だった。

 海兵隊時代に負傷したジェイクは脊髄損傷により車いすを使わないと動くことができない。しかし、アバターを操作している間は車いすなしで自由に動ける。ジェイクはアバターを使い、次第にナヴィの世界に入りこんでいく。

【映画データ】
2009年・アメリカ
アバター
監督 ジェームズ・キャメロン
出演 サム・ワーシントン,シガニー・ウィーバー,ゾーイ・サルダナ,スティーヴン・ラング,ミシェル・ロドリゲス

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映画:アバター 解説とレビュー
※以下、ネタバレあり

★高額の報酬―カネがなくては何もできない―

 自由に、思い通りに動くことのできるアバターを使いこなすジェイクは好き勝手に走り回ります。先住民族ナヴィの住むパンドラに来たばかりのジェイクは傲慢で自分勝手でした。ジェイクは「行きたくもない場所に行かされる兵隊」だったのです。

 アバター計画に無関心なジェイクが兄の代理としてこの惑星に来ることになったのは兄の代役になれる者が血縁者であるジェイク以外にはなかったからです。トミーのために作られたアバターはとても高価なものでした。ジェイクが代理になれば、「高価なアバターが無駄に」されることはありません。そこで、ジェイクに対しては破格の報酬が約束されました。ジェイクは元海兵隊員ですが、脊髄を損傷したために、今は車いすの身です。彼は高額の報酬を得て何をしようと思ったのでしょうか。

 ジェイクの直接の上司は科学者のグレースですが、ラング大佐にジェイクはナヴィのスパイをするように直接に命令を受けていました。ラング大佐はジェイクにその見返りとしてある条件を提示します。それは、地球に戻ったら、ジェイクに新しい脚を提供するというものでした。

 高度に医療が発達した未来の地球では、動かなくなったジェイクの脚は治療不可能なものではありません。ただ、ジェイクにはカネが足りないのです。わずかな軍人年金ではとても高額な医療費は払いきれません。

 RDAはそこに目をつけました。大金を払うことにすれば、ジェイクは医療費を賄うために必ずや、アバター計画に参加するでしょう。多少、無理難題を要求しても、欲しいもののあるジェイクなら意のままになるかもしれない。欲しい物のないナヴィと違い、脚の欲しいジェイクはそれが弱みでもありました。

 薬品も、道路も、学校も欲しがらないナヴィ。「何が欲しいのか、訊き出せ」と大佐はジェイクに命じます。見返りさえ与えれば、何でも手に入ると思っている大佐。ジェイクに対しても、脚を与えるという見返りをちらつかせておけば、自らの意のままに動くはず、と踏んでいました。ナヴィの研究など、まったく興味のなかったジェイクですが、高額の報酬という魅力には勝てません。再び、自由に歩けるようになるという希望をジェイクは見出すことができたのです。

 「地球に戻ればすぐ消せる」。大佐は顔に付いたわずかな擦り傷を気にしています。ジェイクが脚の機能を失っていることに比べれば、なんと些細な悩みでしょうか。カネがなくては治るものも治すことのできない人間社会は見返りがなくとも助けあうことを知るナヴィの社会とは対照的です。カネさえあれば、何でも手に入れられる社会は、カネがなければ何もできない社会の裏返しでもあります。大佐の一言は、人間社会の醜い部分を心ならずも象徴しています。

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★虚構の"共存"

 人間はナヴィを必ずしも完全に排除しようとはしていませんが、一方でナヴィを理解しようともしていません。ナヴィの居住する土地から希少鉱石を採取したいRDA(資源開発公社)にとって、ナヴィはカネにならない、むしろ、カネもうけを邪魔する厄介な生き物でしかないのです。

 また、科学者のグレースにとって、未知の生態を持つナヴィは研究の対象。"共存"といいつつ、そこにナヴィを真に理解し、共に生きようとする姿勢はありません。あくまで、ナヴィは研究・分析の対象であり、あるいは迫害の対象とされていました。人間の言う"共存"というフレーズはイメージを良くするための虚飾でしかないのです。

 ジェイクにとってのナヴィとは何だったのでしょうか。当初、彼は無関心でした。ナヴィがどうなろうが知ったことではないし、ナヴィと人間が争っていようがどうでもいいこと。ましてや、ナヴィがどのようにして生活しているかなどという研究には全く興味はありません。ジェイクにとっての至上命題は早く地球に帰って治療を受け、動く脚を手に入れること。

 ジャングルにグレースらとアバターの姿で出かけたジェイクは動物に重を向け、怒らせてしまいます。それだけでなく、ジェイクは動物を挑発しました。ジェイクにとって、車いすなしで自由に動くことのできるアバターの姿はとても爽快です。解放感に包まれ、気が大きくなったジェイクはとにかく、興味本位の奔放な態度を取ります。

 夜になり、獣に襲われたジェイクを助けてくれたのはナヴィのネイティでした。「ここに来なければ獣は死なずに済んだ」、ネイティはジェイクにそう言ってなじります。ジェイクの生で死んだ獣と同様、ジェイクたち人間が希少鉱石を求めてこの惑星に来なければ、たくさんのナヴィが殺されることはなく、森は焼き払われず、この惑星では平和な世界が続いていたかもしれません。

 人間の言う"共存"は一方的な見かたに立ったもの。ナヴィからはとても、人間が共存を望んでいるようには思えません。

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★"幼い"人間たち

 ジェイクはネイティに「愚かで子供、何も知らない」と非難されます。人間は本質的に子供なのです。手に入れたいものを欲しがって泣きわめく子供。泣いて、騒いでいれば、欲しいものが手に入ると思っている。

 人間は圧倒的な軍事力を備え、ナヴィの生殺与奪を握っているかのように振舞っていますが、その実、人間は神ではなく、この自然界の複雑な命の仕組みなど理解してはいません。ただ、欲しいものに対しては他の犠牲をいとわず、時に同じ仲間であるはずの人間の命さえ、犠牲にしていきます。人間は欲望に忠実なあまり、自然の摂理に対しても躊躇なく闘いを挑んでしまいます。そして、しばしば、人間は自然を征服し、思い通りに操っていると思い込んできました。

 一方、ナヴィは自然と共に生き、自然の真理を知っています。ネイティの言葉によれば、「エネルギーは借りているだけ、いつかは返すもの」。ナヴィは生物の間にあるエネルギーのネットワークを感じ、そのネットワークの一員として生きようとしていました。

 しかし、人間は違います。エネルギーのネットワークというものが存在するとするならば、人間は全ての生き物の上位に立ち、そのネットワークを支配しようとするでしょう。人間にとって、エネルギーとは分捕るものなのです。人間はそもそも、地球で足りなくなったエネルギーを補うためにこの惑星パンドラに来たのですから。足りなくなったら、他から奪ってきて調達する。そして、その手に入れたエネルギーは人間が全て消費してもよいもの、と人間は考えているのです。

 ナヴィたちの住むパンドラは今や、人間の支配下にありました。そして、ナヴィや鉱石資源の処分は本来、力で勝る人間の自由になるはずです。だが、それでは、あまりに酷だし、RDAの地球での評判が落ちる可能性がありました。そこで、ナヴィに温情を与えてやろう、と考えます。それはナヴィに見返りを与えて立退きの機会を与えるということでした。

 すなわち、「お情け」でナヴィを助けてやろう(命くらいは)、しかし逆らうならそうはいかないというわけです。"人間の欲"というむきだしの欲望をカモフラージュするためだけのナヴィとの"共生"。だから、土地を取られまいとしてブルドーザーの前に立ちはだかるナヴィをいきなり殺そうとしたりはしません。まずは彼らを催涙弾で駆逐するにとどめました。この措置はランダ大佐いわく、「人道的」だそうです。確かに、人間の思い通りになるはずのナヴィを助けようとすることはRDAからすれば人道的行為なのでしょう。

 この人間の思考回路には、自然は自分の思い通りになるものだという傲慢な思い込みが透けて見えます。自分が自然の一部だという考えはそこにはありません。人間を自然の上位概念として位置付け、人間は自然を支配できると考えているのです。

 この考えはRDAだけが持つ特殊な思考ではありません。ジェイクもそうでした。「アバター」において、RDAにもナヴィにもこれといった思い入れのないジェイクは、この世一般に存在する人間を代表する人間です。ジェイクはとりわけRDAの希少鉱石開発に賛同しているわけではなく、グレースのアバターによるナヴィの研究に傾倒しているわけでもありません。いきなり、連れてこられてパンドラという惑星に放り込まれたただの人間です。

 パンドラに来たころの彼の行動からは人間もまた、自然の一部なのだという意識は微塵も感じられません。彼は自然の一員として生きているという考えは持っていません。だから、面白がって獣を挑発し、ためらわずに銃をぶっ放します。獣からすれば、自らの領域を冒すジェイクの方が侵入者なのですが、ジェイクにその考えはありません。

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★資源が人間を殺す

 RDAがパンドラにやってきたのは、地球のエネルギー不足を補うためでした。現実の地球でも、エネルギー資源の枯渇が予測されて久しいのです。産業や技術の発展は人間に膨大な量のエネルギーを必要とさせました。その資源を取りこむため、地球上では争奪戦が行われているのです。

 アバターの世界では、人間とナヴィが資源の取り合いをしているわけではありませんが、エネルギー資源の開発を巡って人間と先住民族ナヴィが対立しています。しかし、地球上では人間と人間、あるいは人間ともの言わぬ自然界が対立しています。カネにものを言わせ、現地の住民の生活を破壊し、あるいは環境を汚染して鉱物資源を取りこんでいく手法は何も、アバターの世界だけの話ではありません。現実に地球上でも行われていることなのです。

 鉱物資源のある地域では環境汚染、紛争、汚職が深刻な問題になっています。この3点セットを見事に揃えているのはアフリカ大陸です。鉄鉱石、コバルト、石油、ダイヤモンド、金。鉱物資源は戦争を呼びます。利害対立が武力衝突に発展しやすいからです。政府は汚職にまみれ、一部の者による富の独占に反発する者たちが武装蜂起する。この繰り返しが泥沼の紛争を招いています。

 鉱物資源の開発を担うのは資金力のあるアフリカ以外の国々やその他アフリカ以外に本拠を置く企業です。彼らは採掘事業の中核を担い、初期投資を行い、現地政府にカネを流し、採掘資源の優先的取引権を得ます。アフリカ以外の地域に住む者も直接的に現地の紛争に関与しないとしても、間接的にはそれに手を貸していることになります。

 だが、多くの人々はそれを知らないでしょう。ジェイクのように、多くの人々は無関心です。毎日のように大量のエネルギーを消費し、消費しなければ今の生活を維持できないことは知っていても、そのエネルギーがどこから調達されているのかまでは知りません。

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★払うべき代償

 ジェイクのように、その場に身を置かなければ、人類は理解できないのでしょうか。今のエネルギー消費のもとで犠牲になっている者がいることを。それとも、想像力を働かせ、自分がジェイクだったら、と考えることができるでしょうか。

 映画「アバター」は人間も「エネルギーのネットワーク」の一員であることを理解するように訴えています。そして、私たちに、その意識に基づいた行動をするように、と期待してもいるのです。

 ネイティによれば、「命なる母は人間とナヴィ、どちらの味方もせず、命のバランスを守るだけ」だと言います。人間の暴走を止めるのは人間自身か、それとも「命なる母」でしょうか。人間自身が人間を止めることができず、「命のバランス」を突き崩すところまで事態が切迫してしまえば、そのときは人間は相応の覚悟をしなければなりません。

 人間自身が自制することができなかったとき、崩された命のバランスを取るために人間が払うべき代償は自ら節制したときに払う犠牲に比べて、はるかに大きなものになるでしょう。

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All pictures in this article belong to 20th Century Fox.