『チョコレートドーナツ』
1979年のカリフォルニア。ショーパブで女装ダンサーをしているゲイのルディは、隣人の騒音に悩まされていた。
ある日、その隣人の女性が薬物所持で逮捕され、部屋にはダウン症の少年マルコだけが残される。
ルディは、マルコを施設に預けるのもしのびなく思い、店で知り合ったばかりの弁護士ポールに相談。
結局、その2人は付き合うことになり、ゲイのカップルであることを隠してマルコの面倒を見ることに。
しかし、世間が2人をゲイだと知った時、法律と偏見が幸せな家庭を引き裂こうと動きだし‥‥。
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実話が基になってるんですって。
泣いちゃいましたねえ。
迷惑な隣人のおばはんが帰ってこないことに気付いたルディ。
その部屋に一人いた、息子であろうダウン症の少年。
自分で自立して生活できる年齢でもなく、その能力もなく。
放っておけば、当時の、決して快適とは良いがたい保護施設に入れられるだけ。
ひょっとしたら、最初ルディは同情とか憐れみで、雨の中の捨て猫を拾うような感情だったのかもしれません。
だとしてもいいと思うんですよ。
放っておけなかったし、放っておかなかったし。
最善と思える手段で、ポールを誘い、2人でマルコを育てるのです。
とびきりの愛情を持って。
無償の愛とは、こういうことを言うのだろうか。
ルディ役のアラン・カミングが、本当に優しい顔をするんです。
自分の本当の子供を見る以上に優しいまなざしで、マルコを見つめるのです。
その顔を見るだけでも、胸にグッと来るくらいに。
ところが、当時の偏見がその特異な家庭を許さず。
2人がゲイだという噂が立つやいなや。
何の問題もなく暮らしていた家庭に、わざわざ波風を立て、法廷に持ち込むのです。
今でこそ、同性愛に理解を示す人が増えてきましたけど。
それでもやはり、偏見を持つ人は根強くいるわけで。
これがまた35年前のお話ですから。
同性愛者というだけで、とんでもない差別的な目で見られていたことは、想像に難くなく。
法廷のシーンなど、イライラが止まりませんでしたね。
アメリカ映画の裁判に出てくる検事は、何でもれなく敵意むき出しなのだろう?
事実を歪曲してまで、自分側に有利にする必要はあるのだろうか?
だとしたら、そんな司法制度そのものに問題があるのでは?
検事だけではなく、裁判官まで差別的な目を2人に投げかけて。
2人はほぼ孤立状態。
でも、2人は諦めず戦うのです。
マルコが幸せに暮らせるように。
そもそも、ルディとポールの2人は、恋愛対象が同性というだけで、他はいたって普通。
当たり前ですけどね。
他の男女の夫婦が我が子にするように、食事を作り、学校行事に参加し、ベッドで寝付くまでお話しをしてあげるのです。
そこに何の問題があるのか?と。
涙が止まらないですよ。
どんな涙かは言いませんけど。
実話が基になってるんですよね?
このルディとポールの、偏見と法律に挑んだ戦いが
どうかその後の世に、良い影響を与えていますように。
☆個人的見どころ
・偏見との戦い
・ルディの優しい顔
・そしてマルコは