『終戦のエンペラー』
1945年8月。日本が連合国軍に降伏し、太平洋戦争が終結。
そして、連合国軍司令官のダグラス・マッカーサー(トミー・リー・ジョーンズ)が、日本に降り立った。
彼は、日本をよく知るボナー・フェラーズ准将に、この戦争の責任は誰にあるか、調査を命じる。
しかも、与えられた期限は、たったの10日間。
フェラーズは独自に調査を進め、ついに最大の国家機密に入り込もうとするが‥‥。
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先に言っときますけど、長くなりますよ。てへ。
「ハンニバル・ライジング」の、ピーター・ウェーバー監督作品です。
マッカーサー役は、日本では缶コーヒーのCMでお馴染み、トミー・リー・ジョーンズ。
原作は、岡本嗣郎さんの、ノンフィクション小説ですって。
終戦直後。
厚木に降り立った、連合国軍最高司令官のマッカーサー。
あの、ごっついサングラスをかけ、パイプを片手に飛行機から降りてきた姿は、日本ではあまりにも有名です。
彼にはいくつかの使命が。
その中の一つが、この戦争の責任者を捜し出すこと。
「捜し出す」と言うか、「決める」こと。
その候補の中に、天皇が入っていること。
もっと言うと、天皇陛下に、戦争責任を負わすかどうか決めること。
その調査を直々に任されたのが、米軍のボナー・フェラーズ。
彼は、戦争直前に、日本に滞在していたこともある日本通。
実はその時の彼は、アメリカで恋した日本人女性アヤを追いかけての来日だった。
フェラーズは、アヤや、彼女の叔父である軍人の鹿島(西田敏行)からも、日本人の心を説かれるが。
本音を隠す日本人の気質が、アメリカ人のフェラーズには理解しがたく。
そんなフェラーズに与えられた期間は、たったの10日間。
その間に、軍の上層部や政府高官から話を聞き、戦争へ導いた主導者を決めなければならない‥‥。
はっきり行っちゃえば、フェラーズの意見一つで、未来が変わっていた可能性もあったんですね。
僕は、その日本の未来が決まるかもしれない彼の動向と
誰がどんな立場で何を言っていたのかという史実に、釘付けでした。
なのでフェラーズとアヤのロマンスの部分が、ちょっと長く感じてしまいましたね。
物語上、必要な部分ではあったのかもしれませんけど。
こっから先は、僕の考えもグリッと入って来ますが。
日本人の多くは、あまりにもあの戦争のことを知らなさすぎるのです。
と言うか、学校でちゃんと教えてもらえなかったのです。
少なくとも僕の学生時代は。
全ての責任が、日本にあるかのように教えられたのです。
戦争ですから、どっちかが一方的に悪いなんて、ありえないのですよ。
こっちが仕掛けたかもしれませんけど、そうせざるをえない理由があったこと、そこまで追い込まれたことを、いったいどれくらいの人が理解しているのだろう。
‥‥とまあ、長くなるので、この辺で。
とにかく僕が一番言いたいのは、戦勝国が、敗戦国の責任者を裁判で裁くという行為は、近代社会では、とても野蛮な行為なのですよ。
とてもとても。
両手を挙げて降参してる相手を、もう何もしてこないのを良いことに、好き放題蹂躙するわけですから。
東京裁判というのは、そういう行為だったのです。
で。
アメリカ映画なので、その辺を当たり前の事として扱っているのは目をつぶるとして。
一方的にアメリカ目線だけ押しつけられたら、さすがにムカつくなと思ったのですが。
日本側の立場としての意見も、ちゃんと描かれていたのでグーでした。
それぞれにそれぞれの正義があるのです。
確かに戦争を起こしたことはいけないことですし。
その熱に冒されていた人が、大勢いたことも事実で。
でも、この映画に出てくる日本人は、今では多くの人が失ってしまった、尊い部分を持っておりました。
☆個人的見どころ
・陛下からマッカーサーへの言葉
・焼け野原な東京
・マスコミ大好きマッカーサー