名曲「マイ・ウェイ」誕生秘話。
『最後のマイ・ウェイ』
厳格な父の元で育ったクロード・フランソワ。
歌手になることに大反対だった父の意志に反し、彼はレコードデビューを目指すが、最初は苦難の連続。
しかし、敏腕マネージャーのポールと組んだ彼は、やがてスターの座へ。
そんなある日、恋人との破局を歌った「コム・ダビテュード」が誕生。
それこそが、後に「マイ・ウェイ」として世界中に知られる歌の原曲だった‥‥。
---------------
公開はちょっと先ですが、試写会に行かせていただきました。
「マイウェイ」。てっきり、フランク・シナトラの曲だと思っていたのですが。
(布施明さんでないことは分かっていた)
フランス人歌手の歌が原曲だったんですね。
クロード・フランソワは、いわゆるアイドル歌手で。
キャッチーな歌に、派手な衣装とポップなダンス。
なおかつ、自分で作詞や作曲、プロデュースも手がけて。
それも、39才で事故死するまで、その人気を保っていたという。
今の日本で言うと‥‥思いつかないっす。
それくらいすごいのか。
しかもそのクロードの生涯が、これまた波乱の人生で。
神経質で傲慢で、女癖が悪く超天狗で。
かと思えば、人なつこくて寂しがり屋な一面も。
そんな男がお金と人気と権力を手に入れてしまったもんですから。
波乱の人生にならないわけがないっすな。
不勉強な僕は、クロード・フランソワという歌手を存じ上げなかったのですが。
写真や動画などを調べてみたら、主演のジェレミー・レニエ、そっっくりでしたよ。
資料を読んでみると、かなり役作りに力を入れたようで。
クロードはフランスの国民的歌手だったそうですから。
しかも、大昔ではなく、彼の歌い踊る姿を、たくさんの人がまだ覚えているわけですし。
そこを半端にしたら、えらいことになりそうですもんね。
なおかつ、当時の時代背景を再現するようなセットや人々の衣装。
これまた、デティールに凝った素晴らしい仕上がりでしたよ。
いや~、見応えがあったなあ
世界中で最も知られている歌の一つである「マイウェイ」。
それを生み出した、フランスの国民的歌手クロード・フランソワ。
知ることができて、本当に良かったです。
☆個人的見どころ
・クロード・フランソワの人生
・え?あのフランス・ギャルと!?
・シナトラとの出会い
(7月20日公開)
『最後のマイ・ウェイ』
厳格な父の元で育ったクロード・フランソワ。
歌手になることに大反対だった父の意志に反し、彼はレコードデビューを目指すが、最初は苦難の連続。
しかし、敏腕マネージャーのポールと組んだ彼は、やがてスターの座へ。
そんなある日、恋人との破局を歌った「コム・ダビテュード」が誕生。
それこそが、後に「マイ・ウェイ」として世界中に知られる歌の原曲だった‥‥。
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公開はちょっと先ですが、試写会に行かせていただきました。
「マイウェイ」。てっきり、フランク・シナトラの曲だと思っていたのですが。
(布施明さんでないことは分かっていた)
フランス人歌手の歌が原曲だったんですね。
クロード・フランソワは、いわゆるアイドル歌手で。
キャッチーな歌に、派手な衣装とポップなダンス。
なおかつ、自分で作詞や作曲、プロデュースも手がけて。
それも、39才で事故死するまで、その人気を保っていたという。
今の日本で言うと‥‥思いつかないっす。
それくらいすごいのか。
しかもそのクロードの生涯が、これまた波乱の人生で。
神経質で傲慢で、女癖が悪く超天狗で。
かと思えば、人なつこくて寂しがり屋な一面も。
そんな男がお金と人気と権力を手に入れてしまったもんですから。
波乱の人生にならないわけがないっすな。
不勉強な僕は、クロード・フランソワという歌手を存じ上げなかったのですが。
写真や動画などを調べてみたら、主演のジェレミー・レニエ、そっっくりでしたよ。
資料を読んでみると、かなり役作りに力を入れたようで。
クロードはフランスの国民的歌手だったそうですから。
しかも、大昔ではなく、彼の歌い踊る姿を、たくさんの人がまだ覚えているわけですし。
そこを半端にしたら、えらいことになりそうですもんね。
なおかつ、当時の時代背景を再現するようなセットや人々の衣装。
これまた、デティールに凝った素晴らしい仕上がりでしたよ。
いや~、見応えがあったなあ
世界中で最も知られている歌の一つである「マイウェイ」。
それを生み出した、フランスの国民的歌手クロード・フランソワ。
知ることができて、本当に良かったです。
☆個人的見どころ
・クロード・フランソワの人生
・え?あのフランス・ギャルと!?
・シナトラとの出会い
(7月20日公開)