
あなたは随分と自分の若さに価値を見出しているのね。私が虚しさを感じるとしたら、あなたのように感じている女性が、この国にはたくさんいるという事。あなたが価値が無いと切り捨てたモノは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。バカにしていたモノに自分がなる。それって辛いんじゃないかな。自分に呪いをかけないで。さっさと逃げてしまいなさい。
「自分に呪いをかけないで。」
この言葉は、『逃げるは恥だが役に立つ』という11章で構成された物語の最終章でついに明らかにされた本作のテーマであり核心である。
その言葉のとおり、物語の終盤で多くの悩める登場人物たちが次々とそれぞれの「呪い」から解き放たれていく。
平匡とみくりは常識という呪いから解き放たれる。
百合と風見は年齢という呪いから解き放たれる。
沼田と梅原は性別の呪いから解き放たれる。
誰もが大人になる過程で、いつのまにか自分で自分にかけてしまう「呪い」。
そして、その固定観念を他人に押し付けてしまう「呪い」。
それにより知らず知らずのうちに「自尊感情」さえも見失い、見えない「呪い」に縛られ日々の生活の中で迷走してしまう。
だから、その呪いという呪縛から「逃げる」という行為は、全てが上手くいく可能性を秘めている。
「自分に呪いをかけないで。」
世の中、生活の中、生きていく中で、たくさんある「呪い」を解き放ち終わった「逃げ恥」というドラマ。
これは一般的な「ハッピーエンド」な物語ではなく、最終章でやっと「呪い」から逃れ、笑顔で未来に歩き出す「ハッピースタート」な結末のドラマとも言える。
だから物語の結末で、平匡とみくりが結婚したかどうかは大した問題ではない。
「常識」という呪いから逃げるは恥だが、役に立つ・・・。
このドラマこそが物語の起承転結という常識=「呪い」から解き放たれた、素晴らしいメッセージだ。
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それは「好き」の搾取です。
「好き」の搾取、そう言われてドキッとした。心のどこかで「自分を好きならば当然提案を受け入れてくれるもの」だと思っていた。いつの間に僕は、こんなに思い上がってしまったのか・・・。
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私の方が格段に稼ぎが少ないので、その分家事の分担が多いのは納得してるんですけど、それで平匡さんが分担をやり忘れていたり、やるのが遅かったりすると「それ、そっちの分担だよね。私より家事負担少ないよね」と思ってしまうことがあります。
すいません・・・。
平匡さんの方は?
正直に言っていいですか?みくりさんの掃除の質の低下が気になっています。部屋の隅に埃がたまっていたり、鏡に水垢が・・・。
ホント言うと、私そんなに几帳面じゃないんです。どちらかというと四角い部屋を丸く掃くタイプで・・・。今までは仕事だったから完璧にしなくちゃと念には念を入れてました。でも本当は生活するのに困らない程度に綺麗なら生きていけると思ってます。ご期待に沿えず申し訳ありません。よほど気になるのであればその箇所を平匡さんの分担にして、その代わり他の箇所を私が・・・。
いえ、僕の担当を増やしましょう。
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今日の私は最低だった。余裕が無いと途端に本性が顔を出す。生意気で偉そうで小賢しいみくりが。私は自分が嫌いだ。自尊感情が低いのは
私の方だ。平匡さんが愛したのは家事を完璧にこなすいつも笑顔で優しい理想の妻で、お米ひとつでひどい態度を取る女じゃない。選ばれたくて、認めてほしくて、なのに・・・なりたい自分からどんどん遠ざかる。
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僕が思ったのは、分担って結構やっかいだなということです。分担した仕事を相手ができていないとマイナスに感じる一方、できている場合でも担当なんだし「やって当然」と思ってしまって感謝の気持ちが持てない。もしかすると相手を積極的に評価するシステムが必要で・・・。
いっそ役割分担をやめましょうか。シェアハウスみたいに自分のことは自分でやるんです。一人でもご飯を作ったり掃除したりしますよね?
それだと共通スペースをどちらも掃除しない可能性が・・・。
じゃ、家事の全部私がやります。でもそれはボランティアです。あくまでボランティアなので私が「今日はご飯作りたくない」と思ったら作らないし、「今日は掃除したくない」と思ったら掃除しません。ボランティアだから。「ご飯ないんですか」とか言わないで。「部屋が汚い」とか言わないで。だってボランティアだから。仕事じゃないから。やめるなら今です。平匡さんだって面倒ですよね、こんな生活。私と暮らす前みたいに外部の家事代行業者に週に一度頼む程度のお給料ならあるはずです。一人なら主婦の「労働の対価」がどうとか小賢しいこと言わないで、平匡さんのプロポーズを素直に喜んでくれる女性はたくさんいます。それが普通です。面倒を背負う必要はありません。
みくりさんが閉じたシャッターは、いつか僕が閉じたものと同じかもしれない。だとしたら僕は、開け方を知っている。何度も何度もあきれるほど、見捨てずにノックしてくれたのは、他の誰でもない、みくりさんだ。面倒を避けて避けて極限まで避け続けたら、歩くのも食べるのも面倒になって息をするのも面倒になって、限りなく死に近づくんじゃないでしょうか?生きていくのって面倒くさいんです。それは一人でも二人でも同じで、それぞれ別の面倒くささがあって、どっちにしても面倒くさいんだったら一緒にいるのも手じゃないでしょうか?話し合ったり無理なときは時間をおいたり、騙し騙しでも何とかやっていけないでしょうか?やってやれないことは無いんじゃないでしょうか。みくりさんは自分のことを「普通じゃない」と言ったけど、僕からしたら今さらです。とっくに知ってました。大したことじゃありません。世間の常識からすれば僕達は最初から普通じゃなかった。今さらですよ。おやすみなさい。
うまくいかないとき、待っていてくれる人、信じてくれる人、見失っちゃいけない。立て直そう、一つ一つ。立て直そう、ゆっくりでも・・・。
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派遣社員だったとき、よく上司にあれこれ提案してたんです。「こうした方が効率的」とか「なぜこうしないんですか」とか、でも向こうはそんなの求めてなくて、ウザがられて切られるっていう。私の小賢しさはどこに行っても嫌われるんだなって思ってたけど、青空市の仕事ではむしろ喜んでもらえて。小賢しいからできる仕事もあるのかもしれません。
小賢しいって何ですか?言葉の意味は分かるんです。小賢しいって、相手を下に見て言う言葉でしょ。僕はみくりさんを下に見たことはないし、小賢しいなんて思ったこと一度もありません。
ありがとう。大好き。私達を縛る全てのものから、目に見えない小さな痛みから、いつの日か解き放たれて、時に泣いても、笑っていけますように・・・。
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たくさんの道の中から思いどおりの道を選べたり、選べなかったり、どの道も面倒くさい日々だけど、どの道も愛おしい日もあって、逃げてしまう日があっても、深呼吸して別の道を探して、また戻って、いい日も悪い日も、いつだってまた、火曜日から始めよう・・・。
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友達も、会社も、夫婦も、みんな「自尊感情」を持っていないと上手くいかなくなる。
そして、厄介なことに「自尊感情」を一人で自ら手に入れる事はとても困難だ。
だから人は、誰かに寄り添い、誰かと支え合い、そして助け合いながら生きていく・・・。