
「これがあなたのサークルよ。あなたの仕事は、絶対にこの中から出ないことよ。」
いつでも、どんな時でも「ポジティブな感情」だけで、何事も笑って乗り越えれて、どんなに辛い事でも忘れることが出来て、いつも笑って過ごすことが出来るとしたら・・・。
そしたら「悲しみ」という感情は必要ないのだろうか・・・。
スティーブ・ジョブズはApple退職後『スター・ウォーズ』で知られるジョージ・ルーカス率いるルーカスフィルムの「コンピュータ・アニメーション部門」を買収し、映像制作会社を設立し「Pixar」と名付け、そのCEOの座に就いた。
Pixarは後に「Disney」との共同製作で世界初のフル3DCGによる長編アニメーション映画『トイ・ストーリー』を発表し、映画史に名を刻む事となる。
その後も「脚本」を重視した数々の作品を生み出し、世界の3DCGアニメーションの流れを大きく変える。
その中で生まれた一作『モンスターズ・インク』は、その後『カールじいさんの空飛ぶ家』や本作などの傑作を作るピート・ドクター監督作。
『モンスターズ・インク』と本作『インサイド・ヘッド』は監督の娘が体験した実話をベースに創造されている。
「恐れ」のパワーを凌駕する「笑い」が持つパワーの素晴らしさを描いた『モンスターズ・インク』は、究極の「育児論」であるばかりか、「教育」「コミュニケーション」「恋愛」にまで及ぶ、人類普遍の「人生哲学」に到達していた。
「ビビリ」による負のパワーは、時に自らの身を守るために重要な存在だが、その人間の負のパワーを集めて街のエネルギーに変えていたモンスター達は、それを超える人間の「ヨロコビ」のポジティブパワーの強さに気付き、底知れぬ「笑い」のエネルギーを手に入れる事になる。
本作はさらにその先にまで踏み込み、人生には「ヨロコビ」という素晴らしいポジティブパワーも必須だが、そこに至るまでには「カナシミ」という負の感情も必要なのかも・・・という問いを投げかけてくる。
そこに本作の原題「Inside Out=インサイド・アウト」を絡ませている。
「学校は楽しかった・・・、で良い?」
「インサイド・アウト」とは、自分自身の【内面(インサイド)】=「認識・理解・解釈・行動・態度」を決めている「人が物を見る時のレンズ=パラダイム(認識のしかた・考え方・常識・支配的な解釈・旧態依然とした考え方)」や、人格、動機などを最初に変え、それから【外側(アウト)】=「他人・環境」を変える、という意味がある。
つまり、自分の「固定観念」を転換させることにより「自分のあり方」を変える=自分のマイナス面を大きく改善することができるのだ。
これを「発想の転換・見方を変える・固定観念を捨てる・常識を疑う=パラダイムシフト」と呼び、「斬新なアイディアにより物事の印象が大きく変わること」でもある。
つまり、考え方・見方をほんの少し変えるだけで「善と悪」が逆転したり、青が赤に見えたり、駄作が傑作に見えたりするということなのだ。
そうやって人は、今まで観た「好きな映画」は周りに積極的に薦め、あまり好きではなかった作品は貶して、良い映画だけを未来にどんどん引き継いでいく。
「あんな奴の為にイケメンパイロットと別れたの?」
短い人生の中で、人は自らを完成させることは出来ず、自らを改善する探究の旅路に終わりはない。
そして、人生には原則というものが存在し、その原則に従うことにより、大きな効果を得ることができる。
人の「心」がより良い方向へ成長するためには、それぞれにとても時間がかかり、良い事も悪い事も含めてどの段階も省略することは出来ず、順序立ったプロセスを踏まなくてはいけない。
本作に登場する11歳の少女の脳内に存在する5つの感情たち、ヨロコビ(JOY)、イカリ(ANGER)、ムカムカ(DISGUST)、ビビリ(FEAR)、カナシミ(SADNESS)。
少女の誕生や成長と共に生まれた5つの感情たちは、彼女を守り、幸せにするために「感情の司令室」で日々奮闘している。
だがある日、ひょんなことからヨロコビとカナシミが感情の司令室から放り出され広大な脳内で遭難し、2つの感情が欠落した少女は急速に「感情のバランス」が壊れ始める。
一刻も早く感情の司令室に戻り彼女の精神状態を元通りにしなければいけない。
こうして、ヨロコビとカナシミという「相反する2つの感情」の想像を絶する脳内大冒険が始まる。
そして、ネガティブに人を悲しませることしか出来ないと思われた「カナシミ」の役割が、いま解き明かされようとしていた・・・。
「ライリーの感情が消えてしまう。」
人が悲しい出来事に遭遇したとき、その事実を否定するほどでもない場合は、怒りによる拒絶は発生しないが、最初は「怒り」によるその事実の否定から始まり、自身の脳でその現実を受け止めると共に「悲しみ」という感情がこみ上げてくる。
このようにそれぞれの「感情たち」の連携プレーで人の気分や言動はどんどん変化していくのだ。
Pixarの作品制作システムも全く同じで、脚本を12人で分業していたり、「笑い担当」などのように各分野のスタッフがシーン毎にディレクターのように割り当てられていて、それぞれのクリエイターの「得意分野」が存分に発揮できるようになっている。
本作の登場人物たちの気持ちや気分は、場面によって変わる「ファッション」の変化でも表現されているため、本作には衣装デザイナーがついて服のカラーやシルエットなどまで緻密に計算されている。
「よし、威嚇行動をとれ。雷は落としたくないがな。」
そして、Pixer作品に必ず出てくる「A113」の文字が壁の落書きとして登場したり、『バグズ・ライフ』や『トイ・ストーリー2』などに登場した「中華料理のテイクアウトBOX」が家族の食卓にあったり、Pixer恒例の数々の小ネタが本作にもたくさん入っている。
脳内イマジネーションランドに『ファインディング・ニモ』や『アーロと少年』の玩具の箱があったり、転校先のクラスメイトの女子が『トイ・ストーリー』1と3に登場した隣人「シド」に似たドクロTシャツを着ていてシドの妹ハンナを思わせるキャラクターだったり、スケートリンクの横断幕に『トイ・ストーリー』の街にリンクする文字があったり、「思い出」の中に『トイ・ストーリー3』のサニーサイド保育園が登場したりする。
子供が産まれた時、子供も親も「ヨロコビ」の感情で溢れる。
成長する過程で子供は未知なる広大な世界のあらゆる物に興味を持ちながらも同時に「ビビリ」を覚えるようになる。
そうやって警戒心を張り巡らせ「自己防衛本能」を育みながら安全に成長できるようになる。
その中で「好き嫌い」も生まれ、嫌いな物事に対する「ムカムカ」や「イカリ」を引き起こす憤りを経験したり、「カナシミ」に暮れるほどの出来事に直面することもある。
人は、喜びを知っているからこそ悲しみをより実感し、悲しみを知っているからこそ喜びが倍増する。
水と油ほどに反発し合う感情に見える喜びと悲しみは、実は「表裏一体」だったのだ。
喜び=ポジティブで悲しみを乗り越える事はできるが、そればかりを続けていれば積もり積もった悲しみの感情がいつかは爆発し、怒りの感情に変わってしまう場合もある。
喜び=ポジティブな感情、悲しみ=ネガティブな感情、それぞれ1つでは成り立たず、上手く生きていけないのだ。
「今日はゴミの日か、トイレの便座を上げっぱなしにしたか、何だ、何なんだ、妻よ。」
悲しみを克服する期間が十分に無かった場合、人は抑圧状態となり、精神状態が不安定になる。
そしてそれが引き金となり、悲しみを無理に忘れようとして「イカリ」や「ムカムカ」が暴走し、何かに過度に没頭したりして心身共に過労になったりもする。
悲しみという感情は時に怒りや憎しみ以上に感情や行動に狂いを生じさせてしまう事があるのだ。
何かで落ち込んだとき、素直に「悲しみ」を表に出すことによって家族や友達が気づいてくれて、「共感」や「同情」が生まれ、そして「絆」や「愛情」や「思いやり」が芽生える。
そうやって、自分の気持ちに負担をかけず感情の暴走を未然に防げば、少しずつ悲しみが癒されていき、ポジティブなパワーが湧いてきて、今までは不可能だった何かを乗り越え、達成し、それが喜びに結びついていく。
いつでも、どんな時でも、ポジティブな感情だけで何事も笑って乗り越え、辛い事を忘れて笑って過ごすことが出来るとは限らない。
「心」のバランスを保つためには、正反対の「悲しみ」という感情も必須なのだ。
本作からは、人も感情も「1人では生きていけない」という素晴らしいメッセージを貰える。
誰もが誰かに支えられ、誰かを支えて生きている。
固定観念を捨て、発想を転換させ、今までの考え方・見方をほんの少し変えてみると、世界が全く違って見える。
そう、「ヨロコビ」と「カナシミ」は大親友だったのだ。
そして、子供時代、みんなの心の中に住んでいた親友「ビンボン」との大切な思い出は、大人になるにつれて、ゆっくりと、静かに、消えてゆく・・・。
「This film is dedicated to our kids. Please don't grow up.Ever.(この映画を私達の子供達に捧げます。どうかこれ以上、大人にならないで・・・。)」