進撃の巨人/ATTACK ON TITAN (IMAX版) | 愛すべき映画たちのメソッド☆

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映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ



「こんなの初めてー!!」



我が母校「九州デザイナー学院」出身の原作者「諫山創」の同名コミックをベースに、諫山本人が全面的に実写化脚本に参加し、エレンの「戦う動機」をはじめ、多くのキャラクターや役名やストーリーに至るまで原作を「実写版のために」自ら大幅にアレンジし、初めての映画脚本原案とは思えぬ「クリエイター」としての更なる才能を我々に見せつけた。

原作者の諫山は、実写であることの「独創性」と「作家性」を発揮するために「完成された漫画の世界」の縛りを取り払い、実写ならではの「世界観」「人物造型」「アクション」を自ら新たに創造した。

彼は「読者に媚びることは、読者を裏切る事に等しい」という強い持論があり「その信念を捨てたら終わりだ」という想いから、肯定的であれ否定的であれ「ファンや読者の声」を参考にしてストーリーを変えることは絶対にしないそうだ。

それと全く同じ意思で挑んだ「実写版」でもそのスピリットは失われておらず、多くのファンが困惑するであろう「数々の改変」に原作者が自らあえて挑戦している。

それは、漫画でもアニメでも実写でも、全てにおいて「最高の作品」を目指しているからこその「こだわり」であり「努力」であり、この唯一無二の「世界」を生み出した創始者ならではの深い考えを元にした変更なのだ。

諫山は本作の完成報告会で「映画化は、原作を再現することではなく、面白い作品を作ることが目的であるべきだと思っています。そしてそれはこの映画で達成されたのではないかと思っています。」とコメントした。



「何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと・・・大事なものを捨てることができる人だ。」



そして、雑誌「映画秘宝」の創始者であり映画評論家の町山智浩と、実写映画版『GANTZ』『20世紀少年』を手がけた渡辺雄介の脚本、『ヱヴァンゲリヲン』や「細田守作品」の貞本義行らのキャラクターデザイン、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズを手がけた鷺巣詩郎の音楽、SEKAI NO OWARIが書き下ろした主題歌、「平成ガメラシリーズ」に特技監督として参加した樋口真嗣監督らスタッフ一同。

観客に恐怖を伝えるためもあり原作と違いピュアな少年少女から成長する「エレン」役の三浦春馬と「ミカサ」役の水原希子、『ウォッチメン』の「ロールシャッハ」がモデルである「リヴァイ」は実写化の際にあえて削られたが、その代わりという重要なポジションを担いながら強烈な印象を残す「シキシマ」役の長谷川博己、弱さと繊細さを絶妙に体現した「アルミン」役の本郷奏多、人間味あふれる強さと弱さを見せる「ジャン」役の三浦貴大、気持ちの良いぶっ飛んだキャラクターを忠実に再現してみせた「ハンジ」役の石原さとみ、「食」にまつわる深いメッセージを含んだ「サシャ」役の桜庭ななみ、そして緊張感に満ちた雰囲気で脇を引き立てるベテランのピエール瀧と國村隼らキャスト一同。

その他多くのスタッフとキャストが「勝つか負けるか判らない勝負」に果敢に挑戦し、全員のアイデアと工夫と情熱を注ぎ込み「途方も無く高い壁」に挑んだ「結晶」が誕生した。

アメリカでは英語吹き替えの「アニメ版」がテレビ放送され大きな反響を呼んでいることもあり、ハリウッドで行われたワールドプレミアで本作「実写版」が世界初上映された際には、コスプレ姿の熱狂的ファンが大勢集まり、鑑賞中は原作コミックの人気キャラクターが登場する度に拍手が起き、巨人が登場する場面では大歓声があがり、全編驚きと笑い声が絶えない盛り上がりで、上映後は鳴りやまない拍手とスタンディングオベーションを受けた。



「僕たちが失敗したら、それで人類は終わる。」



幼き頃『フランケンシュタインの怪獣/サンダ対ガイラ』をとても恐れ、多くの影響を受けたと語る原作者の諫山創は、「絶対的に不利な相手に立ち向かう人間」の描写などを含め「司馬遼太郎」の『坂の上の雲』にも影響を受け『進撃の巨人』を生み出した。

外界との間に築いた壁の中でかりそめの平和を謳歌していた人類の前に、ある日突然「謎の巨人」の群れが現れ、手当たり次第に人間を食べ始める・・・。

人間にとって一番怖いのは「食われること」で、高度な文明社会を作って食物連鎖から逃れたように見えても、そこが決して安息の地ではないことを我々は本能的に知っている、という原作者の狙うバックボーンも含めて「食」が重要なテーマである本作は、食物連鎖ピラミッドの頂点にいるつもりだった人間が、「食われる恐怖」に怯えながらも無謀な反撃に挑むという、人間という動物が古来から持っている「深層心理に潜む恐怖」と「動物的な野生の凶暴さ」を剥き出しに描いている。

そして、無力な人々が次々と巨人に食べられ、経験の浅い若者ばかりが戦闘に駆り出されているという恐怖の中、巨人という絶対的な支配者の「神」に従わない者たちが、たとえこの世が「地獄」であっても「自由」を求め、自我に目覚め、武器を取り、勝つ見込みのない戦いに果敢に挑む。

本作「実写版」は、まだピュアなエレンが全編に渡り人生最悪の逆境を経験しながら「地獄巡り」をし、そして成長するという新たなるコンセプトなども込みで、ダンテの「神曲」をベースに構成されている。

本作はハリウッド・メジャー大作では絶対に不可能な究極のリアル表現で「映画におけるバイオレンス」を、ジャパニーズ・メジャー大作で初めて極限まで追求している点も革命的だ。



「たまには美人の女巨人に会ってみたいもんだ。」



豪華客船「タイタニック号」、元素の「チタン」、土星の衛星「タイタン」などの名称の由来となり、主に「巨大さ」を表す時に引用される事が多い「TITAN=タイタン」は、ギリシア神話・ローマ神話における古代の「巨人族の神々」の総称で、ゼウスに滅ぼされるまで地球を支配していた地球最初の子であり、地底に封じ込められていて地震を引き起こす存在だとも言われている。

そして、林檎という「禁断の果実」を食べ「知性」を得たエレンや調査兵団は、何を暗示し、そして何を象徴しているのだろうか・・・。

『ガメラ』シリーズと並んで大映の特撮映画を代表する看板作品となっていて、「時代劇」と「特撮」を巧みに融合させた『大魔神』シリーズを幼少の頃テレビで観て、大魔神のあまりの巨大さと残酷さと恐ろしい形相に眠れなくなるほど怯えた思い出がある。

本作はその「日本的」な恐ろしさをフラッシュバックさせつつ現代的にブラッシュアップさせていて、絶妙な表情に全裸という「日常を微妙に逸脱した違和感」で群がる巨人たちは、『リング』の貞子、『呪怨』の伽椰子、『大日本人』の獣、『GANTZ』の星人、『寄生獣』のパラサイトなどに通じる「日本ならでは」の怖さと、何ともいえない不快感、後味の悪さ、プラス「生理的に受け付けない醜悪さ」もあり、余計に脳裏から離れなくなる。

「9.11」を受けたアメリカに住む人々の恐怖・衝撃・悲しみを反映させたスピルバーグ版『宇宙戦争』は、異星人の操る巨大な「トライポッド」が耳を塞ぎたくなる程の「雄叫び」と共に「生物を一瞬にして灰にするレーザー光線」で人々を次々に殺傷し、町を容赦無く破壊してゆくという「地獄絵図」の畳み掛けで世界中を震え上がらせた。

本作の「巨人たち」は、「トライポッド」の「無機質な怖さ」の逆を行きながら更にそれを超える生物的な「禍々しさ」「生々しさ」「無邪気さ」「恍惚な表情」という「嫌悪感」を刺激するインパクトがあり、我々観客は『ゾンビ』や『エイリアン』が「ディズニーアニメ」に感じる程の「邪悪な世界」に放り込まれ、ただただ足を震わせながら放心状態でその場に座り込むことしかできない。



「子持ちは嫌?私の子供の父親になって。」



『プライベート・ライアン』が冒頭のオマハビーチ上陸作戦で「最前線における究極の恐怖」を観客に見せつけ、そこからラストまで極限の緊張感に包まれ息苦しかった様に、本作もプロローグで容赦の無いバイオレンス描写の「巨人の進撃」に観客は心底震え上がらせられ、巨人の「足音」や「うめき声」が聞こえてきただけで拒絶反応を起こすほどのトラウマを早々に植え付けられる。

「巨人」自体のビジュアルもおぞましいが、獣や昆虫の様に「邪気」が無い予測不能な動きと、ただただ興味本位で人間を追いかけ、つまみ上げ、口に入れるという本能的行動と、それに加え、自分が食べられるかもという恐怖よりも「人々が次々と食べられる光景を遠目に見る」というカタストロフィ的状況の「目撃」も恐ろしく、ただただ言葉を失うばかり。

物語内の「新兵たち」と全く同じ恐怖を体験させられるという点と、見えない不安からの間違った選択、「どの行動が正しいか全く判らない」という絶望感の絶頂は『ミスト』すら超えている。

レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎を愛するギレルモ・デル・トロ監督が「巨大怪物への美しい詩」として「アニメ愛」「ロボット愛」「怪獣愛」そして「特撮愛」を炸裂させた『パシフィック・リム』の巨大ロボット対カイジュウの市街地バトルを遥かに超えるスペクタクルのクライマックス。

その場面の「カタルシス」は近年稀に見る壮絶さで、もしも無力な一般市民としてその場に居合わせたとしたら・・・と想像すらしたくない「悪夢」のような、それでいて血が騒ぐ快感に満ちている。

だからこそ「東宝特撮映画風のタイトル」で締めくくられる粋なラストショットを経て上映が終わり、「巨人」の世界から命からがら帰還した我々観客は、必然的に「ハンジ」と同じようなテンションになっていて、思わず心の中で絶叫したくなるのだ。

「こんなの初めて」と・・・。



「世界は残酷・・・。」