
「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。でもそんなのはどうでもいいの。私は、私が嫌い。」
宮崎駿が愛した、イギリスの作家ジョーン・G・ロビンソンにより1967年に発表された児童文学作品の映画化で、『借りぐらしのアリエッティ』以来4年ぶりの米林宏昌監督によるスタジオジブリ制作長編アニメーション作品。
日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞受賞。
本作には「もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい」という米林監督の想いが込められている。
日本を代表するProduction Designer=美術監督として、リー・チーガイの『不夜城』、三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』、岩井俊二の『スワロウテイル』、李相日の『悪人』、押井守の『イノセンス』、中田秀夫の『怪談』、是枝裕和の『空気人形』など数々の名監督から全幅の信頼を寄せられるだけでなく、クエンティン・タランティーノの『キル・ビル Vol.1』、チャン・イーモウの『金陵十三釵』、ウェイ・ダーションの『セデック・バレ』なども手がけ、美術を通して映画に生命を吹き込んでいる第一人者「種田陽平」が美術監督として参加し、素晴らしいデザインの世界を構築している。
そして、韓国系アメリカ人のシンガーソングライターPRISCILLA AHNが歌う「Fine On The Outside」が流れるエンドロールの雰囲気は、とても切ない余韻を残す。
映画版では舞台を現代日本の北海道に置き換え、主人公のアンナは日本人少女の「杏奈」に改変されたが、マーニーの名前と金髪に青い目の白人少女の外見は原作のままとなっている。
原作は、作者のジョーンと家族が海辺の村で過ごした「ある夏の日」の体験が元になっている。
ある日の夕方、ジョーンが湿地の水路をボートで通っていると、レンガ造りの屋敷が湿地の畔に見えた。
しかし少し目を離してから再び振り返ると、その屋敷は景色に溶け込み、まるで消えてしまったかのように思えた。
そして数分後に夕日が再び屋敷を照らし出すと、窓の中に金色の髪を梳かしてもらう少女の姿が見えたという。
この不思議な体験から着想を得たジョーンは、夏の間にノートにアイデアをまとめ、その後約18か月をかけて「ガール・ミーツ・ガール」テイストの小説を完成させた。
主人公の描写には作者の子供時代の記憶も色濃く反映されている。
「あの子、いつも普通の顔をしているんです。」
「絵」を描くことが大好きで、12才の小さな身体に大きな苦しみを抱えて生きている杏奈は内気な少女で友達がおらず、学校では孤立している。
孤独で不機嫌で無表情な杏奈は、唯一の肉親だった祖母を幼少期に失い養親に育てられたが、祖母が自分を残して死んだことを許せないと思っており、最近は養親の愛にも疑問を感じ、より感情を表に出さなくなっている。
杏奈は夏休みの間、喘息の療養のために北海道の海辺の町で過ごすことになり、そこで美しい少女マーニーと出逢う・・・。
「自分」を嫌う12歳の少女、杏奈。
彼女の「心」の中を想うと涙が止まらない。
思春期特有の漠然とした疎外感、孤独感、自己否定感、空虚感、不安感、満たされない感情などが入り乱れ、自分でもコントロール不能の「負の連鎖」に陥っている。
この現代日本の若者に非常に多い「心の問題」を、逃げずにリアルに、しかも主軸として描いている点に驚かされる。
シンプルに「絵を描く素晴らしさ」もたくさん込められている本作の中で、私が絵を描く者の一人として最も共感できた部分は、鉛筆を削る際の「カッターの刃が深く入りすぎて芯が折れる」という細かい描写など、だけではなく、スケッチブックの中身を「絶対に他人には見せたくない」という心理描写の数々だ。
「スケッチブックに絵を描くこと」は「自分の内面と向き合うこと」「自分の心を裸にすること」と同じくらいのプライベートな秘め事で、さらに「スケッチブックの中身を他人に見せること」は、自分の良い面も悪い面も恥ずかしい面も含めて「自分の内面を全て他人に晒すこと」にもなるし、言い換えれば「愛情表現」とも同レベルな事なのだ。
それは七夕祭の「短冊に書いた願いごと」にも当てはまり、そのせいで他人には唐突に感じられるであろう「ふとっちょブタ!」の件にも繋がってしまうのは避けようがない展開なのだ。
同時に、子供から大人へ成長する段階で誰もが直面する「自分と大人を隔てる壁」と「大人への憧れと不信感」も丁寧に描かれていて大いに共感できる。
「私もマーニーのことが好きだよ。今まで会った誰よりも。」
幼少期の体験や境遇のせいで、他人に興味がなく、コミュニケーションが苦手で、被害妄想が酷く、世の中を冷めた目で見ていて、大人を恨んでいる。
そのために「輪に入ること」「大人になること」「女になること」を本能的に拒絶してしまう思春期。
この物語では、杏奈の複雑な「パーソナルスペース」に入れるのはマーニーただ一人なのだ。
誰よりも「共感」し合えるマーニーに出逢い、誰にも秘密にしていた「自分の世界」から飛び出す勇気と「自己肯定感」を少しずつ手に入れる。
親が子供に愛情を伝え、それにより子供が「自己肯定感」を持てるようになり、自分の世界から飛び出す勇気を獲得するために、最も効果的な方法の一つに「ハグ」がある。
「共感」「愛情」「許し」を感じるために必須である「ハグ」は、どんな言葉よりも嬉しく、どんな態度よりも愛情を得られるパワーがあるのだ。
つまり、本作で描かれている「ハグ」の場面の数々はとてつもなく深い意味をたくさん持っている。
「きっとあなたのことを愛してくれる人がいる。誰かに愛されている。あなたも誰かを愛することができる。」この米林監督が本作に込めた素晴らしくも心強いメッセージにどれほど多くの子供の心が支えられ、助けられたか。
まさに本作は、子供にとって、遠くから船の安全を見守り、時には光で導いてくれ、いつでも温かく迎えてくれる「港」であり「灯台」の様な作品だ。
「私は、私が嫌い。」と言っていた少女が、知らなかった過去に巡り逢い、かけがえのない本当の自分と向き合い、揺るぎない自己肯定感を得て、憎んでいた大人たちを許し、傷だらけの心が癒され、長いあいだ閉じこもっていた硬い殻を破り、勇気を持って広大で未知の「社会」へと羽ばたいていく。
この世には目に見えない魔法の輪がある。
輪には内側と外側があって、自分は外側の人間だった。
でも、そんなのはもうどうでもいい。
どんな過去も、いつか全て「思い出」に変わる・・・。
「けっしてあなたを忘れないわ。ずっと忘れないわ。永久に。」