
「あなたはしたんでしょう?私には想像もつかないようなことを。」
バブル崩壊から間もない1994年。
ひとりの平凡な銀行員の女は、若い不倫相手のために、銀行の金を横領する。
エリート会社員の夫、新築の一戸建て、充実した仕事、誰もが羨む美貌・・・何不自由なく幸せで完璧な人生に見えるが、女は物足りなさを日々の中に感じ始めていた。
その日常を逆から見ると、微妙なズレに気付かない夫、夫婦二人には広すぎる一戸建て、日々繰り返される外回りの営業、年齢と共に少しずつ失われていく女性としての美しさ・・・小さなモヤモヤの断片が少しずつ「不満」に姿を変え、理性のリミッターが外れる瞬間が訪れる・・・。
これは、誰もが持っている自由と快楽への「願望」と、心の弱さと「二面性」を克明にブラックに映像化した作品。
人は誰しも「過ち」を犯す可能性と「善と悪」を常に秘めていて、いつどちら側になってもおかしくないのだ。
『スター・ウォーズ』シリーズと同じく、精神的「ダークサイド」についての物語。
「偽物だって良いじゃない。綺麗なんだから。」
主人公を演じた「宮沢りえ」の、恋と罪に転がり落ちていく段階の演じ分けは絶品で、言葉を失う程の存在感を漂わせている。
映画オリジナルの役であり、主人公を「悪」へと導く重要な役回りである「大島優子」は、本作で報知映画賞の助演女優賞に輝いたほど、いかにもな「若さ」「無邪気さ」「要領の良さ」「心の汚い部分」の表現が素晴らしく、小悪魔的かつ綺麗事を抜きにした言葉の数々に人間の根本的な「欲望」が多く込められていて、存在自体が幻覚の様でもあり「実は幻だったのでは・・・」と思わせる様な演出もさり気なくされていて恐ろしい。
同じく映画オリジナルの役である「お局」を演じた「小林聡美」は、社会的には「正義」でありながら映画的には主人公の悪行を暴き追い詰める「悪」という立場の存在に反転されているし、鋭い観察力で真実を追う姿はシャーロック·ホームズの様でもあり気が抜けない。
クライマックスで彼女が見せる「迷いの表情」も忘れ難い。
詐欺師の逃避行を描いた1973年の傑作映画『ペーパー・ムーン』(Paper Moon=紙の月)とリンクしているとも言える本作をクリエイトしたのは『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督と『八日目の蝉』などの原作者である角田光代。
この世界に「無償の愛」は存在するのだろうか・・・。
「お金はただの紙よ。だからお金では自由になれない。あなたが行けるのはここまでよ。」
本作の主人公である中年女性は、大学生の男に出会い禁断の恋に落ちる。
「なんとかしてあげたい」という母性にも似た愛情で彼の「心」へ突き進む彼女は「善悪」や「法」や「モラル」の境界線がだんだん見えなくなり、後戻りのできない究極の「快楽」へと転がり落ちていく。
その過程で「悪」と「愛」に染まれば染まるほど、どんどん美しくなり眩しいくらいに魅力的になっていく皮肉がある。
これは『テルマ&ルイーズ』『太陽がいっぱい』『グッドフェローズ』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの傑作たちに共通する「破滅の美学」を彷彿とさせる。
「金」と「愛」は人を狂わせ、破滅へ追い込む危険性を持っている。
しかし、その二つは「水と油」の様に反発し合い共存は容易ではない。
そして、人は多くの「金」と「愛」を手に入れると「万能感」にとらわれてしまう。
全てを手に入れて、全てを失い本当の意味で再び孤独になった主人公は、最後に「自分自身」を手に入れる。
そう、あなたが信じれば、紙の月も「本物」になるのだ・・・。
「これを受け取ったら、何か、たぶん変わっちゃうよ。」