
「誰かが容疑者の口を割らせないと、二人の子供は死ぬ。」
子持ちの人は特に「他人事」とも「フィクション」とも思ってはいけない。
オープニングからラストまで全く目が離せない、極限の緊迫感に満ちた153分。
こんなに長尺でも全く無駄なシーンが無い濃密度で、「脳」をフル回転させ「心」をすり減らしながらもエンドロールまで釘付けになる。
終始、雨や雪が降る「冬の曇り空」が延々と続き『羊たちの沈黙』や『セブン』や『ゾディアック』、特に『殺人の追憶』に非常によく似た、陰鬱で凄惨な、気が滅入るような雰囲気が全編に漂っている。
この独特の情景は、写真家「グレゴリー・クリュードソン」の作品からインスパイアされたそうだ。
家族と過ごす感謝祭の日、平穏な田舎町で幼い少女が失踪する。
手掛かりは微々たるもので、警察らの捜査は難航。
父親は、証拠不十分で釈放された容疑者の証言で彼が犯人であると確信し、自らが我が子を救出するためにある策を考えつく・・・。
散りばめられた伏線が少しずつ繋がり、ラストに集約していく展開は、サスペンスとして非常に巧みで一瞬たりとも気が抜けない。
我が子を誘拐された親たちの半狂乱もとても共感できるし「もしも自分だったら?」という問にはとても即答はできない。
冒頭から我々観客は主人公同様に誰かの仕掛けた《ミスリード》にハマりまくり「何か」に振り回され、翻弄されて「何か」を見失う。
この《ミスリード》は、トラップの様に劇中に散りばめられていて、そのどれもが非常にリアルで惑わされやすい。
これが現実に起こった事件だったとしても、恐らく誰もが「間違った方向」へと向かってしまうだろう。
それほど「怒り」「喪失感」「焦り」の感情は「冷静な判断力」を鈍らせ、間違った判断を誘発しやすい。
過度な「正義感」や英雄願望も同じで、何かに執着し過ぎると「視野」が狭まり大切な「何か」を見過ごしてしまうだろう。
『ダークナイト』のジョーカーが嘲笑うかの様に、極限まで追い詰められた状況は「善と悪」の境界線が揺らぎ曖昧になる。
どこまでが「善」で、どこからが「悪」なのか、誰もが見失う瞬間がある。
本作は「プリズナーズ」=「受刑者」=「囚われた人」=「何かにとらわれた人」ばかりが登場する。
行方不明の子供、子供を探す親、犯人を追う警察、頑なに口を閉ざす容疑者、秘密を抱えた住民、スクープを狙うマスコミ、自分の行動が「正義」だと信じて疑わない人達・・・それぞれが、異常なまでに「何か」にとらわれ、時に「盲目」になり、それぞれが「迷宮」に迷い込み過ちを犯す。
しかし、その過ちが必要な場合すらあるのだ。
本作の登場人物の多くは「過ち」を犯すが、その中のある人物の、ある一つの《大きな過ち》が無ければ真の事件解決にはたどり着いていない。
ここは世界で賛否が分かれた部分なのだが、本作ではやや肯定的に描かれている。
複雑な「迷路」をどんな手段を使ってでも、脱出できた者だけが「答え」にたどり着ける。
この世は「善が勝つ」とも「悪が負ける」とも限らない。
その証拠に、アメリカでは1秒間に1.5人、1年間に80万人の子供が行方不明になっている・・・。
「これは神に対する戦い。人の信仰心を失わせて、悪魔にさせる。」