トワイライト ささらさや | 愛すべき映画たちのメソッド☆

愛すべき映画たちのメソッド☆

映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ



「子供こさえて、これからってぇ時に車に轢かれて、はいさよなら。オチも作れず、最後まで人を笑わさずに死んだ落語家といえばコイツのことだと後世まで語られることでしょう。」



「親の気持ち子知らず」という昔ながらのメッセージが隠された本作は、結婚し子供を産んで「親になった子供」全員に向けた、愛する人達からのラブレターだ。

たった2時間の作品に、産まれてから亡くなるまでの「人生の悲喜交々」を「落語」の様に、無理なくサラリと織り込んである奇跡の脚本。

オープニングの「あるセリフ」とエンディングの「あるセリフ」、全く同じセリフなのに全く違う意味になる巧さ。

シフトレンズで「ミニチュア」の様に撮影された「ささら」の街のファンタジー感。

どこをとっても素晴らしい。

鑑賞前、こんなにも感動的で泣ける作品だとは思っていなくて、完全にニュートラルな気持ちで観始めた。

軽いコメディタッチの人情ファンタジーくらいだと思い油断していた為にエンドクレジットが始まる頃はもう、号泣プラス号泣で目が真っ赤に腫れていた。

本作は、加納朋子の小説「ささら さや」を映画化し、女優の新垣結衣が自身初の母親役に挑んだファンタジードラマ。

不思議な町「ささら」に暮らすサヤは、突然の事故で夫ユウタロウを亡くしてしまう。

生まれたばかりの息子を守ると誓うサヤだが、身寄りもなく苦労の連続。

そんな2人を残して成仏しきれないユウタロウは様々な人の体を借りて現れ、サヤを助けていく。

ユウタロウ役は、新垣と初共演の大泉洋。

監督は「60歳のラブレター」「神様のカルテ」などヒューマンドラマに定評のある深川栄洋。



「この時間を大事にしなさい。子供とぴったりくっついていられる時間なんか、あっという間に終わるんだから。」



「15分くらいの明るい新作落語を聞いた様な映画にしたい」という狙いで撮った深川監督の想いは大成功している。

成仏できない夫ユウタロウが妻の周囲の人間に次々と乗り移るのだが、乗り移られた俳優はユウタロウ=大泉洋の演技をしなければならない。

小松政夫から子役から富司純子まで、何人もの役者が「大泉洋」を演じる場面は全員の役者魂が凄まじい。

本当に全員「大泉洋」が中に入っているように見えるのだ。

これは、あらかじめ大泉洋が各役者の場面を演じ、それを収めたDVDを各役者が観て入念に役作りをしたからだそうだ。

大泉洋=ユウタロウは落語家という設定なので会話のテンポも良く、笑える言葉も多い。

冒頭からユウタロウにまつわる場面で何度もクスッとさせ「ヒューマン・コメディ」のテイストが濃いまま展開し、後半になるにつれてセンチメンタルな雰囲気にどんどん変わってくる。

恐らく、この前半と後半のギャップもあって涙腺が決壊するのだろう。

特に大泉洋の父親役を演じた石橋凌にまつわる場面の数々には涙でスクリーンが見えなくなった。

だから本作は、結婚し子供を産んで「親になった子供」のための映画なのだ。



「じじい、ばばあと来て、今度は子供かよ。」



クライマックス、主人公は一人で劇場のシートに座り、舞台上では「別角度から見た主人公の人生」の紙芝居風の映像が始まる。

それを見ながら「本当の親の愛」「自分の頑張り」「家族の大切さ」「出逢いの奇跡」「生命誕生の尊さ」に向き合い、我々観客と主人公は同時に涙が溢れて止まらなくなる。

映画を観ている観客と映画の主人公の気持ちが完全に同じタイミングでシンクロする奇跡の瞬間だ。

「親の気持ち子知らず」という言葉の本当の意味は、自分が「親」にならないときっと判らない。

人生は「思い込み」と「すれ違い」の繰り返しで、何度も失敗して何度も人を傷つけて、何度も自分も傷ついてしまうもの。

「笑って泣いて苛立って諦めて」という人生は、例え上手くいかない事ばかりでも、みんな一人ではないのだ・・・。

「永遠」ではない世界の中で、誰かと「一緒に居られる事の幸せ」を思い出させてくれる。

本作は、明るく、気持ち良く、とてもポジティブな気分で終演を迎える。

主人公の人生と同時に・・・。おあとがよろしいようで。



「一生懸命だったから。」