謝罪の王様 | 愛すべき映画たちのメソッド☆

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映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ





「謝れって言われてから謝ったんじゃ遅いです、むしろ車をぶつける前に謝るくらいの気持ちじゃないと。」



監督:水田伸生、脚本:宮藤官九郎、主演:阿部サダヲ、の黄金トリオ第三弾。

とことん「おバカ」と「笑い」を追求した『舞妓Haaaan!!!』、「兄弟愛」から「地球愛」までを描いたホームドラマ『なくもんか』に続き、今回は「謝るとき、人は誰でも主人公。」がテーマ。

架空の職業「謝罪師」を生業とする「東京謝罪センター所長」の男が、大小様々な事件を「謝罪のテクニック」だけを駆使して解決していく姿を描くコメディ。

ついに彼は、土下座を超える究極の謝罪「土下座の向こう側」へと辿り着く・・・。



「てめぇに何が判るんだよ。悔しかったらよ、あんたも光らせてみろ。子供、七光らせてみろよ。」



謝罪は「謝る側」と「謝られる側」の温度差のズレによって厄介な事態に発展する。

「謝られる側」の求めているものが何なのかを見極める事が第一歩なのだろう。

それは時に「誠意」だったり「お金」だったり「土下座」だったり、単純に「ごめんなさい」という言葉だけだったりするし、「おどけた顔」をするだけで言葉もいらない時だってある。

「泣き顔」や「申し訳なさそうな態度」や「言い訳」なんかを大袈裟に用意して、あからさまに表現するよりも、シンプルに、相手の気持ちを理解する事、つまり人と人とのコミュニケーションが最も大切だという事なのだ。



「それ知ってる、原作読んだ。誰で映画化するの?  えぇ~オダギリ?  あ、まぁ意外とアリかも。」



謝りに行ったら逆に謝られる時もある。

考え過ぎて「誤った謝り方」をする人もいる。

某映画のタイトルをもじった「ヘルシー・スケルトン」の記者会見で川口春奈が演じた「沢尻エリカ」のパロディは、有名な「別に」発言の「その先」を見せる。

そこで匂わされている様に「怒り」の裏側には誰も知らない真実が隠されているのかもしれない。

謝る側と謝られる側以外の第三者には判らないことも実は多い。

芸能人だと尚更に世間の誹謗中傷がプラスされ、面白半分で加害者だけが坂を転がる様にどんどん「悪者」にされていく。

だから無用な謝罪会見で余計に深みにハマって迷走していくのだろう。

本来、謝る相手は「世間」ではなく「被害者」なのに、誰もがそれに気付かなくなってしまう。



「なんかぁ、こないだ、ケツ触っちゃったみたいで?  なんかぁ、しゃぁせんした。」



喫茶店を中心に人間模様が交錯し、喫茶店を事務所の様に使っている点など『探偵はBARにいる』の様でもあり面白い。

その喫茶店から新たな物語が始まり、出会いと別れを繰り返し、主人公も成長する。

CASE.1から6までのオムニバス形式で展開し、それらが微妙にリンクしながら「時間軸」までもが前後し、全てのエピソードの断片がクライマックスへと収束していく。

この宮藤官九郎らしい、彼の集大成の様な構成の巧みさと気の利いたセリフの数々には改めて素直に感動させられるし、とても気持ちが良い。

登場人物は皆キャラが立っているし、「謝罪師」という設定も奇抜で無限に話を作れそうで、『探偵は~』の様にシリーズ化しても良いかもしれない。



「20分遅刻して目の前で5分電話するのと、店の外で電話を済ませた結果25分遅刻するのと、どっちが失礼か考えてみて下さい。」



ストーリー構成がしっかりした本作も、抜かりなく「笑い」が散りばめられていて「映画泥棒」「アウトレイジ」「温水洋一」「Kill you next time」「喫茶店:泣きねいり」「AWAITS/愛の四丁目、そして、はやぶさ」「店長代理(みせながしろさと)」「ビルマの竪琴」「英里人(えりーと)」「私立恵比寿中学」「ハングオーバー」「Amazon」「バタールの丘で」「ヘビーローテーション」「ラーメン屋:言語道断」「あと半年、もう半年」「ミッション:インポッシブル」「マンタン国民が号泣、日本国民は爆笑。」「部長:島耕作」「攻殻機動隊」・・・など、探せば探すほど笑えるセリフや設定や小ネタが盛りだくさん。

「ぱしかに」、とても一回観ただけでは全てを把握できない情報量だ。



「ハダザムイだろ。頭ヒエルだろ。帽子とか持ってるか。あ、俺?通訳。名前ワクバル。言いづらいからヒロシでいいよ。いや、オマエが誰とかいいから。お前らがナニしたとか、だいたい知ってる。だいたい心配ない。だいたい任せろ。ハダザムイ。」



ラストでやっと現れる「謝罪の王様」のタイトルと、それに続き「CASE.7」のテロップから始まるエンドロールは、製作陣の「ぶっ飛んだ終わり方を」という想いで作られた、インド映画オマージュが圧巻のエンドクレジットで、阿部サダヲ、EXILE、VERBAL、E-girlsが歌って踊りまくる「謝罪ダンス」に「ごめんなさいのKissing You」が爆音で流れる奇跡の5分55秒。

「見たことない驚き」を目指して、好き嫌い分かれても良いから斬新でPOPな「あっと驚く」締めくくりをあえて手間と予算を惜しみなく注ぎ、スタッフとキャストが全力で作り上げたそうだ。

この豪華絢爛な「ジャパニーズ・ミュージカル」見たさに、また本作を何度も見返したくなるほど世界基準のカタルシスとポジティブなパワーで満ちている。

プラス、人生に不可欠な「笑い」と「謝罪」と「終わり良ければ全てよし」という作品自体のテーマをも凝縮し、アドレナリン全開で表現している点にも心からスタンディングオベーションを送りたい。



「謝罪すれば、怒りは半減します。120%許されないのなら、150%謝罪すればいいのです。」



あらゆる時間と場所と人が同時進行で進み繋がっていくクライマックス、井上真央の頬に「手のひらの様な」大きな枯葉が当たった時、全ての記憶が蘇る。

そして、土下座を超える謝罪は皆に伝染し、国境を超え、心に傷を負った「謝りたい」「謝られたい」人達が一気に許され、そして癒されていく。

そこで我々は「土下座の向こう側」を目撃する。

世界中が笑っているかの様な幸福の中で・・・。

そして、現代社会のあらゆる「風刺」が詰まったブラック・コメディである本作の粗筋は、たった一言で表現できる仕掛けになっている。

「I am sorry(総理)」と。



「土下座・・・それは日本古来の謝罪法。相手に謝意と全面降伏の姿勢を示す行為である。土下座・・・それは最大級のインパクトと説得力を持つ謝罪法である。Be土下座。『土下座』でウェブ検索を。詳しくは、弊社リリースのDVD『土下座の彼方まで』をご覧ください。」