
「観客になるな。人生のプレイヤーになれ。」
「永遠の恋」というものは、本当に存在するのだろうか?「失われかけた愛」を取り戻すことは出来るのだろうか?答えは本作の中にある。
狂乱の1920年代。
「暗黒の木曜日」に始まる「世界恐慌」へのカウントダウンが始まっている事など知らないセレブ達は、毎夜「快楽」に溺れていた。
終わる事のない「花火」の様に、華やかで光輝いているパーティの日々と、「祭りの後」の様な寂しさ、切なさ、空虚感。
その対比を『ロミオ+ジュリエット』『ムーラン・ルージュ』同様の「映像の暴力」とまで言われる手法で再び描いたバズ・ラーマン監督は、規制の多いハリウッドの中で最も「思い描いた通りの作家性」を作品に反映させる事の出来る稀な存在の一人。
100年前の名作であっても、100年前が舞台であっても、「21世紀サブカルチャー」を何の躊躇いもなく取り入れ、見事に融合させ、素晴らしい「化学反応」を我々観客に披露する「映像のマジシャン」だ。
同時に、「過去の世界」と「現代の音楽」と「最新のCG」を、華麗な手さばきで「傷口一つ無く」縫い合わせる名医の様でもある。
本作は、それにプラスして「3D」という最先端のトリックも加わっていて、テーマパークのアトラクションの様に「バズ・ラーマン・ワールド」に入り込む擬似体験が出来る。
『ロミオ+ジュリエット』以来のバズ・ラーマン作品主演となったレオナルド・ディカプリオの「満を持しての」登場シーンは、彼の前作『ジャンゴ 繋がれざる者』での登場シーンと全く同じで「最高の笑顔」のズームアップで表現されているという点が面白い。
『ムーラン・ルージュ』のユアン・マクレガーにも似た「語り部」を繊細に演じたトビー・マグワイア、『ドライヴ』以上の可憐な「儚さ」と魅力が溢れ出ているキャリー・マリガン、『ゼロ・ダーク・サーティ』と同一人物とは思えない程の「憎々しさ」で熱演のジョエル・エドガートン。
全ての役者が舞台劇の様に刺激し合い、宝石のように輝いていて眩しいくらいだ。
眠らない街「摩天楼」と、朝までパーティ三昧の「宮殿」、その中間にある「自動車修理工場エリア」で数々の「人生の分岐点」が生まれる。
そこにある朽ち果てた看板の、眼鏡越しに垣間見える「鋭い眼差し」が、何もかも見透かしているかのように、全ての人間模様を、全ての「悲劇」と「喜劇」を、神の様に今もずっと見守り続けている。
「女の子はそれが一番。“美しきおバカさん”が。」
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